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 ミクロコスモス研究版2004年5月12日「憲法学 2」
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               発行 ミクロコスモス研究学園

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   杉根葉三 憲法学ゼミナール 第2回
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 杉根 です。間があきましたが、二回目です。前回、戦争・警察権・民法との関連などについて考えるとお約束しましたが、その前にひとつ再検討すべき事項があります。多くの人が前提として受け入れて疑いをもっていない事に再検討を加える事なしに、この問題の解明はないと考えるからです。

【法の上位・下位】

それは、憲法が「最高法規」であるという点です。法体系には、上位法と下位法の概念があります。憲法の下に、国会法や、地方自治法がある。憲法の特定の条文を「受けて」下位の法律が成立している事になっています。

憲法→教育基本法→学校教育法→学校設置基準  というように、最高法規から基本法をへて、だんだんと具体的な法律や条令、さらに政令、細則、通達、指針・・といった細かい「法令」が体系的に構成されています。

この法体系について、レベルと言う言い方をするので、覚えておいてください。憲法のレベル、基本法のレベル、二文字法のレベル、条例のレベル、政令のレベルと言った言い方です。日本の法令では、上位の法ほど文字が少なくて、下にいくほど長くなるのか常ですから、まあ法律の名称の長さでレベルのを判断できたりするのです。

その体系性は緻密と言えば緻密で、その膨大さに庶民は圧倒されてしまうでしょう。

 では、みんなにとって、どのレベルの法令が、日々の暮らしに関係してくるでしょうか。庶民が法律というものに触れるのは、大抵は下位法です。それも規則や細則、さらに一番下位の規則に最初に生活の中で出会うのです。

我々は出生届けとか、婚姻届とかを出します。民法や戸籍法によって、決められた行為です。実際の手続きとしては、役所で婚姻届なり出生届なりの「書式」に書き込む事です。庶民は戸籍法にを読んでいる訳ではななく、実際には「書式」に従っていると言っても良いでしょう。

 もちろん、その書式は上位の手続き法に準拠している筈ですが、戸籍法にはないものが加えられたりする事もあります。

 出生届けの時の漢字に使えないのを書くと、係から受付されない事があります。民法にそれが書いてあるわけではなく、戸籍法施行規則と言う、戸籍法の下位にあたる規則によります。規則は時々少しずつ変えられています。名前の付け方なので、かなり生活には関わりか深い規定ですが、法体系としては、かなり下位のレベルの規定です。

 婚姻届けとかに、ちょっと複雑な事情があったりすると、届けを受けた担当者は分厚い「手引き」を引っ張り出して、めくっていたりします。法令の外にさらに手引きと言う規定が存在する事になります。法律や条令以外に、実はたくさんの「法に匹敵するもの」がある事は事実です。そして、それが時には、庶民の生活にとってより重要な関わりをもつ事があるのです。最高法規の憲法で法の下の平等が宣言されていても、非嫡出子の扱いの事例のように、戸籍の施行規則や、さらに通達のレベルでの書式の問題で、法の趣旨が実現されない事もありうるのです。

 法に上位・下位のある法体系は、趣旨としては、大きな理念を上位法で定め、それを下位法において、技術的に具現化する事になっています。しかし、この趣旨は表面的に守られるだけで、しばしば下位法に違う理念が混入される事が多いのが実情です。
日本の憲法における戦争と平和に関する事項の問題は、法の理念部分と、技術部門の体系性が貫徹していない事からおきる問題です。

【社会を規定する定数】

 日本では自動車が高速道路でも時速100キロを超える事は許されていません。この100キロというのは道路交通法に書いてあるのではなく、そこでは「政令による速度を超えてはならない」旨の記述があるだけで、具体的に政令に書かれています。法としては、かなり下位のものです。

 車社会においては、この最高速度の具体的な数値は、その国の人々の暮らしや産業に大きな影響を与えます。ドイツのアウトバーンは制限速度がありませんが、その事が自動車の性能に大きく影響した事は良く知られています。

 もし、日本全体で、自動車の最高速度が50キロとされたら、人々の暮らしや、町のつくりは大分違ったものになるでしょう。速度制限を厳密に守る事ができたとしたら、随分と静かで落ち着いた社会になるでしょう。ただし、流通の状況は変わるので、経済のあり方も大きく変わる事でしょう。

大型トラックが魚が悪くならないうちに消費地に運ぶ地理的範囲が狭くなったりしますから、産業の地域構造が変わる可能性があります。このように、交通手段の最高速度を定める事は、社会の構造を規定する重要な「定数」になります。

