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 ミクロコスモス総合版2004年4月5日へちがら「定食」
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              発行 ミクロコスモス 編集部
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  へちがら 「定食」
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 何かの都合で、明日あなたが死ぬとする。そして、金は余りあるほどあるとしたら、最後の晩餐として、何を食べるだろうか。・・そんな設定で、著名人の最後の食事の望みを聞くという番組もあった。

 自分は、何を最後に所望するだろうと考えた。なんだか、食べ物には無頓着で、技をつくした複雑な料理などは無縁で、どうもに考えつかない。

 でも、船が難破して何日も空腹で漂流した末に救出された時に、何を食べたがるだろうと考えてみた。そしたら、自分が一番食べたいものがはっきりした。

それは、「定食」だった。学校とか、社員食堂とかで、四角いトレーにのせて、どんぶり飯と共に提供されるあれだ。内容は、アジフライだったり、メンチカツだったり、サバのみそ煮だったりの、あの毎日の定食なのだ。

 死ぬ前には、あれを食べて死にたい。形が定食ならば、別に中身は何でも良い。最後の晩餐はそれで良い。飲み物は、でっかな薬缶から注ぐ、ほうじ茶とかが良い。

キャビアだかフォアグラだか、食べ慣れない高級料理を目の前に広げられても、あまり腹が満足するとは思えない。

 体が要求する食べ物というのだろう。定食はうまい。大抵キャベツとか刻まれて皿にのっているが、ソースをかけてフライとともに食するのもうまい。機械で刻んであったりして、芯まで混ざっているが、それはそれでよろしい。少しばかり、添えられているマカロニサラダにソースをかけてご飯にのせて食べたりするのも美味である。

最後の晩餐として、定食なら確かに一番叶う確率は高い。病院で死にそうになっても、刑務所で死刑にされても、日本ならば定食が最後の食事になるのだろう。

 なんで、こんなに定食が体にあっているのか、考えてみた。どうも、定食を食べる事ができたのは、自分にとって人生で一番有意義な時を過ごせた時だったからかも知れない。有意義な時間が過ごせたのは学問の場である。

研究室で培養細胞と取り組みながら過ごした農学部の時。哲学の聴講生として、大学にかよった夏の日々。大学の付属高校の教員して、学食を利用していた時・・・
 自分、夢を追いかける事ができた時代の食事が、その充実感と共に体に染みついているのかもしれない。

 そんなに定食が好きなら、家で作ったらどうかと言われるが、定食の味は家庭では出ない。家庭の味噌汁と、社員食堂のそれとは、何かが違う。巨大な鍋で大量に作るから違うのか。ご飯にしても、キャベツにしても、食堂の定食はどこか存在感が違う。 家庭料理のような個性や愛情など切り捨ててあるからか、気兼ねなく腹を満たす事が出来る。

 どうと言う事のない定食だが、最近はさっぱり食する機会がない。どこかの大学に聴講生として潜り込むか、社員食堂のある会社にでも、働きにいこうかと企む今日この頃である。  

                      編集長 森谷

【編集長のおまけ】
 みなさん、定食好きですか。どこかの食堂の定食に毎日ごやっかいになっている人。どんな定食か、賛美でも不平不満でも良いのでレポートください。
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【へちがら】とは
 初めての人に「へちがら」とは何かお知らせします。これは「編集長のがらくた箱」の略です。編集長は、「編集長」の単語を「へち」で単語登録しています。「編集長は・・」と表記する時に、指には「へちは・・・」と指令している訳です。・・・そんで、編集長の書いた、下らん「がらくた」原稿を「へちがら」と称するわけです。意味のない事しか書いてませんから、適当に読み飛ばしてください。
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      今日はここまで ではまた。
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ミクロコスモス出版  ミクロコスモス編集部
   編集長  森谷 昭一   

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