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ミクロコスモス研究学園2004年5月9日「知識単位学1」
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発行 ミクロコスモス出版
編集長 森谷 昭一
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ミクロコスモス研究学園(大学)講義録
「知識単位学 」第一回
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担当 森谷 昭一
ミクロコスモス研究学園(大学)の基礎講義として、知識単位学という講座を担当します森谷昭一です。この講義はこの研究学園、いちもんめ学園、ミクロコスモス出版などの「ミクロコスモス世界」の中心的なテーマを理論的に体系づける考えをお話する事になります。
哲学の入門としての解説とともに、未来への思想的な挑戦も含みますから、時々難解な事や、多少の矛盾を含む内容もあるかもしれません。時々討議も行いながら、進めますので是非共に作っていくつもりで参加してください。
始めに、この講座の目標をお話します。
哲学の分野に「知識学」があります。次のような事を考える学問です。
○知るとは何か。
○人間はすべてを知る事ができるのか。
○正しく知るためにはどうしたら良いか。
○人間が知るにはどのような方法があるのか。
○人間が生きるためには何を知る必要があるのか。
このような事が知識学の課題の一部です。人間が生きるためには、「考え」ます。朝、何気なく朝食をとるような時でも、朝食の種類を「知り」、また、箸の使い方を「考え」、食事についての文化的な「知識」を使います。人間の一日は、「知ること」、「考える事」の積み重ねです。人間について考えること、生きる事についての考察は、「知識」について考えることと等しいのです。
現代には、様々な難問が山積しています。この研究学園の趣旨として、あまり時事問題や近々の問題を論じないという方針がありますが、これから論じる事が、決して現実の問題とは無関係なものではない事をお断りするために、少し近々の社会的な問題をとりあげて、それが知識学とどのように関係しているか話しておきたいと思います。
□ 戦争の問題
さまざまな戦争や紛争が繰り返され、深い混迷の中に世界が突入していく気配があります。その基盤に、宗教の違いや文化の違いか論じられたりしています。現代は「話し合い」による問題解決が閉ざされ「武力という対話」によって知識を交換しているとの論もあるほどです。高度に組織化された高度情報機器兵器の開発の一方で、国家や民族間の意識のずれは対話不可能な状態とも思われがちです。
果たして、民族の間の「知識」は交流可能なのか、不可能なのか。可能であれば、どのうよな知識を順に交換していったら良いのか。どのうな手続きが必要なのか。そのように「知識の交流」について考えて、その方策を用意する事が学問に科せられる課題なのです。
□ 社会・教育問題
社会において「断絶」が叫ばれています。「若者は理解出来ない。」から始まり、「○○○のやつらは分からない。」という現象が様々な分野で増えています。同じ年代でも、多くに分割された「趣味を同じくする小集団」の中でのみ会話が成立して、それ以外との対話が断ち切れれつつあるのは確かです。
教育の現場はさんざんです。「授業が成立しない」つまり知識伝達の場が成立していない。知識を求める側と、送り出す側が断絶に近いほど離れてしまいっているのが現実なのです。
教師と生徒、政治家と選挙民、消費者と生産者、行政と市民、犯罪被害者と加害者、医師と患者、親と子、・・・これらの知識交流の停滞や断絶が、さまざまな社会問題の根源となっています。
そして、古くから存在して来た断絶として、民族と民族、宗教と宗教、国家と国家、年代階層、男女、右翼・左翼といった政治集団、暴力的な犯罪組織と善良な市民・・・・など限りなくあります。そのよう差異を生み出す社会のありかた、そのものが問われています。
ほんのわずかに例示しただけですが、それらの難問の基底に横たわる共通問題が「知識」に関連する事なのです。「情報化社会」「男女・職業・人種・等の差別」「医療倫理・生物倫理」「環境倫理」「種々の精神病理」などの難問(アポリア)の根源にも知識の問題が絡みます。大半の理論的な諸問題が知識の問題に還元できると言えるでしょう。
これらを貫通する問題意識として、ある問題設定をしてみましょう。
