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 ミクロコスモス総合版2004年9月19日「球体の中の私」
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             発行 ミクロコスモス出版
 
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 詩作研究室「球体の中の私」
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   私は浮いている

 私という球体の中で私が浮いている
 ああ、球体にはいくつもの穴が開いている
 そこから、光やら差し込み、
 そこから、風やら吹き込む、

 こうして、私の中で私が跳ね返され
 どちらとも分からぬ無重力の中で
 飛ばされ、何かをつかもうとする
 よりどころのない私は、止まる事が出来ない

 必死の思いで、開口部にしがみつくと
 一瞬だけ、言葉が聞こえてくる
 もうひとつの球体が覗きこめる
 こうして、わずかだけ私と交差する他我

 やがて、球体は見知らぬ力に流されて
 穴はずれるように裂けて離れていく
 私は、また定まらぬ空間に振り落とされると
 めくるめく蠢く万華鏡模様の世界
    
       
            みずめ やよい 
            「私をみつめて」より

【解説】

 この詩の「球体」とは、自己あるいは肥大自我と呼ばれるものでしょうか。社会的自己、あるは演じられる自我と言えるものです。それは自らの支配の及ばない領域です。

その球体に閉じこめられて、もがきながらも位置を定められぬ「私」がいます。真の自己とも言えるかも知れませんが、正体の知れぬ宙に浮き上がった自分です。

 人と人が出会い、そしてふれあうと、球体に穴が少しだけ開くようです。球体と球体が接触する時、ふと小さな穴が開くのです。定まらぬ「私」は、その穴からの光と風を求めて、穴にしがみつきます。つかの間の「ふれあい」なのでしょうか。しかし、球体は運命とでも呼べるような流れに動かされていきます。必死で捉まっても、いつかは自己の腕の力がつきる時がきます。

穴が閉じて、球体の無重力空間に落ち込むと、そこは内面世界。人の内面とは暗い静かな空間などではなく、無限の映像と音響が蠢く空間です。万華鏡のようとも、流し絵の乱れ模様とも、曼陀羅世界のようとも言われます。生まれてからのあらゆる記憶、あるいは原初からの記憶の断片が交錯し、思考のパターンが繰り返し模様を作ります。

時に悪夢として見るような映像も、実は本来の先天的に人に与えられた世界なのです。その内面世界は、あまりに広く複雑で、人はどんなにもがこうとも、「私」は、球体からは出られないのです。

異様な人間観のように思えるでしょうか。でも、この球体の世界の存在に気づかない限り、人間の真の姿は理解出来ないでしょう。

【編集長より】

 切断面の響きの「詩作研究室」に寄せられた詩作品ですが、ある程度のまとまりを見る事ができますので、そのまま受けとるべき完成作品として、ここに紹介させていただきます。

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      今日はここまで ではまた。
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【お知らせ】
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ミクロコスモス出版  ミクロコスモス編集部
   編集長  森谷 昭一   

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