なと氏・よもぎ・編集長の古典講座「梁塵秘抄1」
【本日のテーマ 梁塵秘抄より】
遊びをせんとや生まれけむ
戯(たはぶ)れせんとや生まれけむ
遊ぶ子どもの声聞けば
わが身さへこそゆ揺るがるれ ※
るれ=自発の助動詞 動き出す
【なと氏の解説】
ええと、今回は梁塵秘抄の有名な歌を取り上げます。ちょっと基礎的な事を解説しておくと、梁塵秘抄は「今様」と言う、現代で言えば流行歌を集めた歌集です。編纂させたのは、「後白河院」(1127-1192)。
天皇になり、さらに後に院政をひいてからは、政治の渦中の人だったけど、若い頃は気楽な立場で、歌やら学問やらいろいろ遊びやらで暮らしたらしいと伝えられている。仏教に熱心な一方で、文学・芸術にも力をいれ、笛を吹いたり、謡ったり、非常に多才な人だった。
【編集長】
笛吹くやつって、脳天気と言うか、気が多いと言うか、才能あるけど、気まぐれな人が多いけど。そんな人?
【よもぎちゃん】
誰かと混ぜないでよ。で、「梁塵秘抄」ってどう言う意味。「梁(はり)に塵(ちり)」がどうのこうのって、汚い名前だけど。
(蛇足・補足)編集長は笛吹が趣味です。・・
【なと氏】
・・・でなくて、これは古代中国に虞公と韓娥という美声の持ち主が歌うと、あまりの響きに梁の上の塵が舞いたったという故事にちなんでいる。歌集の最初にこの事は書いてある。
さて、今日の歌はどう解釈する?
【よもぎちゃんの解釈】
「子供は遊ぶために生まれてくる。子供の遊びをみていると楽しくなるね。」という意味でしょ。現代訳してみたぞ〜。
遊びのために生まれたぞ
いたずらするために生まれたぞ
悪ガキどもの声きけば
おいらも一緒に暴れ出す
よもぎ作
【なと氏】
・・・・・まあ、過激な解釈だけど、あたっていない事もない。よもぎちゃんは「じゃりんこチエ」風だからな。まあ、確かに、こういう解説をする学者もいる。
【口語訳1】
私たちは遊びをしようとしてこの世に生まれてきたのだろうか?それとも戯れをしようとしてこの世に生まれてきたのだろうか?無心に遊んでいる子供たちの声を聞いていると、自分の体も自然と動き出すように思われる。
小学館版「日本古典文学集」より
【編集長】
もっと暗い歌だとも聞いたけど。なんだか風俗営業の女達が、我が身を悲しんでいる歌だとか。まあ、今の演歌みたいな感じだとか。
【なとさん】
そう言う解釈もある。確かにこの頃の「遊び」という言葉には、そのような意味合いが強く、梁塵秘抄にはそのような境遇の歌も集められているから、正統な解釈と言えなくもない。次のような解釈だ。
【口語訳2】
私は、このように「遊女」として遊び戯れるために生まれてきたのだろうか?今、部屋外の路地あたりから聞こえてくる無心な子供たちの声を聞いていると、私の境遇や過ぎ来し方が、悔恨を伴って身を震わせることだ。
【よもぎ】
どっちなの。これじゃ、童話と、ネオン街のおねえさん達の演歌との違いがあるはね。
【なとさん】
実は、今の所、どちらでも解釈できてしまう。文献をどうこう調べても、ちょっと推定する手だてがない。だいたい、この歌集は、今で言えば、賛美歌から演歌まで何でも掲載されてる、「なんでも歌集」で、仏教の教えの歌から、博打の歌まで、ごちゃまぜなのだ。だから本当の解釈は良く分からない。今の所、「好きなように解釈してください。」と言う事で・・・
【編集長】
暗い解釈して、意訳すると、こんな演歌になるかな
夜の町が定めの私 ♭
戯れ事にみをやつす
若いうちは良いけれど
いつか身体で泣くときが
ああ、今日も
ネオンの夜は更けていく ♪〜
編集長作
【なと氏】
何時の時代の演歌だか・・。しかし、ふたりとも解釈過剰。古典と言うのは、現代の感覚で解釈するのは危険な場合が多い。この時代の、人々の暮らしや、風物、心情などを緻密に考証する必要がある。
ただ、この時代に正当な解釈をしようとすると、人々の暮らしについては実に史料がなくてね。逆に、この梁塵秘抄や「今鏡」などの中にしかよりどころのない庶民の様子も少なくない。梁塵秘抄を「歴史の裏街道に咲く雑草」なんて言う研究者もいる。
【よもぎちゃん】
ふ〜ん。偉い人の詩とか残るけど、遊び歌とか、漫画みたいのは、みな棄てちゃうからね。
・・・では、最後によもぎ風をもうひとつ。「お母さんと一緒」の童謡風だぞ〜。
遊ぶために生まれたの ♪
ちょっといたずら許してあげる
ボクたん遊ぶのみていると
私も、一緒に踊りたい ♯
【なと氏】
・・ええと、(無視の様子)今日はおしまい。次は同じ梁塵秘抄から
仏は常にいませども
現ならぬぞあはれなる
人の音せぬ暁に
ほのかに夢に見えたまふ
を解釈します。ふたりとも良く考えておくこと。どうせ変な歌作るなら、韻までふんでちゃんと作ること。
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