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     メイルマガジン 「ミクロコスモス」  総合版
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              2002/5/28
           ミクロコスモス編集部
            編集長  森谷

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    今日のエッセイ
 
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    なにもしないでいる

    それが苦痛ではなくて

    当たり前のこと

    楽しいと思える場所が

    ここにある。




 先日、せっかくの休みだからと、近くの文学記念館にいきました。こんな風に、「せっかく」という言葉で、人は何かをしないでは、いられなくなってしまうのは良くないとは思うのですが。

「せっかく」という観念は、きっと「時間の病」なのひとつなのでしょう。そう感じてはいましたが、なかなか逃れられない人の性です。

でも、でかけた先の、その空間と時間が、この観念にとらわれている事を、叱ってくれました。

その明治から大正にかけての雰囲気の建物は、庭の緑も、ガラス板も、空気も静かで落ち着いていました。

 何もしないでいられる。そんな空間が、ここにある事を発見しました。なにもしないでいられる空間と時間は、人間にとって最高の価値あるものかしれません。

気がつけば、案外と近所にみつかります。・・・あるいは、自分の家のなかでさえもでも、ちょとした工夫で、作り出す事もできます。

それは、くつろぎの場所とかとは違うのです。時間が止まった空間とか、無の空間とかではないのです。もっと堂々とした、音がないのに音楽的で、言葉はないのに語りかけてくる・・そんな楽しい充実した時間と空間です。近くにある筈です。必ずきっと。

編集部近くの具体的な、ある文学館なのですが、他の人がそこを、訪れたとしても、決して「なにもしないでいられる空間」であるかどうかは分かりません。自分でも、別の時に行ったら、そうでない事でしょう。騒がしい人が、ひとりでもいたら、駄目だし、その日の光の様子や、自分自身の気分などで、そういう空間に出会えるものだからです。

何でもできる、とても活動幅の広い人に、「どうしたらそんなに何でも出来るようになるのか」と、ある人が訊ねたそうです。そしたら「何もしない時間をもつ事だよ。」と答えてくれたそうです。

きれいに部屋を片づけて、明日の用意もして、なにもかも余計な事を済ましてしまい、「何もしない時間と空間」とめぐり逢う・・・人生の目的のような気もします。

                          し/あ
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【編集長より】

し/あ  は編集長本人のサインですよ。覚えておいてください。
しんたに / あきかず の略です。
読み方を変えただけですが気に入っています


森谷氏は、なんだかいつも動いてばかりいると、人から思われているようですが、本当は、のんびりしていて、何もしない「ぼうっとした」気質なんですよ・・・・

 
    編集長  森谷 昭一 

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      きょうは、ここまで。
             ではまた。
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【編集部】
 

  ミクロコスモスロス出版 メイルマガジン編集部

     編集長  森谷 昭一

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