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 ミクロコスモス総合版2003年3月12日処方詩集「わきあがるものに」
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                発行 ミクロコスモス編集部

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   人生処方詩集 「三流芸術家に転落しそうな時に」
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   「わきあがるものに導かれて」

  わきあがるものに導かれて
  生きていたい
  それを音に それを美に それを真理に
  ぶつけたい

  空の青さにひかれて
  歩いていきたい
  そうして 風の旋律
  光の律動をみつけたい

  沈みゆく我が心のまま
  世界の深みに沈んでいきたい
  そこから、またはい上がり
  また世界に叫びたい

  もう、何日眠っていないのだろう
  もう、何日食べていないのだろう
  もう、何日書き続けているのだろう
  もう、何年歩き続けているのだろう

  もっと遠く、もっと深く、もっと高く
  そのゆくえとともに、削られるわが命
  だが、命とは引き替えはしない
  つかみとったまま、世界に貼り付ける

【処方】

日々の暮らしにぬくぬく暮らして、ふと何かを感じた時に用いる。また、三流詩人、三流芸術家に転落しそうな時にも用いる事が出来る。

【副作用】

劇物指定の薬物であるので、相当程度の能力のある場合にのみ、服用すること。精神力薄弱な時に、用いると、心身ともに破壊される危険性がある。

【使用説明書】

アインシュタインは方程式を考え始めると、何日も食べるのを忘れたそうです。
たった一本の線を描くために、何日も画布をにらみ続けた画家がいます。

風にさそわれ、旅をして、弱る体で芭蕉は句をつくりました。

超一流の天才が独創の世界をひらく瞬間は、命と引き替えるようなぎりきりの作業を決行すると言います。素晴らしいものがやってくる瞬間に、それをつかむために、すべてを投げ打つ事のできる人間が天才です。

天才にも凡人の所にも、素晴らしいものは、近くにやってきます。でも、凡才はそれを捕まえるために、体を動かそうとしません。天才は、すべてを投げ打って、それを追いかけます。ちょうど、虫好きが、欲しい蝶をみつけると、食卓をけたおして、網をつかんでとんでいくようなものです。そして、どこまでも、捕まえるまで追いかけていきます。

「倦まず、弛まず、日々、一歩づつ」そういう創造というものもあるとは思います。でも、それはきっと、命がけの集中と冒険の一時をもった人間が、それを目に見える形にする作業、人々に伝える作業に入ってからの生活の仕方に違いないのです。

その時に、すべてを捨てて、それに向かう事のできた人が、きっと世界を進ませているのでしょう。日々の暮らしは、それを分断します。明日の予定がある、旅の予定がある、狂う事への恐怖がある、別の世界への恐れがある、・・それが人を平凡で幸せにするのでしょう。

新しい世界への入り口が、ふと開き、風に、光に誘われるのに、明日が、約束が、生活が・・・とあるのは寂しいものです。創作にかかわる者にとって、一番欲しいのは、「予定のない明日」です。ひらめきがやって来た時、心身の最高潮の時に、明日の事を考えずに徹夜でも、それに取り組める自由な時間なのです。

そんな自分の命とひきかえながらの、世界探求の時間が、人生のどこかにいつか、作れると良いですね。でも、「これだっ。」と感じたものがあったら、すべては無理でも、出来る限り日常を棄てて、それを追いかけてください。

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      今日はここまで ではまた。
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【編集長より】

 どうも、最近記事のテンションと言うか、レベルの低下を嘆いています。どうも、いけないなあ。のんきすぎるんだよね。きっと・・・

 シュバイッアーのオルガン演奏や、カザルスの無伴奏組曲とか、レンブラントとか、クレーとか、そんな世界に数?ても良いから近づきたいとは思うんだけど・・・・・あ〜あ。

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ミクロコスモス出版  ミクロコスモス編集部
   編集長  森谷 昭一  

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