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 ミクロコスモス総合版2004年8月27日「位相が合わない」
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             発行 ミクロコスモス出版
 【はじめに】

 今日の話は疑似科学と言われる類です。その点心得ておいてください。疑似科学とは、科学の形を装った思いつきの言明の類で、多くは真実ではないが、人生を考える手段やちょっとした楽しみにはなるものです。小説に対するような気持ちでも、読んでください。
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    位相が合わない
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 「波長が合わない。」という言い方がある。どうも、調子の合わない相手に対して用いるが、この「波長」という言葉は物理学の用語である。波の長さを言う。

周波数とほぼ同義語である。さて、波の三要素として、波の「波長」「振幅」「位相」があるが、この用語を人間関係に適応してみよう。少し物理の勉強も兼ねる事にする。


【波長が合わない】

しばしば、「あの人と波長が合わないんだ。」との言い方をする。波長が合わないとは、どういうことだろう。物理の世界で「波長が合わない」とどういう事になるか。波長の故異なる波が出会うと、「うなり」が生じる。

波長とは、波の長さである。媒体が同じなら、波長は「周波数」に反比例する。周波数とは一秒あたりの波の数である。波が短いほど、繰り返しの数が多くなり、周波数は大きくなる。だから、波長は時間に関係する。長さの単位で測られるが、時間あたりの繰り返し周期と同一のものだ。

この波長がわずかに違う音を出すと、「うなり」を生じる。きちんと同じ音を出すフルートの音はきれいに聞こえる。でも、ちょっとずれると、びりびりと言う音が聞こえるようになる。これがうなりだ。さらにわずかな違いになると、う〜ん、う〜ん、と聞こえるようなうなりになる。

ギターの調弦をしたりする時は、このうなりが無くなるようにネジを回して調節する。とにかく波長の違う波がある所には「うなり」が生じる。

人間の場合、波長が合わないと、やはり「うなり」が生じるのだろうか。不協和音をたてるとの言い方があるが、不協和音と言うのは、周波数が違うため、うなりが沢山生じている音程の集合を言う。波長が合わないと、二次的な波が次々と生じてくる事になる。

確かに、波長が合わない人間関係だと、雑事が増える事は多いだろう。面倒な事ばかりおこるのが「うなり」なのだろうか。

 人間関係の波長の違いは、もう少し別の意味で言われるようだ。「波長が違う」と言い方は、どうも「時間感覚」の違いを示す場合が多いようにも思える。

「僕がしばらくしたらね、と言ったのに、彼女は怒っている。僕のしばらくは、一週間の意味で、彼女は3日程度らしい。」

そんな、具合に人間は、時間に対する感覚は生まれつきのもののようで、人ごとに異なる。簡単に言えば、「せっかち」と「のんびり」の違いを波長が合わないと言っているかもしれない。

 しかし、時間感覚の違いは、人間関係では大きな違いだ。「波長の短い」人間は、「波長の長い」人間に対して、いつもイライラしてしまう。逆の場合は、相手をどうも騒がしくて落ち着きのない人間と受け取る。波長の違い、つまり周波数の違いは、人間関係の場合、かなり偉大な相違ではある。

 もうひとつ、波長の違いは、その人間の心身の浮き沈みの波動の違いと言う意味で使われる事もある。一時「バイオリズム」が流行したが、なんらかの「生物時計」が人間には仕込まれていて、人により微妙な違いがある事は確かだ。

 波長の違う波の場合に、うなりが生じるが、これはふたつの波の合成により、第三の波が生じる事である。高い音と、少し低い音がうなりを生じると、うんと低い第三の音が聞こえる。

 この第三の音は、周波数の最大公約数みたいな波が生じたものだ。3日のバイオリズムの人と、2日のバイオリズムの人が出逢えば、両者が一致するのは6日に一回という事になる。5日と7日だったりすると、35日しないと一致しない。この一致する周期が第三の波になる。

 なんだか知らぬが、毎週会う人と、年に一度の人がいたりするのは、うなりが原因かもしれない。どういう訳か7ヶ月に一度会う、などと言う関係があったら、一度ふたりのリズム周期を調べてみたら面白い。

 まあ、波長の違いと言うのは、それぞれの固有振動のようなもので、あまり変えようのない場合が多いので、波長の適切な組み合わせの人を捜すしかないのだろうか。


【振幅が合わない】 

 さて、「振幅が違う人間関係」と言うのは、どんなものだろう。物理の場合、「振幅」の違いは、「吸収」という事になる。波長と位相が同じで、振幅の違う波は、合成されてひとつになってしまう。そして足し算されていくが、これが1+1=2にはならない。

二台のバイオリンが違う音を弾くと、大きく聞こえるが、同じ音を弾くと、さして大きな音にならない。8人のオーケストラが、4人のオーケストラの2倍の音の大きさになると言えば、そうはならない。

 少し面倒な関係なのだが、単純化すると、大きな振幅の波に、小さな波は吸収合併されてしまうと思っても良い。小さな声の側で、大声を出せば、小さな声は聞こえなくなる。

 人間関係の場合、振幅の違いとは、人間のスケールの違いになるようだ。ふたりの人間が「よし、なにか世の中で、でっかい事をやろう。」とか話し合っても、「でっかい」の意味が、個人により随分と違う。

振幅の大きな人間の「でっかい事」が、世界を又にかける国際ビジネスだったりするのに対し、振幅の小さな人間には、町内でのイベント活動だったりする。まあ、波長が同じで、振幅の違う人間出会いは、どうも物理現象と同じで、吸収合併、大きな方に小さな方が飲み込まれる事になるのだろうか。

