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ミクロコスモス総合版2003年3月7日へちがら「時間間隔毎のつきあい」
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発行 ミクロコスモス編集部
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編集長のがらくた箱
ふと考えた事「時間間隔毎のつきあい」
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どういうわけか五年周期で合う古い知り合いがいたりする。毎年一回、定期的に集う仲間というのがいる。人には色々な周期でめぐりあう人間関係というのがある。
毎日顔を合わせる職場の人間関係もある。毎日つきあう家族もあるだろう。もちろん、あう頻度と親しさは比例する部分もあるし、比例しない部分もある。
何年も会わないけど、それぞれ人生の危機というべき時に、とんできて助けてくれる有り難い友と言うのもあるだろう。隣の部屋で寝ていても、心の距離は数万光年などという家族関係もあるかも知れない。それは不思議なものだ。
なんだか、お互いに気が合うのだが、どういうわけか、決して深くつき合うような事をしない仲というものがある。なにか、本気でぶつかれば、爆発しそうな内面を秘めていて、でも共通するものを多くもっているような人間の組み合わせである。
そんなやつというのは、いつも互いに「忘れた頃にやって来る」仲である。忘れた頃に、ふとやって来て、なんとなく会話して、また数年の間があくようなつき合い方である。そんなのが、数年に一度の仲なのだろうか。
そんな、「間のあく仲」にも2種類ある。ひとつは、数年に一度、数十年にぶりの会話が、空白を律儀に空白を体系的に埋める作業となるタイプである。
「やあやあ、あれから十年ですね。その間仕事を二回変えて、それから、○○賞をもらって、子供はいくつになって、どうのこうの・・・・ああ、私も随分歳をとりました。これからの人生は・・・」
と見事に空白を手短に要約するような会話をするタイプである。男性には多いタイプかもしれない。
もう一つのタイプは、十年ぶりの出会いだと言うのに、中間の出来事、人生の大事などは、なかったかのように、リアルタイムの近傍系の会話に終始する人間である。
「まあ十年ぶりね。来る時なんだか、電車がこんでね、そこの車掌さんたら、変なアナウンスで、なんか笑わせるのよ・・・」
なんて話がえんえんと続き、話の内容からうすううす、この十年の間に結婚した事やら、子供が出来た事やら、そういう人生の大事まで、察するしかないような話ぶりの人間である。
高校生の頃の、隣の席の友達をそのまま演じ続けるような仲で、きっと年老いても、友人の葬儀の時でさえ、そんな話しぶりで終わる仲である。けっして疎遠なわけではない。それはそれで、つかず離れず、そのつきあいの長さだけを考えれば、一番親密な関係と言えるような仲間なのである。
互いに何も知らないけど、何か大切な存在であるような仲である。
毎日顔を合わせ、瞬間の火花を散らしあいながら、ひとつの仕事をつくりあげる職場の仲もも、ひとつの仲である。でも、週に一度、趣味の講座で会う友達とか、月一度の仲間、年一度の仲間、数年に一度の仲間、人生の大事の時にかけつける友人、どれが大切とか、どれが良いものとは言えないだろう。
それぞれに、それぞれの貴重な関係の持ち方なのだろう。時間間隔毎のつき合い方があるのだ。
さて、この会合の間隔を伸ばしていって、50年に一度の仲と言うのはどんな存在だろう。50年ぶりの小学校の同窓会かのか。それは、どんな会話があるのだろうか。
編集長はそんな会合らしいものに、田舎のひなびた旅館で出くわした事がある。もういい歳のおばあさん達だが、尋常小学校の同窓会だと言う。
遠くで聞くと、その会話内容は、リアルタイムの近傍系の会話であるようだ。そりゃ、そんな50年近い時間を要約する事など、考えただけでも恐ろしい事だ。
そう考えると、リアルタイム近傍系の会話の秘密と言うか、その長期のつき合いを支える無意識の交際の術のようなものを感じる。
さらに、50年を超えて100年毎の間隔でのつきあいが想定できるが、一期一会と言う出会いになるのだろう。それは、要約型のつきあいなどできな、リアルタイム近傍系の会話しかできまい。そう考えると、ふと道を訊ねられたような一期一会にも、毎日出逢う家族と変わらない心の使い方が必要な気がしてくる。
反対の極限を考えてみよう。家族よりも、仕事仲間よりも、もっといつも一緒に過ごす仲というのはあるのだろうか。それはある。「自分」である。自分という「仲間」とつき合うのには、リアルタイム近傍系のつきあい方は出来ない。
「自分という仲間」と適切に距離をとり、そして語るには、いつも人生を要約しつつ、全体を紹介しあうような仲でなければならない。それは、どんな事になるのだろう。多分、それは自己認識という作業、反省という作業、さとりに至る道と言った事になるのだろうか。
時間間隔毎の仲間・・・あなたには、どんな間隔の仲間がいて、どんな会話をするだろうか。めったに会わない仲なのに、会ってもも、どうと言うことのない会話をしている仲の友人の顔を思い出して、みてほしい。きっと自分に一番似ているものをもつ人間ではないだろうか。要約など不要なのは当然である。
人間の仲というのは不思議なものだ。
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今日はここまで ではまた。
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【編集長より】
編集長の、くだらんおしゃべりでした。いきなり書いて、推敲、構成、言葉の神様によるチェックなどしてないおしゃべりに近い書き物でした。たまには、こういう事もしてみました。これで、約30分のおしゃべりです。今日は編集部掲示の「黙っていた方が・・・」の詩は無視です。
読みにくい分、リアルタイムのおしゃべりです。
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ミクロコスモス出版 ミクロコスモス編集部
編集長 森谷 昭一
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