対談式ディスクレビュー

〜川本真琴『微熱』に寄せて〜

 

 

「川本真琴の新譜が出ましたね」

「出ましたね、いつ以来ですか?」

「うーん、時間的にはどれくらいというのがすぐ思い出せないほど間が空いてますが、『ピカピカ』以来じゃないでしょうか」

「しかしこの新譜、以前の彼女にあったようななんというか早口感が薄れましたね」

「わたしもそう思います、ケドなんででしょうね」

「連ドラの主題歌だからやっぱり周りも本人も考えたんでしょうか」

「うーん、それもあるかもしれませんが、わたしは彼女自身の加齢的変化もあるかと」

「と言うと?」

「デビュー当時の岡村靖幸臭芬々たるころと、岡村臭を脱した『桜』を発表したころの曲調が違うように、今度の『微熱』での曲調の変化も、彼女の内面的変化によるものなんじゃないかと」

「なるほど、たとえば歌曲を量産するなかで、連ドラの主題にあった曲を器用に作って歌えるたぐいの歌手とは川本真琴は違うのではと?」

「そういうことです」

「ところでちょっとハナシはずれますが、あなたビブラートのかからない声の歌手が好きですよね」

「えっ、そうですか?」

「自覚がないようですねー、ちょっとCDボックスを漁ってみましょう… うわ、いわゆる歌モノで三枚以上あるのが、っていうか歌モノが原田知世と川本真琴とカヒミ・カリィとハイ・ポジしかない。」

「いいじゃないですか、それがなんか問題あるんですか?」

「ビブラートがかからない声質っていっても、ユーミンとかの主に第二次性徴期以降の心情を歌うおとなの歌手は別に好きじゃないんですよね」

「そういうカテゴリー分けなら原田知世はちがうと思うけど…」

「なんでしょうね、おとなの女性への恐怖とか、ひいては母親による管理への恐怖とか?」「あーもう、なんとでも言ってください」

「はいはい、じゃぁハナシを戻しましょう。『微熱』なんですが、これが以前と違う感じを受けるのは早口感が薄れたほかに歌詞のせいもあるかと」

「それはたとえば?」

「以前の川本真琴の歌詞は、恋する相手に踏み込むことで相手からも浸食されることへの恐れが漂っていると思うんですが、『微熱』ではそういう部分が残りつつも相手と自分の間を隔てるなにかに苛立っている感覚が窺えるように思うんですが」

「それはわたしも感じましたね。以前は『届かない/これって最高の1cm』『他人同士だからこそ一緒にいられるはずさ』と歌っていたのが今回の歌詞では『聞こえる?/感じてる?/五感閉じて知って/抱きしめると世界に弾かれそう/つないでいて』とか『37度2分の発熱/たった、ぽっちの生命さわってよ/君の鼓動にとけない微熱』『こぼれ落ちる強い発熱/1000000回目の太陽/昇っても/哀しい/哀しいね/とけない微熱』ですからね」

「こういう言い方をすると成熟することが人間の進むべき方向だと言ってるようにとられそうですけど、思春期の硬質な殻に覆われたオブジェみたいだった川本真琴も、加齢によってその殻を内側から破る時期に来たのかもしれませんね」

「そうかもしれませんね。でも今回の表現に至る萌芽は『あたしたちって「合って」ないの?/カラダならいっこでいいのに』ってとこにもあったかなと。まぁそのあたり含めてわたしとしては以前のほうが切なくてぐっとくるんですが…」

「そのあたりがあのCDのセレクトに現れてるんじゃ…」

「もうそのハナシはやめましょう(笑)」

「じゃぁ川本真琴には年齢に応じた心の揺らぎを歌っていってほしいってことで」

「だからってそんなありがちなマトメかい(泣)」 

…さてこの対談から二ヶ月後、川本真琴は歌詞の一人称はぼく、一曲20分になんなんとするシングル「FRAGILE」を発表。このふたりがどう思ったかは、機会があったらまた立ち聞きしてみましょう。

’00、月刊アトランダム107/3月号初出・一部改稿

川本真琴CD『微熱』、2000,01,21発売

川本真琴公式ホームページ

http://www.sme.co.jp/Music/Info/MakotoKawamoto/

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