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 ミクロコスモス研究版2004年5月26日「知識単位学4回」
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             発行 ミクロコスモス出版
             編集長  森谷 昭一

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  知識単位学 第4回
   担当 森谷昭一
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いくつか質問をいただきましたので、今回はお答えする時間をとりました。

【質問1】

 第一回で、知識について考える事が現代の諸問題の解決につながると言うような説明がありましたが、すべて知識の問題に関係すると言うのが分かりません。民族紛争とかは食料とか地理的な事とか、物質的な問題なんではないですか。

 答え

 知識の定義によるのですが、すべての現象が、水流に押される石や、引力によって落下する石のように力学的なものに還元されると考えるなら、知識というものは存在しないとすら極論できます。極論的唯物論とでもいっておきましょう。

 さて、日常的な言葉の用法にもどれば、知識は日常生活において力をもつものです。「医学の知識があれば、あの人は死ななかった。」とか「法律の知識があったので、詐欺商法に対抗できた。」とか、知識とは問題解決のためのものと定義すらできるほどです。

 逆に問題そのものが、知識によって引き起こされているとも考えられます。人間のような言葉をもたない動物ばかりだったら、例にあげたような事は問題にならなかったでしょう。

 この講義では、知識をさらに広い意味で使ってみようと思います。アメーバーのような原生動物には知識があると考えられます。原子に比べたら、情報量という意味からはウィルスは知識をもつ存在です。

 素粒子論などでの粒子の存在を情報の交換の立場から捉える事すら可能です。このように知識として世界を見る立場を拡大すると、大半の問題を知識の事項として把握する事も可能です。

極端な「唯心論」に陥る事はさけますが、この講義では、多くの事を知識の問題に還元できると仮定して、論を進めて見たいとおもいます。その中で、否定される事もあると思います。どうぞ、また質問の形で参加してください。

【質問2】

 断絶の問題を例にしていましたが、いくら話し合っても届かない関係ってあると思うのですが。知識学が発達したら、解決できるのですか。

答え2

 確かに、「話し合えば、どんな問題も解決する。」と言うような楽天的な考えはしません。時間的・地理的な制約で、交流不可能な領域というものはあるでしょう。言葉による対話が完全に可能であるとの証明もされていませんし、また不可知論と呼ばれるような交流の断絶の論も、証明は出来ていないと考えています。

 分かり合えない関係を、そのものとして承認する事も大事ではあります。いじめは、一方が「分かり合える」という信念を、本当は遠い距離のある対象に、いだいてしまう事が一因となります。

分からないものを、分からないままに「単位として」承認してしまう事が、「共存」のために必要な場合もあります。そのように交流可能な領域と、そうでない領域などを正しく地図の上に描く作業、さらに、そのための白地図の座標となるものを、知識単位学で目指したいという夢はもっています。

【質問3】

 哲学の講義みたいですが、色々な哲学者の名前とか、学説なんかあまり出てこないですね。

答え

 いろいろお話している事のひとつひとつが本当は過去の学者の説を出発にしているものです。ただ、過去の学説とか紹介しはじめると、目標を失いそうになります。また、一度過去の学説から断絶してみたいとの意志もあります。

学問のルールからすれば、本当は、きちんと文献の引用とかすべきなのでしょうが、今回はひとつの「お話」として受け止めていただきいたと思います。

【質問4】

 この講義は、何に分類されるのですか。哲学ですか、社会学ですか、心理学ですか。あまりはっきりしないのですが。

答え

 分類されないようにと願っています。しいて言うなら「学問」そのものにしたいのですが。昔にさかのぼれば、今のように多くの学問に分化はしていませんでした。学問の故郷にかえって、「知ることそものの」「The 学問」みたいなものになればと思っています。

まあ、そのうな事を試みるのを哲学とか言う場合もあるので、その意味では「哲学」と言うことになるかも知れませんが、アカデミックな学問としての哲学とはちょっと違うと思います。とにかく、すべての知識の座標となる学問です。そういう意味では、「図書館学」とちょっと似ている所があるかも知れません。知識の片づけ方を探ると言う意味では。ただし、それだけではないですが。

【質問5】

「知識のしまい方」と言う話がありましたが、知識という「物でないもの」と媒体と言う「物」の関係を考えるのですか。

 答え 

 そう考えられると一番困るのです。「物質とこころ」、「ものと知識」のように区分してしまい、対立させる事により多くの混乱が生じています。そのような対立の構図はとらないでください。それらよりもも、根元的なものを求めています。その手法として、日常の曖昧な「まとまり」とか「いれもの」といった言葉を使って議論しています。

 ただ、「実体」と言った場合には、ニュートン力学における物体の捉え方や、中学校の理科で習う「原子・分子」の概念などに近いものを想定しています。極端な唯心論に陥らないためにも「実体」を探求する試みは保持しなくてはならないでしょう。

【質問6】

集合論的と言うのと、構造的というのが良く分かりません。厳密に区別しなくてはいけないものなのですか。

答え

一番分かりにくいかもしれません。そして、是非厳密に区別できるようにしてください。ただし、現実へ適応すると、曖昧な場合が多くて、グレーゾーンがあります。例を追加しておきましょう。

   集合論的        構造的

 総合雑誌          専門雑誌
 雑学の書物         専門書
 井戸端会議         裁判の議論
 都会のアパートの住人    田舎の隣組
 索引のついたファイル    索引なしのファィル
 大衆社会の民衆       封建制度下の領民
 散らかっている机      きちんとした机

本当は厳密な定義をしたいのですが、今のところ「ばらはらなもの」と「きちんとしたもの」程度に受け取っておいてもかまいせん。だんだん、きちん説明していきます。

 数字には二種ある事をご存知ですね。  three と third の違いは分かりますか。three は3つを数えると言う意味で、集合論的です。順番のないものです。third は三番目という意味で、他の数との順序関係を示しています。車が十台あるよ。」と言う場合には車を入れ替えても意味は変わりません。

でも、「十番目の車だよ。」と言いう言明は、車を移動してしまうと真実ではなくなります。
 集合論的と言う言葉も、構造的と言う言葉も適切ではないかもしれませんが、今の所他に良い言葉がみつかりません。講義が進むうちに、だんだんと正確なものにしていくつもりです。

【質問7】

「近接効果」と言う言葉がありましたが、何でも近づけると意味ができてしまうんですか。そうでない事も多いとおもいますが。滅茶苦茶に単語を並べても、無意味なものしかできないと思いますが。

答え

 ええ、その通りだと思います。近接効果によって意味が生じる場合と、そうでない場合を区分するために、「集合論的知識」と「構造的知識」を登場させました。近接しても意味が生じないのが、集合的知識のありかたで、これは袋につめられているだけのような状態です。意味が生じるとすれば、「構造的知識」であるといえます。

 下手くそな文章は、バラバラな単語を羅列したものにより近く、集合論的知識です。反対に数学の証明の文とか、見事な文学作品などはより構造的です。

 ただ、一般的に考える以上に、近接は意味を生む事が多いのです。人と人の「出会い」などは偶然的な近接ですが、出会いが生む意味の豊富さは多くの歌に歌われているでしょう。

12音技法による曲とか、偶然音楽なども、意外と良い意味を生んでいると思うのですが。創作の最先端などは、偶然による要素の組み合わせが、多くの意味あるものの源泉であるとも思えます。

 いただいた質問は以上です。あまりこのような事を考えた事のない人も多いとおもいますので、もっと基礎的な質問をしてくださって結構ですので、どしどしお寄せください。
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      今日はここまで ではまた。
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