初秋の雑読書 〜日記から〜

『英国ロイヤルバレエ団の至宝・吉田都の軌跡』吉田都/宮沢優子/文藝春秋

あるページの彼女の表情に、どきりとさせられる。そこにあらわれているのは、端正な美貌が成長期に身にまとう色気ではなく、吉田都のその練り上げたスタイルから奔出するなまのエロスだった。こちらはその不意打ちにどぎまぎしてしまい、あわてて次のページを繰る。その後のページでも、吉田都のエロティシズムは、目つき・顔つきに限らず、彼女のダンサーとしてのフォームを引き金に、水鉄砲のようにいきなり飛び出して、見る者をあわてさせる。しかし、この不意打ちはクセになる。書店で、書斎で、そしてできれば劇場で、その水鉄砲に打たれたいと思うほどに。

『「できる人」はどこがちがうのか』斎藤孝/ちくま新書

読み始めてすぐに思うのは、この著者の書評・マンガ評、ダンス・スポーツ観戦評を読みたい! ということ。本書は主に『徒然草』、そして村上春樹とマラソンの関係を、「できる人」になるための上達論のテキストとして扱いながら、さらにルネ・ジラールの『欲望の現象学』にメルロ=ポンティ、松本大洋の『ピンポン』、バイクレーサーやダンサーのインタビューなどを引き合いに出す。

 これら多彩にちりばめられた引用郡の鮮やかさには、それぞれをもっと突っ込んで評した一文を読みたいと思わされる。著者が「できる人」になるための上達論を提示していく過程と文体自体が、その明快さ・爽快さにおいて、レベルの高いスポーツの試合のようで、それもまたこの切り口でさまざまな事象を切り取って見せて欲しいと感じさせる要因になっている。

『フィロソフィア・ヤポニカ』中沢新一/集英社

西田幾多郎の「理の哲学」に対して田邊元の「情の哲学」を対比させようとした、のはわかるのだけど対比させ紹介したところで上映時間が終わってしまったという感が。これが『フィロソフィア・ヤポニカ』というシリーズの第一冊で、次巻以降、清沢満之や保田與十郎が紹介されていくというならまだしも、これでは学問の秋の匂いだけを嗅がされたような中途半端な気分になってしまう。

『陰陽師』#10/岡野玲子・夢枕獏/白泉社

 というわけで、『フィロソフィア・ヤポニカ』で満たされない心はこちらで。打って変わってこちらは読むたびに、なにかを探求するためにはなにかを切り捨てなければならないという状況が、セリフから画面に封じ込められた空気感から痛いほどに伝わってきて、切ない。「ダ・ヴィンチ」2001年10月号の「岡野玲子『陰陽師』第十巻徹底分析!」なる特集で、岡野玲子の対談などを読んでから読むと、ますます切ない。というか心臓に悪い。「おまえはそこまで覚悟があるのか」「じぶんはほんとにそうしたいのか」という問いが、身体までをも巻き込んでこだまするのだ。

2001/9月

Mme chevre

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