「世界で、もっともかけ離れていて会話の困難な人間は誰と誰か・・」
という問題です。いろいろ設定できますが、
△渋谷あたりに出没する女子高校生と、ソマリアで活動する男性兵士
△日本のある暴力団老幹部と、東南アジアのある国で民主化運動をしている若き女性
を仮定してみましょう。彼らの間には、民族、言語、年代、男女、文化、宗教、心情、心理、思想・・・さまざまな断層があります。もし、何かの偶然でそのような人物がどうしても全人格的な交流をせざるを得ない状況になったとして、ふたりはいったいどのような手段で、どのうよな対話をしていくでしょうか。断絶のままでしょうか。それとも「同じ人間として」奇妙な一致をみるのでしょうか。
もし、このような知識断絶に答える事が出来れば、それは現代の諸問題の解決の糸口になる事でしょう。聴講者のみなさんは、今この世界で自分から一番遠い存在にいる人間は誰だと思いますか。また逆に一番、全人的に対話の可能な人間は誰だと思いますか。少し論題から離れますが、宿題としておきましょうか。
○ 知識学の歴史と再出発
さて、現代は、混迷の時代とも言われています。さまざまな危機的な状況と、安逸な幸福享受が混在している時代です。そのような時代的危機は、歴史の中では何度も繰り返されてきました。それを乗り越えて来たのは、先駆的な哲学や思想家達の仕事の成果でした。
社会の混乱と時代の混迷と、大きなスケールで思考する思想家の出現は、いつも組み合わさって来ました。今、思想史の講義はしませんが、みなさんで大きな思想家を生んだ時代背景を復習してみてください。
そして、大きな思想家達は、それまでに積み重ねられた哲学的成果を継承すると共に、それらを破壊して、なにか単純な原理に立ち戻って、再出発している事も確かです。
先にあげた、現代の諸問題を解決しようとすると、その分析のために過去の膨大な思想の積み重ねに取り組まなければならない事も確かです。でも、多くの学者が、その過程で、問題の膨大さに圧倒され、目的を失い右往左往している状態ではないでしょうか。
現代は夢を語る事の出来ない時代だと言われています。そして、不況や時代混迷を乗り越えるたには、未来の夢を語れる人間が望まれると言います。でも、そんな言説におだれられて、夢見る事を試みたとしましょう。
すると、夢見る事が、独断的な世界を作り閉鎖集団の狂信的主導者になるか、同じく閉ざされた内面世界の夢遊病者になる運命に取り込まれるのが、現代のより深い問題なのではないでしょうか。脳天気に夢見ることすら、混迷に取り込まれてしまうのです。
何か単純な事から、知識学を再出発させる必要があるようです。それは、ひとつの夢想です。そして、そのような試みが閉鎖的な独断に陥らず、夢想に終わらず現実的な諸技術への正しい指針となっていけるように注意しつつ、新しい知識学を構築していくのが、この講座の目的です。聴講者のみなさんと、討議をしながら進めていきたいと思います。
ミクロコスモス研究学園の方針を破って、少し時事問題に触れるような講義をしましたが、これからは方針にそって、より根源的な問題、「永遠の相の下に」おいて知識について考えていきます。
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【 ひとつの単純な設定からの出発 知識の単位】
先にお断りしておきたい事があります。さまざまな用語を用いますが、それぞれ専門的に過去を背負った限定された用語です。しかし、ここでは日常言語の曖昧さに戻って出発しますから、さまざまな矛盾が生じると思います。生じた矛盾をその都度分析しながら、用語を再定義しながら講義を進めていくという形式をとらせていただきますので、どうぞ御了解ください。
では、知識学を単純な設定から出発してみましょう。それは
「知識は、『まとまる』ことにより成立する。」
と言うものです。これを「知識の単位性」と呼んでおきます。どのような事か、説明していきます。まず、言語についてです。
【言語の知識単位】
言葉が「意味」をもつには、何かが「組み合わさる」ことが必要です。
「あ」 とういう音と、 「い」と言う音が組み合わさり
「あい」 という単語ができます。
愛なり藍なりの意味がそれに乗せられます。
「私は」という主語と、 「ソバが好きです。」
という述語が組み合わさり
「私は、ソバが好きです。」という文かつくられ、
意味が割り当てらます。
このように言葉の世界では、音や単語や文節などの「部品」が組み合わさる事により、ひとつの「意味」が生じます。知識が生じる、情報が生まれると言っても良いでしょう。知識を成立させる部品にあたるものを「知識構成要素」と呼んでおきます。「要素」と簡略して呼ぶ事もあります。「要素」の組み合わせによって生まれるものが「知識」あるいは「情報」です。
