─────────────────────────────────
 ミクロコスモス研究学園報2004年6月23日「分析について」
─────────────────────────────────
             発行 ミクロコスモス出版
             編集長  森谷 昭一
  ────────────────
  文章の書き方  分析について
  ────────────────
                  杉根葉三


 「かんじんな事は目に見えないんだ。」

サン・テグジュペリの言葉です。この言葉が好きな日本人は多いようです。しかし、私は「目に見えないものが大切なんだ」という言葉は好きではありません。いや、サン・テグジュペリの作品良くを読めば、とても大切なことを表現しています。彼の作品の思想が嫌いなのではなく、この種の言葉を安易に振りかざして、「目に見えないもの」を崇高な事と信じ込んで、吹聴する人達が好きでないのです。

「目にみえないもの」と一言に言いますが、どのうような意味なのでしょうか。少し用例を分析してみましょう。
 
      意味                 例

  ○実体的な物質であるが光を反射しない・・・・水蒸気 空気 

  ○物質ではない・・・・波動 エーテル 香り 音
 
  ○視覚の能力の限界外である・・・・大腸菌 赤外線 オリオン星雲

  ○形態として想像できない・・・・神 霊 群 無限 

  ○視覚に感じない・・・・音 香り 暖かさ

  ○感覚できない・・・・ 他人の痛み  
 
  ○影にあつて見えない・・・・運転時は目に見えないものに注意 
 
  ○遠くにあって見えない・・・・山の彼方の空遠く 巴里の都

  ○未来を意味する・・・・目に見えない社会のあり方をさぐろう

  ○想像上のもの・・・・  幽霊 麒麟 

  ○あると信じるが見つかっていない・・・・  UFO 超能力 ノアの箱船

  ○唯物論に対する精神主義として
      ・・・・目に見えないものを大切にしない現代の風潮

  ○はっきり数量化されていない
      ・・・目に見えない効果が上がっている

  ○対象として現前にない
      ・・・目に見えぬ権力に支配されている
      

 少し見回しただけでも、様々な意味での「目に見えないもの」があるようです。目にみえないけど、触れるものもあるし、道具を使ったり、少し工夫をすると目に見えるようになるものもあります。

見えないだけでなく、臭いも感触もないものもある。どんな感覚を使っても認識できないものもあります。言葉の上だけで、存在するものもあるし、存在していないものもあります。

こうして見ると「目に見えないもの」の方が、世界には多く、「目に見えるもの」の方が希少価値があるのかも知れないと思える程です。

ある人が「目に見えないものこそ大切だ。」と言い、別の人が「目に見えないものは信じられない。」と言って議論しても、本当は議論になりません。議論で指し示しているものが異なれば、話は交わらないはずです。

「目に見えないもの」という言葉のような意味が拡散している言葉を使う事を、仮に「曖昧表現」と呼びましょう。意図的な曖昧表現もありますが、多くは言葉の使い手の言語能力不足によるものです。

このような曖昧な言葉は色々あります。愛、時の流れ、美、夢、大きな存在、真心、真理、平和、民主主義・・・・。 そして、これらの言葉は、麻薬や覚醒剤やアルコールのように人々を酔わせます。酔っぱらうと、人は虚言を喚いているだけで、何も出来ない状態になります。

初心者の文芸作品や、論文などを読むと、このような曖昧語が並べられています。安物の詩は、これらの曖昧語と、いくつかの象徴性のある名詞とを組み合わせて出来ています。上の曖昧語に、少し名詞を足して、いい加減な組み合わせをしてみましょう。

 あの日の百合の花の向こうに
 愛と夢が真実になる
 時の流れに心が揺られ
 大きな存在に、真心が光る
 やがてくるだろう
 白い花の
 平和と民主主義

 ・・・・・
こんなひどいのは少ないでしょうが、安物の詩は程度差はあれ、概ねこのような作法です。こんな歌詞に、適当な音をはりつけた粗製濫造の歌が氾濫していて、騒音になっています。もっとも、味のない合成酒でも「酔う」には充分なのでしょうが。

 このような「曖昧語」に酔ったり、浸ったりする時期が人生には数回あります。子供は、具体の世界に住んでいて、このような言葉に反応しません。観念の世界が発達しはじめる青年期から、20代中頃までは、このような曖昧語の世界に酔って、苦しんだり、悩んだりする時期です。

実務的に仕事を始めると、「きっちりした」具体の世界で人は活動して曖昧の世界からは離れます。でも、少し人生にくたびれて、惰性で生きるようになると、安易な曖昧語の世界に浸ってしまいがちです。人生の最後には、多くの人は曖昧語の世界に浸って死んでいくようです。年寄りの説教と言うのは例外を除いて、具体性のない曖昧語の繰り返しです。

 曖昧語の世界から抜け出るためには、分析しか方法はありません。「目に見えないももの」という曖昧な言葉を、少しだけ分析してみましたが、時間不足で良い例を示せませんでした。もっときっちりした体系的な分析をしてみてください。時間をかけて、文献から具体例を拾い上げて、精密な言葉に置き換えて、さらにそれを分類していけば良いのです。

良い論文は、分量の書かれた料理のレシピように、具体的で、すぐに人を成功に導く指針となります。良い文芸作品も、人を酔わせるのではなく、精神的に覚醒させて、日々の行動に力を与えます。良い文を書くには、手足を動かし、具体的な知識を蓄積するしかないでしょう。

 曖昧語の中に浸っている時は幸せを感じているはずです。でも客観的には人間としては、不幸の中にいるのです。素晴らしい詩は、きっちりした具体的な言葉を使いながら、それこそ「目に見えないもの」を、具現化しています。そこから具体的な行動を始められるのがすぐれた論文です。

若き日も、年老いても曖昧語の世界に浸らず、人生の最後の日まで具体的な世界と交流できたとすれば、希有な幸福な人生です。最後まで、ピアノに向かって音を拾う作曲家、世界と共に生きて、活きた言葉を綴る詩人、そんな人になりたいものです。

今日は分析の大切さをお話しました。

最後に練習問題をしてみましょう。

1  次の文は、曖昧語で書かれた、良くない文章の典型です。今日の文章の趣旨なのですが、良く文章を読んで、これを分析してきっちりした言葉に置き換えて表現してください。

 目に見えないものを安易に述べてはいけないのである。目に見えないものを、目に見えるものにする努力をする。これが、目に見えるものとしての人間の良い生き方である。

2 「目に見えないもの」と言う文章中の用例を集めて、分析してください。きっちりした具対語に置き換えて書き直しを試みてください。google でこの言葉を検索すると大量にヒットします。そして、みな違う意味である事に驚くはずです。できれば、書き直したものを、いくつかに分類して、さらに表現の系譜を辿るのも良いでしょう。

【編集長より】

 憲法学書いてもらっている杉根葉三さんの文章教室です。分析哲学を基礎とする杉根さんは、具体的できっちりした事が好きで、曖昧な事や抽象的な観念といつも戦っています。編集長とは、ちょいと反対かも知れません。編集長はだらしがないので、曖昧な美文も好きです。

 ────────────────────────
      今日はここまで ではまた。
 ────────────────────────
【お知らせ】

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ミクロコスモス出版  ミクロコスモス編集部
   編集長  森谷 昭一   

★ 編集部宛メール  公式メール 執筆者・編集部員に内容のみ転送の場合あり。

   micos@desk.email.ne.jp