 しかし大きさの違いが、破局になる事もあるだろう。「あなたの心は大きすぎて、私の小さな心は、住む事が出来ない・・・」なんて事もある。

逆に「ああいう小さな幅の上司の下では、君のような大きな人間は、活動できず、潰される。・・・」なんて事もあるだろう。

 人の振幅は、訓練や努力によって変えられるので、どちらかが合わせるようにするしかないようだ。


【位相が違う】

さて、あまり聞き慣れ違いかも知れないが、波にはもうひとつ「位相の違い」というものがある。これは、波長と振幅が同じで、波の出発点が違う場合である。波の始まりがちょっとだけ「ずれて」いる場合である。

 時間感覚も、人間的な幅もよく似ていて、とても良い仕事仲間になれそうな人、良い伴侶になりそうな人だったりする人と、どうも「出会いが悪い」と言う場合がある。どこか、惹かれる合うのに、予定が合わない。

あるいは、タイミングが合わない仲というのがある。位相のずれた恋人なんてのは、どうも悲劇の主人公になりやすい。ロメオとジュリエットの物語など読むと、まさに二人は、僅かな位相のずれで、破局に向かっていく。

物理の場合、位相が違うとどうなるだろうか。簡単に説明すると、「もわれ」を生じるのである。光の場合「干渉縞」が出来る。二枚の良く磨いた二枚のガラスを合わせると、縞模様が見えたりする。

これは、二枚の「すだれ」や「レースのカーテン」を重ねると、奇妙な縞模様が見えるのと似ている。位相が違う二つの波が合成されると、強め合う所と、弱め合う所ができて、縞模様が出来る。

 「複雑な人生模様」などと言う言葉があるが、「位相の違い」による。求め合う人間達のずれが、社会全体にみせる干渉縞が「人生模様」という事なのだろうか。

 池や、湖などの波を眺めていると、不思議なさざ波の模様が見える。これは、位相の違ういくつかの波の合成による干渉模様である。オーケストラの音や、太陽からの光などは、もともと位相は合っていない。

干渉縞は出来ても複雑過ぎると、一体化してしまい集団としての白色光になる。普通に見る光や、日常の音も、位相はまちまちなままの波動の集合体である。

 光で位相を合わせたらどうなるか。それが「レーザー光線」である。ルビーや特別なガスの中で発光させると、位相が一致した波が出てくるのである。

レーザー光線は、きわめて強烈な力をもつ。ご存知のように、細い光が月まで届くし、上空の飛行機を打ち落とす事も出来てしまう。位相の違いにより、弱め合う事をなくすだけで、強力な力をもつ波動を生み出す事ができるのだ。

 位相の違う人間同士が、位相を合わせるにはどうしたら良いのだろう。それは「無理して合わせる」しかない。もし、「生涯の理想の人だけど、どうもタイミングが合わない」なら、一方的に、仕事も何もかも投げ打って、その人の元に走るのが良い。

一度自分の波動を消して、相手の波動にあわせて、ずれを解消するしかない。「人生で、ここだ。」と思った時に、すべてを停止して、何かに合わせる。そんな事を説いた言葉があったが、位相を合わせる作業なのだろう。

しかし、そんな行為そのものがの位相がすれていたら、さらに大きな悲劇かもしれない。何もかも棄てて、その人の元に行ったら、その人には・・・、そんな悲劇は数数え切れない。

ロメオとジュリエットも、単に位相がずれていただけの物語ではない。位相のずれを解消しようとして、すべてを棄てて恋人の元に行こうとした行為そのものが、位相がずれていて、巨大な悲劇となる。そんな、運命の何重にも重なる位相のずれを描いたのがシェークスピアの悲劇なのだ。シェークスピアは偉大である。

【自然の波】

 レーザー光線のように強制的に位相をあわせてしまえば、人間社会の人生のまだら模様など無くなって、好ましい思うかもしれない。しかし、位相が揃うというのは、あまり自然な事ではない。

 ルビーレーザーの発光の原理は、結晶の斉一性である。同じ分子が幾何学的に並んだ構造から、位相の合う光は発光される。どうも、ナチスドイツの大会に整然と並ぶ兵士を思わせる。確かに、波長も、振幅も、位相でさえも統一しようとする軍隊や、画一的な組織は、時に強大な力すら生み出す。位相の合う波動というのは、きわめて人工的で、自然界では例外的な存在である。

 自然の光や、音の世界は波動も振幅も位相も違う波動の入り交じる世界である。その複雑な世界で、位相のずれが、時にシャボン玉の虹や、自然の虹のような美しい光景をみせてくれる。

 人間の世界も、どうもあまり強制的に振幅も波長も位相も合わせない方が良いのかもしれない。人生は、実に複雑である。人も多様である。世界全体の合成波の描く人生模様のなかで、うまく波動をみて、わずかに自分の波動を調節して、さらに美しい人生模様を描いていくしかないのだろう。

 海の波をみつめてるとと、いつまでも飽きない。池の波を眺めていても、何かを考えさせてくれる。どうも、人間は波をみながら、人生と社会の波動を乗り切るすべを感じ取っているのではないか。自然の波と自らの波を合わせて、どんな模様を描く事ができるか、無意識に波を重ね合わせているに違いない。

 人生の波動が壊れているようなら、どこかで自然の波をみつめてみたら良いかもしれない。自然の波の位相差が、生み出した存在物が人という生物なのだから。

【執筆者より】

長くてすみません。本当は、波の図ととか、入れればずっと分かりやすいのですが、WEBにのっけてもらう時までに、図とかも用意します。波動について、興味をもった人は、今度「いちもんめ講義録」で解説する予定です。

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      今日はここまで ではまた。
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 どでかい台風が来るそうで、高潮が心配だとか・・・編集部家屋が心配だ。昨日時点で、もう間際まで波来てましたから・・・・

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ミクロコスモス出版  ミクロコスモス編集部
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