一粒の砂のうちにも一つの世界を見、
一輪の野草のうちにも一つの天国を見、
てのひらに無限をつかみ
一時間のなかに永遠を持つ。
ブレイク
ミクロコスモスというのでしょうか。このような思考は、あらゆる所でさまざま見つかります。一念三千、一中多、一即多、最大者と最小者の一致、世界の様々な宗教や思想など、しばしば見受けられる思考です。こんな言葉に出逢うと、何となく悟ったような気になったりして感激したりしませんか。
でも、この思考は曖昧でで、誤解されがちです。ブレイクの詩では、「卑近な生活のひとこまにも宇宙の摂理を見いだし、意味ある人生をおくる」という意味として、受け取る事が出来ます。 しかし、それはひとつの解釈で、さらにそのような解釈を成立させる、世界の構造を考えると、別の解釈もうまれます。
このような思考が展開された文章を、数多く読んでみると、陳腐な解釈や誤解や論理的な誤りのあるものが少なくないのです。「砂粒を顕微鏡で見たら、城郭都市が見つかった。」みたいな脳天気なのは論外しても、「一細胞の中に全宇宙の歴史がしまわれている」といった事を言い切ってしまう生物学者は、困り者です。
誤解の原因は「なかに」という言葉の意味を混乱させて用いているからです。「一粒の 『なかに』 宇宙が」「一輪の花の 『なかに』 天国が」「一瞬の 『なかに』 無限が」という時の『なかに』という言葉を「袋の 『なかに』米がある」「動物の 『なかに』 人間がいる」という集合論的な包含関係と考えてしまえばあらゆる迷妄がうまれていまきす。この事が分からない人が多いのは困ったものです。
では、どのように『なかに』という言葉を解釈したら良いのか。今回は答えない事にします。読者のみなさんに少し考えてもらう事にしましょう。
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