このように、社会をありかたを大きく左右する「定数」にあたるものが、法としては、かなり下位に位置している場合が多いのです。そして、問題なのは、上位の法は国会なり地方議会なりで、公に議論されて制定されていきますが、下位の規則はごく一部の官僚や専門家の会議で実質的に決められていく事が通例です。そのため、多くの人に知られる事なく、気が付くとそうなっていたという事が多いのです。

工業規格や、建築制限などに現れる「数値」は、きわめて決定的に、その社会の様子を規定します。 建築の高さ制限を定めた「数値」は、都市計画に関する理念的な法律の文よりも、実質的に都市の景観や人々の暮らしを規定しています。そして、その数値は上位法から下位の規定に任せる形式になっているので、しばしば一部の官僚や審議委員などの判断だけに支配される可能性があるのです。

 携帯電話が普及して、世の中が変わってしまいましたが、電車内での利用や医療などへの影響も含めて、電波法の改正時に、是非が国会で大きく議論されはしませんでした。電波監理の官僚の周波数や電波形態の技術的な議論だけで、社会での公認がされてきたのです。さらに、下位法のわずかな変更が、社会を大きく変えた事例は数知れないのです。このような下位の法令の影響力を理解しないで、憲法論議はできないのです。

【戦争】
さて、お約束の戦争・警察権などについて考えましょう。

 現行の日本の憲法9条で戦争放棄を歌っていますか、本当に「歌って」いるだけで、どれだけ法として実行性があるかは疑問です。最高法規として、憲法の条例の特定の部分は抽象的で曖昧です。もちろん、議会の議決に要する議員の数などは、かなり具体的なので、こちらは、きちんと実効性を発揮しています。

戦争や権利や地方自治に関する条文などは、抽象的で曖昧です。それは「解釈」を許すことになります。戦争放棄といっても、思想史や法政史の流れから「解釈」して自衛権はあるのだとか、ないのだとか、純粋に文法的に読んだ限りでは、具体的に行政事項を命令するものはありません。それゆえ、解釈を可能にして、下位法である自衛隊法や、多くのの膨大な法令を事実上つくりあげてきたのです。

 上位法で抽象的に理念をうたうだけでは、官僚、特に専門的な技術官僚の狭い視野の中での法的操作に、社会が左右されていく事になるのです。

 憲法は国家の暴走を防ぐ法であると言われています。その事も再構成すべき概念とは考えますが、今しばらく、これを受け入れて議論すると、憲法を遵守すべきなのは、民間人ではなく、国家公務員、およびその委託をうける人々です。第一回の講義で、国家、行政の自己増殖的な性質を抑える手段として、具体的に10分の1等の割合を制定すべきだと提案しましたが、同じように、戦争や防衛、あるいは警察権に関わることも、具体的な事項を国民全体で合意形成をして、明確に遵守出来るようにしないといけないのです。

 もし、道路交通法が、「最高速度は安全と考えられる速度とする。」とだけ書いてあって、具体的な速度は、取り締まりの警察官の胸三寸だとしたらどうでしょうか。あまり実効性のない法になってしまいます。

その意味で、憲法にも「定義条文」が必要と思われます。定義条文とは、

 道路運送車両法 2条3項

 この法律で「原動機付自転車」とは、国土交通省令で定める総排気量又は定格出力を有する原動機により陸上を移動させることを目的として製作した用具で軌条若しくは架線を用いないもの又はこれにより牽引して陸上を移動させることを目的として製作した用具をいう。

のようなものです。下位の法令では、徹底して曖昧さを排除しようとしています。高位のレベルの法である憲法においても、同様な条項が必要でと考えます。もちろん、上位の法は解釈を許す理念としておかなければ、法の現実適応の体系性か保たれないとの反論もあるかと思いますが、そのような体系性こそ、ここで批判の対象としているのです。

 軍隊なり警察なりが用いる武器の性能の最大値は、社会を直接的に規定します。ご存じの通り、石の武器から鉄の刀、刀から鉄砲、ダイナマイトの発明、原爆・・・と武器の性能の上限値が軍事力学を変え政治を変えていきました。さまざまな思想家や政治家達が血みどろの戦いをしながら、そのような暴走を制御する法律的な手段を考えだしてきましたが、すぐに知らないうちに破綻してきました。その原因のひとつが、理念で技術的な事を支配できるという幻想をいだいたからです。

