あたりまえすぎることのあたりまえでなさ
〜『ポネット』その後、ほか〜
八月末日:
『チェブラーシカ』を二回も観に行ってしまった。くまのようなモンチッチのような主人公・チェブラーシカが可愛すぎることにより。しかしこのかわいさは、やはり共産主義下の旧ソ連ならではの作、という気が。
チェブラーシカのかわいらしさは、「素性のはっきりしないボク」を始終、うしろめたく思っているらしい含羞に多くを負うとわたしは思うのだけれど、それって、彼の制度のもとでは碁盤目状に人民が素性をはっきりさせ、「なにであるか」を確立することが求められていることのプレッシャーからでは、などと深読みしてしまう。
そしてもちろんそういう方向性を求められるのは、旧ソ連という社会だけではないわけで。はっきり政策として打ち出されない分、その要望は潜在化したかたちでさらに深く強く民主主義国家に暮らすわたしたちを縛っているように思える。
でなければ、「分類のはっきりしないボクでも友達になってくれる?」なんていうチェブラーシカを、いじらしいとは感じないだろう。この場合のいじらしいっていうのはつまり、自分の中にもあるそういう気持ちを増幅させてしょいこんでる、そういうチェブラーシカを支えたくなる気持ちなのだけれど。
◇
九月中旬:
ビデオに撮ってもらっていた『人狼』を観る。ロードショー時に見に行こうと思ったものの、押井守の実写映画のダメっぽさという悪夢が、アニメ映画のほうにまで滲出していたらと思い、二の足を踏んでいたもの。
舞台は第二次大戦後、こうであったかもしれない東京・日本。遅れて来た学生運動家・押井の、抵抗運動へのアンヴィバレンツな感情がじくじくと滲み出してくるような… つまり暗く、救いがない。しかし、作品としては見事だと思う。その見事なデキには、これを映画館で観ていたら、かなりの重圧で心がひしゃげ、もとにもどすのに少しばかり時間がかかるかもしれないと思わせる。映画に屈服させられるという、マゾヒスティックな体験のできる作品。
◇
九月末日:
『ショコラ』をようやく観る。チョコレート好き、『ポネット』の子役が出ているなどの理由で薦められていたのに、これもなかなか見られないでいたのが、折りよく地元の自治体の上映会にかかったので、仕事の後に駆けつけて。
一見したところ、ずいぶん大きくなった『ポネット』のヴィクトワール・テヴィソルは、完璧、ジュリエット・ビノシュの魔術的な魅力に負けている、ように見えた。しかし、「フランスの大竹しのぶ」みたいなビノシュの娘役として、ちゃんと娘に見えるというのは、実はあたりまえのようであたりまえじゃないことなのかもしれない。
それはつまり、フェロモンというあくの強いビノシュの娘としてあたりまえに映るという、あたりまえでなさ、ということなのだけれど。これが『ロスト・チルドレン』のジュディット・ビッテのように、少女で妖婦なタイプの子役女優では、ビノシュとキャラクター的にバッティングしてしまうことになるわけで。…ということはやっぱり、テヴィソルって天才女優?
なお、カトリックの家に生まれて、四旬節に甘いもの断ちをして何度も挫折した身としては、チョコまみれ伯爵@ショウウィンドウのシーンは実に身に沁むというか、うらやましすぎ!
◇
2001/09/29
Mme chevre
|