─────────────────────────────────
 ミクロコスモス総合版2004年4月13日今日の詩「大切な人は」
──────────────────────────────── 
   ────────
     今日の詩
   ────────


    
大切な人は


 大切な人はゆっくりやってくる
 そしてゆっくりたたずんで
 ゆっくり去っていく

 去ることも止まることも
 そんな違いはないような形で
 大切なひとは静かにやってくる

 そしてだまってそばにいて
 しずかにどこかにいく
 はなすことも黙っていること
 そんな違いはない話し方で

 いつまでも変わらない愛と
 その細切れの、この一時
 永遠である事と、一瞬である事
 そんな違いはないように
 
           
「時代屋の女房」という映画がありました。いい歳した独身の古道具屋の中年男のところに、ふらりと夏目雅子演じる美人女性が日傘をさし、野良猫を抱いて転がり込みます。彼女の過去は謎のまま、時代屋の女房として振る舞います。でも彼女には、家出の癖が。何度かふと消えて、またふと戻ってきます。そして、三度目の家出の後・・・

 不思議な人間模様を描いていました。なぜか心に残る映画のひとつです。そんな不思議な事ってあるものかと思うでしょうが、どうして、どうして。世の男と女、人と人の出会いと別れを凝縮した気の利いた映画でした。

 もとより見知らぬ人でも、一時でも日々の生活や仕事を共にすると、偶然の出会のはずなのに、なぜか遠い昔からの約束であつた気がしてくるから不思議です。偶然とは、大きな視点ではすべて必然なのでしょうか。

 そして、大切な人は、すぐに消えてしまうという性質が、どうもあるようです。自分の人生を変えてくれるような大切な人は、あまり長く側にはいてくれない。だからこそ、一瞬にすべてを注ぎ、すべてをかけて、人生の受け渡しをしないといけないのでしょうか。一期一会とは、本当はちょっと悲しい言葉なのだと思います。

でも、素晴らしい出会いが残したものは、自分の中に刻まれ、ゆっくりゆっくり、発酵するように別の形に成長して、形を変えていきます。あまりにしっかり刻まれるので、出会いの記憶さえ消えてしまったとしても。

大切な人との交流って、言葉よりも、その人の存在そのものが深く何かを与えていくものです。だまって側にいるだけで、人と人は何かを受け渡されるものです。それが大切な人との出会い。大切な出会いであればある程、言葉は少なくなるのかも知れません。

 多分、大切なものというのは、永遠に変わらないもの。だからこそ、一瞬で受け渡しができるのかもしれません。永遠に変わらないからこそ、一瞬にして消えて、立ち去っていくものなのでしょう。

 大切な人なら、伴侶でも、師でも、友でも、仕事の同僚でも、同じことです。大切な人は、きっとゆっくりやってきます。そして、ゆっくり立ち去っていきます。そして、あまり目立たないかもしれません。

ただ、それは心の中でのこと。現実では、 大切な人は、突然やってきて、そして、すぐに立ち去っていきます。大切なのは、それに気づき、出会いの一瞬を逃さないで受け止めることなのでしょう。そして、その出会いの一瞬は、我が心に止まり永遠のものとなるのです。

 大切な人はゆっくりやって来て、そしてゆっくり去っていく。
 大切な人は、突然やってきて、そして風のように消えていく。

  矛盾に聞こえますか。

 永遠と一瞬に違いがない事、知ってください。
   
 ────────────────────────
      今日はここまで ではまた。
 ────────────────────────
【お詫び】 

 数日予告なしにお休みしました。申し訳ありません。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ミクロコスモス出版  ミクロコスモス編集部
   編集長  森谷 昭一   

★ 編集部宛メール     micos@desk.email.ne.jp