戦争や平和について理念的に考えるのは大切ですし、平和に向かって芸術文化を充実していくのも必要な事です。でも、戦争について、国家について抽象的な論議をしていては実効的な法をつくり、具体的に成果をもたらす事はできません。それらの論議は、文学論争に思える時すらあります。左右上下に分かれて、文学論争をしている間に、目立たない別の所で技術官僚や実務家達が事実をつみあげて、社会を動かしていってしまいます。

 実は私杉根葉三は、法哲学に転向する前は、工業所有権とか、科学技術行政等を専門としていました。社会を全般的に規定するものが工業的な「規格」や「プロトコル」である事を深く感じています。その意味で、今の法の体系の形式が、これからの技術社会にそぐわない事を痛感した事がこのような議論の元になっている事を付け加えておきます。

 下位の法と上位の法を転回する必要があるのです。社会を規定する、技術的な事項を具体的な数値で定めない限り、どんな理念も実効性をもちません。

 例えば、防衛力を持つとしても、その最大力を「口径○○センチ以内の銃器」とか「射程距離○○キロの○○キロ間での弾頭をもつミサイル」とかを「憲法」のレベルで規定すべきなのです。また、警察や国境警備、海上保安などの領域との厳密な定義分けが必要です。

これは国家の間での外交交渉の成果として軍縮条約として規定されて来たのが歴史です。そして、また、それらは力関係により、容易に破棄されて来たのも歴史です。

このような国際社会との関係を規定する具体的な「定数」を先に「最高法規」の中で規定すべきなのです。もちろん国際法との兼ね合いで、国際法を醸成していく過程の、国内法の整備の一環である事は言うまでもありません。

人間社会についての理念とともに、さまざまな科学・工学・農学・医学などの技術的な知識も集約された場で、憲法は議論されるべきものです。技術の未来を予想して、その可能性に対しても、前もって法律の手が及ぶ立法をすべきなのです。

 理念的な思想よりも、具体的な技術や行動を重んじるのがミクロコスモス研究学園の理念と聞いています。「ひとみは精神よりも欺かれる事が少ない。」が研究学園のモットーですが、私の法に関する基本的な考えも同じようなものです。つまり、法の技術主義、実効性優先主義とでも言えるものです。これは、判例を先進的な法源とする英米法の流れとも受け止められるかも知れませんが、完全にそのような流れにあるものではありません。

 とにかく、法の上位下位の体系をそのままにして、最高法規だけをいじれば、社会が良くなると言うのは幻想にすぎないと私は明言したいと思います。今のべた方法論従えば、些末とも思われる下位の法令の諸問題を順次整理していく中で、憲法が整備されていくべきものと考えます。明治以来の体系を反転させる作業ですから、少し手間のかかる大事業だとは思います。それ故、この講座の議論が次の次の憲法論議ともなるわけです。

【次回予告】

 さて次回の予告です。

 憲法は「最高法規」ですが、法が実際的に人々の生活を規定している程度は、民法や商法といった「私法」の方が大きいでしょう。民法などは、憲法とは違った「法系」をもつもので、憲法などの公法より永続的で変化しにくいものです。

今の考えでは、憲法の下に民法があるように受け止めてしまいがちですが、法としては民法の方が憲法より上位に立つべきとも考えます。法の上位下位の転回の考えは、民法優位思想につながります。民法が国家法より優位と考えれば、戦争を想定した独自立法はありえません。

また国家の権利より私人の所有が国際的に優先されるなら、国境紛争もまた別の形になると予想されます。どこかの島の領有権を国家間で争っている時に、実際の所有者や住民が、土地の登記をふたつの国にしてしまったらどうなるでしょうか。

両方の国に固定資産税にあたるものを払う事になるかも知れませんが、これならどちらの国が領有圏を持っても、私権は守られます。国籍のないものが登記できるかとか、問題はあり、奇抜な意見かも知れませんが、市民生活のための土地領有であり、国家のための

乱開発を防ぎ環境を守るためには、国家の政策などに左右されない永続的な私権というものが必要になって来ることも事実です。

 このような、私法と公法の関係について、次に考えてみましょう。 公法と私法の違いについて、予習しておいてください。

 この講座はゼミナールですから、質問や意見をどしどし、頂きたいと思います。この講義の中で匿名で発表して議論します。個別の解答は勘弁してください。

 では、今度はあまり間があかないようにします。

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      今日はここまで ではまた。
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