〜捏造された空想的味覚の記憶について〜
おさないころ、翻訳された絵本や児童文学を読んでいるときに、食べたことのない、あるいは見たこともないたべものが登場してきたとき、あなたはそれをあたまのなかでどう咀嚼して読みすすんでいましたか? わたしの場合、ごくちいさいころは見知らぬたべものが本のなかに出てくると、言葉の表現だとか、さしえの色から、さいきんじぶんがたべたもので、もっとも味の近そうなたべもののことを思い出し、それに本から読み込んだ情報を混ぜ込んでかき回して、なんとかじぶんを納得させ、読みすすんでいました。そのため、すこしおおきくなってから、あるいはおとなになってから、絵本や児童文学のなかに出てきた食べ物を実際に食べる段になって、自分の空想上の味覚と実物の味とがあまりにかけ離れていてびっくりしたことがなんどもあります。そのびっくりするほど実物とはちがったわたしだけのたべものの味は、実物との味の差が激しければ激しいほど、わたしの記憶に強く長くとどまりました。今日は、そのおかしな誤差を引き起こした本のなかのたべものについて、書いてみようと思います。 記憶のなかでの、最初の絵本にまつわる味覚は、「うさこちゃんとうみ」。これは厳密には、出てきたたべものに関しての記憶ではなくて、読むときに口にくわえていたプラスティック製のおもちゃの硬さと匂いとが、絵本のお話と混ざり合った記憶です。この絵本を見るたびに、海で遊ぶうさこちゃんのいる画面のなかの貝の味が、貝+プラスティック樹脂の香りというへんてこりんなものとして記憶された奇妙な味が、わたしの舌のわきによみがえってきます。 さて、絵本のなかのたべもの自体に関しては、たぶん、みんながあのシーンでつばをごくりと飲み込んだ、「ぐりとぐらのおきゃくさま」のクリスマスケーキが、最初に捏造された記憶としての味覚が、わたしのあたまのなかに残っています。わたしのなかでは、あのケーキの黄色いスポンジ部分は、母がよく作ってくれるしっとりとして甘すぎないカトルカールとはちがった、京樽の茶巾寿司のたまご部分のような真っ黄色の極甘で、ブリオッシュのようなふかふかの食感のケーキとして記憶されていました。そしてぐりとぐらたちにサンタさんが作ってくれたクリスマスケーキは、実際に食べることは絶対にできないたべものなので、今にいたるまで、あのケーキの空想的なその味の記憶は修正されてはいないのです。 つぎにわたしがあたまのなかで「こうなんじゃないかな?」と味を想像し、組み立てながら読んだのは、「くまくんのおたんじょう日」で、誕生日にくまくんが作るトマトスープでした。このスープはだんだんに具が足されていくこともあり、おさないわたしのあたまはかなりフル回転しましたが、最終的に捏造されたのは、なぜかほんのり赤い透明なオニオンスープのような味のもの。この味は、のちにミネストローネや冷製トマトスープを食したときに打ち消されました。けれどいまだに「くまくん」シリーズのどの絵本をみかけても、口の中に思い出されてくる、それは飲むに飲めないなぞの味です。 さて、わたしはちいさいころからナッツ類が苦手でした。そのわたしに丸のままのナッツはともかく、すくなくともペースト状のナッツのおいしさを間接的におしえたのは、エッツの「もりのなか」でした。あの「ぼく」と動物たちとのピクシックシーンで、もりのなかのテーブルに載っていたピーナッツバターは、まるでジャンドゥヤのような香ばしいかおりとプラリネのようにねっとりした架空の味で、わたしを現実のピーナッツバターへむかわせたのです。以来、わたしにとってピーナッツバターやピーナッツクリームは、カットされたピーナッツが入っていないかぎり、すきなたべものになっています。 さて、この謎の味の探求は、わたしがもうすこしおおきくなって「ナルニア国物語」シリーズを読むにいたっても続いていました。ナルニアにはその意味では魅惑のたべものはそれこそ多種多様にあったのですが、すでにあるていど、現実と本のなかのたべもののちがいがわかっていたわたしが惹かれたのは、ホットチョコレートでした。父は「ホットチョコレートってココアの別名だよ」と教えてくれましたが、ホットチョコレートがココアとおなじだとは、そのころのわたしにはとても思えなかったのです。ナルニアの世界に入り込んでいたわたしにとってのホットチョコレートを再現しようとするならば、それはおそらく、特濃牛乳にカカオ分45%以上のチョコレートを溶かし込んだような、そんな味になることでしょう。 以上は、おさないわたしが一生懸命、本の中の食べ物の情報を既知の味覚に近づけて整理しようとする過程で飛び出した架空の味です。上に挙げた以外にも、「メアリ−・ポピンズ」でのジンジャー・クッキーや、「インガルス一家の物語」での雪に落として味わうメープルシロップ、にんじんで色づけするバターなどが、現実にそれらのたべものやその類似品を知ったいまでも、忘れられない味として記憶されています。これらの味の記憶は、その本たちをみかけたり読んだりするたびに、甘美な「幻の味」として想起されてくるのです。それもおそらくは、わたしがかってに作り上げてしまったあの味が、決して現実には味わうことができないものだから。そしていまでは、見知らぬたべものを本のなかにみつけても、あんなふうにファンタジックな味を、わたしはもう作り上げることができないからこそ。こんなのって、わたしだけでしょうか? Mme chevre 「うさこちゃん」シリーズについて 「ぐりとぐらのおきゃくさま」について 「こぐまのくまくん」シリーズについて 「もりのなか」について 「ナルニア国物語」シリーズについて 「メアリ−・ポピンズ」シリーズについて 「インガルス一家の物語」シリーズについて |