「泣き」のための綿密な計算

〜ポネット〜

 土曜・日曜には次の回のチケットを求め、チケット売場から階段にまで人々が連なるといううわさのこの映画、「ポネット」。そこで、同行女子と「ハンカチ2枚持ってこうね!」と平日に第一回目の回を見るべく、渋谷Bunkamura ル・シネマへ。結果。ティッシュも持っていくべきでした。

 内容を端的にいうならば、4才の女の子・ポネットが、母の突然の事故死を現実的に受け入れるまで、というもの。母の死が理解できず、必ず戻ってくるはずと、おまじないやお祈りに懸命に励む幼女の姿に、映画館のそこここからぐすぐすと鼻を啜る音が絶えず聞こえます。もちろん、そういう場面でも十分泣けるのですが、わたしが泣いたのは幼児に特有の身体表現や世界感覚が描かれていた部分。

 それはたとえばこんなシーン。前夜のお祈りの結果で必ずや母が表れるだろうと信じて、静かな場所に一生懸命歩いて辿り着くものの、当然ポネットの前に母の姿は現れません。ぐずりはじめるポネットを軸に、彼女の歩いてきた方向にカメラがターンすると・・・。大人なら、ホンの10分で登ってこられるとおぼしき緩やかな斜面のむこうに見えるのは、ポネットが預けられている伯母の家の屋根、という場面。
 そしてまた、母を待つにふさわしい場所への何度目かの家出のため、ひとり全財産−とはいってもどうもぬいぐるみとお人形が一体ずつだけらしい−を詰めたリュックサックを背負って道を急ぐポネット。しかし、幼児のことゆえひとりではなかなかリュックの肩紐に腕が通せず、焦ったような顔で歩きながらなんとか両腕を通し終える場面。

 こうした幼児の世界に特有のものごとの描写が、執拗なほどに繰り返されることによって、わたしは次第に、自分がそうした視点を持っていた頃に引き戻され、ポネットの悲しみに目を腫らすことになったのです。たぶん、ほかの観客の涙のいくらかも、そんなふうに引き出されたのでしょう。泣きたい人にはおすすめです。でも、思いっきり泣きたい人にはヴィデオ化された暁に、家庭のテレビ画面での鑑賞がおすすめ。たぶん、自宅のテレビでひとり、観ていたら、わたしはわんわん声をあげて泣いたと思います。つまりわたしはまんまと監督の演出意図にはまってしまったというわけ。この映画の、ほとんど巧妙とさえいいたいほどの、「泣き」に向かって計算し尽くされて配された、幼児の見る世界の断片には脱帽です。
しかし恐るべきは、監督よりもむしろ、その演出を忠実に表現したであろう、ヴィクトワール・テヴィソル。「いとけない子ども」を演ずるにふさわしい可憐な外見に加え、4才にしてこの演技力。'95のフランス映画「ロスト・チルドレン」主演少女女優・ジュディット・ビッテに続く名子役といえましょう。こんな強力な子役を次々繰り出すフランス映画界はいったいなにをたくらんでいるのやら。

Mme chevre

映画『ポネット』データ

原題:Ponette、'96年フランス映画
監督・ジャック・ドワイヨン
ポネット役のヴィクトワール・テヴィソルは
'96ヴェネチア国際映画祭・主演女優賞受賞

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