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 ミクロコスモス総合版2003年3月25日なと氏古典「禅問答5」
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               発行 ミクロコスモス編集部
           
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 なとさん・よもぎちゃん・編集長の古典解釈講座
     禅問答5「主人公」
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【なとさん】

 前回よりの宿題はこれだった。

 端厳彦和尚 毎日自喚 主人公 復自応諾 乃伝 
 惺惺著 若 他時異日  莫受人瞞 若 若 

                  無門関 第十二則
 
どうせ、宿題をやってないだろから、和訳をみせる。これだ。かなり意訳してある。

  瑞厳師彦は、毎日、自分に呼びかけた。
  「おい、主人公よ」
  そして自分で答えた。「はい」
  またよびかけた。
  「おい、しっかりと目覚めているのだぞ」
  「はい」
  「おい、そいどこで、他人に欺かれないとも限らないぞ。
   しっかりするのだぞ」
  「はい、はい」
  こうした問答を生涯続けたという。
 
     無門関 第十二則

【よもぎ】

意訳の意訳します。・・

立派なよもぎちゃんは、明日のためにちゃんと道具をそろえて予習します。
そして、立派なよもぎちゃんは、昨日の勉強をもう一度復習します。
昨日分からなかった事が今日は分かるようになります。今日分からない事は、 いつか分かる日のためにとっておきます。よもぎちゃんはとても良い子です。 ・・・

【編集長】

何これ。事実と違う気がするけど、どういう例え?

【よもぎちゃん】

人間は常に変わっていく。昨日の自分は今日の自分じゃない。今日の自分は明 日の自分ではない。過去と今をつなぐ事を反省と言い、また学びという。未来 と今をつなぐ事を夢と言い、努力と言う。時間を越えて、変わらない自己をつ くる事が悟りなのだぞ〜・・・・ と、言うわけ。

【なとさん】

まあ、良い線はいっているけど、この解釈だと、道元の「仏道とは我を習うなり」に近いか な。でも、これだと、続く「我を習うとは、我を忘るるなり」の部分が足りない な。

【編集長】

では、別の解釈です。

 「おい、主人公よ。お前はたれだ。」
 「お前とは、どの人物の事か。」
 「その、私だ。」
 「何を言うか。その私はもう消え去っている。」
 「消え去るものが話をするか。」
 「消え去るからこそ、話ができる。」

すべての言葉は「会話」として成立する。言葉により成立する「意識」もその 例外ではない。自問自答こそ、意識の本質であり、人間の存在である。それは 時としての人間存在である。・・・・・・と、・・言うわけ。・・

【なとさん】

そのような初歩的な段階の話でなく、もう少し高い瑞厳師彦の「遊びの境地」をも表していると解釈もされているかな。

【編集長】

遊びの境地として解釈してみます。

  「おい、主人公よ」
  そして自分で答えた。「はい」
  またよびかけた。
  「おい、しっかりと目覚めているのだぞ」
  「はい」
   「  ・・・ 」
  「何、ひとりでとぼけた事やってるの? 
     しゃべらないと自分が分からな くなるの。」
   「 ・・ 」
  「おぬしに、聴かせておるのだ。
    誰もいなければ、こんな事ははせぬ。」


という感じですかね。

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      今日はここまで ではまた。
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【編集部より】

 数日お休みしてしまいました。申し訳ありません。春休みに遠くまで取材旅 行にいこうかとも思っていたのですが、どうも駄目そうです。近くの探検でも してみます。

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ミクロコスモス出版  ミクロコスモス編集部
   編集長  森谷 昭一   

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