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ミクロコスモス総合版2004年7月5日「時を隔てた対話1」
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発行 ミクロコスモス出版
編集長 森谷 昭一
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連短 時を隔てた対話 1
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【シリーズの始めに】
一週間ごとの対話
日ごとの対話
一万年ごとの対話
千年ごとの対話
百年ごとの対話
一年ごとの対話
秒ごとの対話
ナノ秒毎の対話
朝晩の対話
夜ごとの対話
3ヶ月ごとの対話
257日毎の対話
一億年を隔てた対話
季節毎の対話
3日おきの対話
76年ごとの対話
永遠を隔てた対話
1日おきの対話
毎日の対話
一分毎の対話
対話という言葉に様々な長さの時間をつないでみました。こうして、並べてみるだけで、言葉から様々な事が思い浮んで来ます。
何か不思議ですね。時間の長さごとに、違う世界が想いに浮かびます。一週間とか、数日の長さだと、どうも生活の臭いがしてきます。井戸端会議ってのが昔あったそうですが、毎日の対話でしょうか。
一年、数十年と長くなると、人生論の世界です。「542日隔てた対話」とか、具体的な数字が入ると、小説やノンフィクションの物語が始まりそうです。
百年、千年となると、どうも宗教的なものが感じられるようになります。人間の寿命を超えれば、死者と対話する事になりからでしょうか。
何億年まで大きな数字になってしまうと、人間世界を離れて、地学や天文学の世界になります。そんな世界での対話とは何だろうと考えます。秒以下の極めて短い時間も、どんな存在が対話をするのだろうと思います。
こうして、数字を眺めていると色々と想いがわき、小説やエッセイが書けそうです。そこで、ミクロコスモス編集部では「○○毎の対話」と言う題で、「連単」を企画しました。「連短」というのは、連続短文のことで、連歌のエッセイ版でしょうか。
同人と一部読者から募集したものが集まってきましたので、順次紹介します。
【1年ごとの対話】
年に一度、牽牛と織女は七夕の日に、天の川を渡って会うという事になっています。一年一度の対話です。一年に一回じゃ可愛そうだと思うかもしれません。
でも、ある天文学者が、星の一生を、人間の年齢に比べて計算し、ふたりの会う時間間隔を置き直してみました。そしたら、ふたりは3秒に一度の頻度で逢っている事になるそうです。星の年齢からすれば、一年は数秒なんですね。3秒に一度、いちいち川を渡って愛を語っているとすれば、ふたりはかなり忙しいんじゃないでしょうか。
年に一度しか会えない恋人に同情してか、七夕にはちょぴり寂しいけど優雅な雰囲気が漂います。でも、3秒に一度会っている騒がしい恋人同士には、どうも同情できません。
朝な夕なに電話しては対話をするのが恋愛初期症状ですが、愛の成就とともに、対話間隔は伸びていくようです。成就しすぎているのか、牽牛・織女並に、年に一度程度の分量しか対話がない夫婦も多そうなのが、ちょっと怖いですね。
すみません・・七夕の雰囲気壊してばかりで・・・
年に一度の逢瀬で続く愛・・やっぱり浪漫なのでしょうか。
【300年隔てた対話】
西暦2004年の今、私達はバッハの音楽を聴いています。生年は1685年です。こうして過去の音楽を聴くことは、三百年隔てた対話なのでしょうか。
バッハは当時では演奏不可能な曲をつくりました。演奏されずに埋もれた曲もありました。数百年の間に演奏技術の進歩により、今それが音になって私達の耳に届きます。
演奏とは作曲家との対話だ言います。作曲家は演奏者を通じて、聴衆に語りかけます。
演奏される事が期待出来なくても作曲したバッハは、遠い未来と対話していたのでしょうか。
彼の思いは、もう分かりません。でもバッハを聴いていると、確かに何か永遠なるものと対話している気持ちになる事は確かです。演奏すればするほど、聴けば聴くほど何かを発見して、語りかけてくるものがみつかります。
彼が交わした永遠をとの対話を私達は今聴いている。私はそう思います。バッハを聴くと、時を隔てた理解の厳しさ、古典を聴く深遠さを感じるのです
【編集長より】
連短ってなんだか分かりましたか。こんな具合の、短いエッセイの共同連作です。読者のみなさんも、是非ご参加ください。
しばらくテーマは「時を隔てた対話」ですから、「○○ごとの対話」のような題で、短文をお寄せください。
締め切りはありません、多分今年中は続いていると思います。
練炭と連短はまったく関係はありません。
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今日はここまで ではまた。
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【編集長の御近所情報】
大変だ〜。海岸が融けていく〜・・・・ちょっと大げさですが、本当です。編集部のある小田原御幸が浜の海岸は、この前の台風の時に、高潮のせいだか、海岸が崩れて激変してしまいました。下手に朝の散歩なぞしていると、さらわれます。
今年は高潮の心配があるとのニュースでしたが、なにやらもう現実化しています。それほどの波ではなかったはずですが、海水が湘南バイパスのコンクリート壁まで、押しよせて、防潮扉の中まで大きな石ころが流れ込んで来ました。扉を閉める所もあって珍しい事なのです。
地球温暖化が遠因では・・とも思いますが、こう身近に迫ると、ちょいと焦ります。なんせ、編集部は海岸まで300歩、海抜たしか5メートル程度だったか。
もし、小田原地方の高波災害のニュースが伝わって、ミクロコスモスがずっと来なくなったら、編集部と編集長はコンピューターごと流されたと思ってください。
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ミクロコスモス出版 ミクロコスモス編集部
編集長 森谷 昭一
★ 編集部宛メール micos@desk.email.ne.jp
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