言語において「要素」になるものとしては、音、音韻、単語、句、文節、文、・・など様々なものがあります。
【対立性の知識単位】
少し大きな知識単位を考えてみます。対となる概念により意味が成立することがあります。例えば、社会における「二項対立」です。一例として、少し前の時代の不良少年・少女の服装や格好を考えてください。真面目、品行方正少女の格好が、膝下10センチ・紺の靴下だとします。「不良少女」の格好は、ミニスカート・ルーズソックスという事にしましょう。さて、日本中がミニスカート・ルーズソックスになったとすると、真性の不良少女達はどうするでしょうか。多分、スカートを長くしたり、靴下なしの裸足で歩くかもしれません。確かに35年程前の不良少女達はロングスカートにしてしていました。
品行方正少女があるから、不良少女があるのであって、みんなが不良になれは、品行方正という意味は成立しません。このような意味を成立させるのが二項対立ですが、社会のさまざな所に配置されています。右翼があるから左翼があり、革新があるから保守があるという事になります。
健康とは何かと考えて、「病気ではないこと。」とか答えられない場合があります。人類学でトーテミズムと言うのがありました。ある部族が特定の動物の名で意味づけられる現象です。他にも凶と吉、陰と陽、聖と俗、のように対立する事によってはじめて、それぞれが意味をもつ概念がたくさんあります。というより、概念の対立なしに意味や存在が成立しないとも考えられます。
知識を成立させるには、要素が組み合わさる事が必要だと言いましたが、この場合、ある対立によって要素が生み出されるとも考えられます。とにかく、組み合わせ、あるいは「結合」によって知識は生まれると考える事が出来るのです。逆に要素を成立させるためには、さらに大きな要素が必要だとも言えます。
【知識の階層性・体系性】
音→単語→文節→文 と要素が集まり、知識単位ができ、それはまた要素として、より大きな単位の結合をしていきます。このように「まとまりがまとまりを作っている」ことを「階層性」と言います。知識には階層性がるのです。
どんな知識も、より大きな知識の中の要素として意味をもち、それは順次大きな結合をしていきます。このような知識の連関を「知識の体系性」と呼びます。すると、知識は体系性がなくては、知識は成立しない事にもなります。
このような事からすぐ出てくる疑問があります。「知識のまとまりの最高位になるものは何か?」という疑問です。これに対して、「そのようなものは存在せず、循環してしまう。」とか、「いくつかの断片になる。」とか、いろいろな説があるでしょう。このような知識体系の全体としの形について考える事は、「知識の構造」について考察する事になるのです。
知識の成立、知識の体系性、知識の構造と言う言葉が出てきましたが、これらの用語は知識に関する諸問題を考察する時に、有効な道具になるので、確認しておいてください。
本日は、ここまでとします。次回は、もう少し知識の単位性について実例をあげ、さらに知識の入れ物、乗り物について考えてみる事にします。
この内容について講義するのは、初回なので、どうしても実例や引用が不足して、抽象的で理解しにくいと思いますが、何回か同じ内容で講義する予定ですので、今後みなさんからの質問に答えながら補足していきたいと思います。是非質問や反論をおよせください。
全十回程度で、一度全体像を示せればと考えています。公言しておかないと、さぼりそうなので夏のうちには、完結できればと思っています。骨格を示すめたに、細部で不明な点があると思いますが、おゆるしください。
【編集長より】
この講義に限り、編集長の実名で公開します。森谷昭一のライフワークであるととともに、ミクロコスモスの中心的な骨格になるものだからです。森谷個人として、責任をもって発表する学問的なでもあります。知識単位学に関する御意見は森谷個人への意見として頂いても結構です。
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今日はここまで ではまた。
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ミクロコスモス出版 ミクロコスモス編集部
編集長 森谷 昭一
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