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ミクロコスモス総合版2004年7月16日「ミクロコスモスな人」
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発行 ミクロコスモス出版
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ミクロコスモスの意味
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とてつもなく大きな事と、とっても小さいことは真実なんだ。
でも、中間あたりのものは嘘や間違いが多いね。
「るみのりす」物語より
文脈が分からず、このままでは意味不明です。詳しく説明しましょう。
とつても小さい事って、ノコギリの持ち方とか、ゴミ袋の縛り方とか、バイオリンをもつ指の位置とか、塩を振るときの腕の振り加減とか、町内のどこにどんな樹木があるかとか、洗濯物を干す時の並べ方とか・・・、まあ細かい事です。
うんと大きな事つて、
「地球が融けちゃってから、次の星が出来るまで、原子はどこを漂っているのかなあ ?」
とか、
「宇宙に『いのち』ってものがなくなって、次にはどんな形式の運動体ができるのかな ?」
とか、
まあ、そういうこと。 哲学と言うか、宇宙の事と言うか、ずっとずっと先のとてもとても大きなこと。
人間が生きていくには、うんと大きな事と、小さな事だけを考えていればいいんです。
中間あたりの事って、まあ政治とか、経済とか、新聞とかにごちゃごちゃ載っているようなことです。
大きな事と小さな事がしっかりしていれば、真ん中のあたりは本当なるようになる。大きな事と、小さな事に針を打って、糸を張れば、途中あたりの寸法は自然と墨つけ出来るから。
世界を本当に美しく作り上げていくのはは、大きな事と小さな事に全身を向けている人。真ん中あたりの事は、それが出来ない人にも参加してもらうため。
時々、真ん中あたりしか出来ない人が、世界をつくっていると錯覚したりするから、気をつけよう。
本当に世界を作り上げている人は、耕したり、木を刻んだり、野菜を切ったり、とにかく手を動かしている人。それから、うんと遠い世界から、美しいものや、役に立つもののイメージやアイデアがやって来るのを捕まえようとしている人。このどちから。または 両方を兼ね備えた人。
真ん中あたりで、取り仕切ったり、命令したり、調整したりするのは、大きなことと小さな事を繋ぐためにする事。真ん中あたりは、空っぽなんだけど。
だから、本来真ん中あたりの事だけをする職業はありえない。そんなの、人から騙されて据えられているか、人を騙して奪っているかのどちらかだ。嘘が多い世の中になると、そんなのが増えてしまう。そんな世では、真ん中に近いほど、高い地位だったりするから奇妙だ。何にも出来ない人は、人に命令しかできない。その寂しさを知ってか知らずか、虚勢を張るのに懸命になる。
現場を忘れない経営者がいる。社長がノギスもって機械の前で考えていたら、その会社は信用できる。校長先生も授業をしていたり、校庭で子供と遊んでいたりするのは当たり前なんだけど。どんな、「真ん中の仕事」についても、小さな事に触れ続けて、大きな事を受けとめようとしているなら、それは嘘の仕事ではない。
「ミクロコスモスな人」って、大きな事と小さな事ばかり考えていて、真ん中あたりの抜けているぼっとした人って意味だけど、こんな意味もあるんだ。
「ミクロコスモス」の意味を時々は想い出してください。ミクロコスモスが政治や経済や社会問題なんかを扱わない理由が分かったかな。本当は、そんなもの不必要なんだ。
だけど、嘘が多い世の中だと、力のあるミクロコスモスな人って、どうも馬鹿に見えるらしくて、虐げられやすい。まあ気にしないで、大きな事と小さな事だけ考えていればいいんだ。
ミクロコスモスな人って、夜は天の川をずっと見ていて、昼は河原の石ころの形に見とれていて、・・・だから馬鹿に思われるのかな・・・・
さあさあ、またまた楽しい美しい事を探していこう。とっても笑える馬鹿馬鹿しい事考えよう。遠い遠い未来をみつめて、難しい事でも乗り越えていこう。
ちょっと、暑くてくたびれ気味ですが、ミクロコスモスは、どんどん続きます。ミクロコスモスの趣旨を時々想い出すために書きました。
夏用のミクロコスモスのテーマ詩のひとつを、久しぶりに想い出してください。谷川俊太郎の詩です。
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美しい夏の朝に 谷川俊太郎
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美しい夏の朝に
巨人になりたい
この山々を
・・・・・
中略
一匹の蟻になりたい
露草の迷路に果てなく迷い
いつまでも迷いつづけ
それでいい
この美しい夏の朝に・・・・・
との詩ですが、ここでは、全文引用は出来ませんので、各自谷川俊太郎詩集よりご参照ください。
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今日はここまで ではまた。
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【編集長より】
暑いよう〜 でも、ちょっと200メートルばかり高い山の森にいくと、涼しくて、風がさわやかです。最近は、夕方は山の中の誰もいないトンネルみたいな所でフルートの練習しています。こんなに暑いのは、人がこんなに混み合って生きているからに違いない。山の中で、分散すると涼しい。
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ミクロコスモス出版 ミクロコスモス編集部
編集長 森谷 昭一
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