水上硯の世界

 

以前、『消えたマンガ家』という本で、ギャグマンガ家は創作活動の苛烈さに耐えかねて、作家としての耐用年限が普通のストーリーマンガを描く作家より短くなる傾向があるらしいことを知った。そういえばギャグマンガを描く作家は、その作中でのギャグが強烈であればあるほど、作家活動の途中で作風をものすごい角度をつけて変更したり、あるときからとつぜんその新作が人目に触れなくなっていくということがある。ギャグマンガ好きのわたしたちの頭には、鴨川つばめやいがらしみきお、江口寿史とか岡田あ〜みんといった作家のそうした姿が浮かぶ。

しかし今回はそうしたメジャーな作家はおいておこう。彼らはすでにウェブ内外でじゅうぶん取りざたされているし、また寡作ながら現役であったり、作家として復活しないことを大々的にではないが表明しているからである。今、ここでわたしが採り上げようとするのは、上で挙げたようなメジャーで今でも定期的な作品発表や復活が多数のファンから望まれ続けているようなギャグマンガ家ではない。そんな彼女の名前は水上硯。おそらくほとんどの人が、その名を目にしても覚えがないであろうマイナーな作家だろうと思う。

わたしがはじめて彼女の作品を目にしたのは今から10年以上前だった。作品は立ち読みした月刊ASUKAに載っていた、「神様の失敗 1」。その作品があまりにわたしのツボに入ったので、それから単行本が出るまでの1年以上、わたしはその作品のセリフなどを周囲に話し続けたため、わたしの母などは今でもこの作品の最後のコマのセリフを覚えているありさまだ。

さて、わたしはなぜそれほどにまで彼女の作品に惹かれたのか。今、手元にあるおそらくは彼女のただ一冊のみ刊行された単行本、『マイペースな人々』をめくってみる。わたしの手はふと、「すてきな家族」というシリーズのあたりで止まる。このシリーズを為しているのは、単行本の書名そのままに、マイペースっぷりを貫き通す家族の物語である。この家族の長男、ジミーの「へへ パパ 聞いて驚くなよ 実はオレ エイズらしいんだ」と点描の風を背景にしてさわやかに、しかし目のまわりはクマだらけ、げっそりこけた頬でにこやかに報告する姿… あるいは「街はXmas time」のヒロインで異常に食欲に素直なあまりにも丈夫で頑丈そうな歯を剥き出しにした笑顔… 

彼女の作品は、絵は巧くはないしむしろ生硬とでも言ったほうがいい作風だ。だが、上で挙げたような場面に、わたしは今でも非常に惹かれる。これはなぜなのだろうと思い巡らしていて、わたしははたと思い至った。彼女のこうした絵はわたしに幼児期に慣れ親しんだ、とてもなつかしいあるものを思い出させるのだ。

そのあるものとは、谷川俊太郎訳の『マザーグースのうた』での堀内誠一の描くところの「くるったおとことくるったかみさん」で始まる、あまりにもイッちゃってるがゆえに、悪魔から地獄を追い出される家族の絵である。ほかにも到底、常態とは思えないような人物の姿においては、両者の表現は妙に似通って感じられる。なるほど、これがわたしが彼女の絵に惹かれ、また懐かしさのようなものを感じる原因だったのだ。

とはいえ、これはわたしが彼女の絵に惹かれた理由であり、作品自体に惹かれた理由ではない。わたしが彼女の作品に惹かれたのは、なによりもそのギャグのシニカルさ、そして時には皮肉が過ぎて、作品世界だけではなく読んでいるこちらの世界まで相対化してしまうような痛烈なセリフだった。そして、そうした強烈なセリフの数々は、あの絵によってシニカルさが増幅され、一歩間違えば陳腐に堕してしまう作品世界を、読めるレベルに引き上げていた。この絵と内容の分かちがたく結びついた効果は、彼女の作品の骨子が、思春期特有の妄想の連続体そのものであるがゆえに、たがいに引き立て合い、忘れがたい印象を残したのである。

だが、水上硯はこの『マイペースな人々』のあと、単行本を発表してはいない。その後の作品はある時期までは、少女マンガ雑誌に飽き足らない女子を講読対象としているだろうと思われるホラー雑誌などにときどき載っていたが、それらは単行本にはまとめられていない。ちなみにわたしがそのような作品のなかで印象に残っているのは、セールスマンタイプの悪魔がこまっしゃくれた人間の男の子に失敗させられる話、である。

この作品の悪魔は、ホラー雑誌に載っているにもかかわらず、恐怖の対象として描かれてはいない。それどころか飛び込みのセールスマンのふりをして人間の魂を集めているこの悪魔は、獲物であるべき少年の前で、集めた魂のレベルに応じてあともう少しで支給されるボーナスについて思いを巡らせるような、まるで人間のようなみみっちさを露呈する。この作品においても、水上硯の物事を相対化するギャグという態度は、かつて神様の行動を容赦なく扱ったとおなじように現れる。

まさかこの作品、わたしがはじめて見かけた彼女の作品、「神様の失敗 1」と対を為しているとは思えないが、しかしその後彼女の作品をみかけた覚えがない。わたしとしては、水上硯が現在どうしているかは不明であるし、あのような作品世界の発現は、思春期のある年齢に特有なものなのではないかと思うので、とくに復活を望みはしないが、いまだ単行本化されていない作品だけは、ぜひ単行本化してほしいと思う。

水上硯単行本データ

『マイペースな人々』1990年12月17日 初版発行

著者 水上硯
装丁 久住昌之
発行者 角川春樹
発行所 株式会社角川書店

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