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ミクロコスモス総合版2003年1月6日今日の詩「わたしが歌いに来た歌は」
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発行 ミクロコスモス編集部
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今日の詩 わたしが歌いに来た歌は
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わたしが歌いに来た歌は
わたしが歌いに来た歌は、まだ歌われないでいます
わたしは楽器の弦を緊めたり弛めたりして日を過ごして来ました。
時は、まだ熟さず、言葉はまだ正しく整いませぬ、
わたしの胸には、ただ仰望の悶えがあるだけです。
花はなお開かず、風が吐息して過ぎるばかりです。
わたしはまだあの方お顔をみません。声もきいていません、
ただ家の前の路にしずかな足音をきいただけです。
床の上にあの方のための場を用意して、長い日も過ぎました。
しかし、ランプはまだ点されていませぬ。
それで、わたしはあの方を家に迎えることができません。
わたしはあの方に逢う期待のうちに暮らしています。
でもこの出会いは、まだ果たされていません。
タゴール
ギータンジャリ(歌の贈り物)より
The song that I came to sing remains unsung to this day.
I have spent my days in stringing and in unstringing my instrument.
The time has not come true, the words have not been rightly set;
only there is the agony of wishing in my heart.
The blossom has not opened; only the wind is sighing by.
I have not seen his face, nor have I listened to his voice;
only I have heard his gentle footsteps from the road before my house.
The livelong day has passed in spreading his seat on the floor;
but the lamp has not been lit and I cannot ask him into my house.
I live in the hope of meeting with him; but this meeting is not yet.
東洋人で始めてノーベル文学賞を受賞したタゴール(1861-1941)の傑作「ギ ータンジャリ」からの歌です。ベンガル語の原詩より、自らの手により英訳が なされています。なによりも言葉の美しさを大切にして、簡潔で力強い叙情を 感じるものです。
一見すると、まだ見ぬ愛する人を待つ恋の歌ともとれますが、タゴールはまず 偉大な宗教詩人であった事を忘れないでください。
東洋の伝統として、恋の歌の形をとりながら、より偉大な存在への賛歌を詩と して歌い上げる事が多いのです。
タゴールの詩は、あまり余計な解釈を付け加えず、その言葉の響きとともに、 受け手の中での広がりを大切にしたい種類のものです。
わたしが歌いに来た歌とは どんな歌なのだろう?
まだ開かぬ花とは どんな花だろう?
あの方とはだれなのか?
点すべきランプとは何なのか?
そんな事を考えながら、詩を心の中で繰り返し響かせる。名詩に対してはそんな受けとめ方が正しいのです。解釈や分析は時として詩の生 命を奪う場合もあるからです。
「待つ」ことは、美しい心のありかたです。そして、それを望みつつ、準備を しつつ、ひたすら待ち続ける。待つ事により、自らの言葉と心は、自然と浄化 され、高められ、しだいに清貧な美しさを醸し出すようになります。待つ事は 美しい魂を育てるのでしょう。
詩を解釈せずに、暗唱して、やがて心に保持しておく。そして、何かを待つ。 そんな詩の味わい方も大切なものです。最高の詩に対する、あるべき態度なの かも知れません。
愛の深さは待つ事の長さ、愛の勝利とは待つ事の勝利、・・そんな言葉もありました。
タゴール知らなかった人は、是非この豊かな東洋の魂の宝庫を探索してください。
英訳が以下にすべてあります。
http://www.intratext.com/IXT/ENG0230/_index.htm
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今日はここまで ではまた。
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【編集長の台所】
100円ショップで、びかぴかステンレスのお椀だか、お皿だかを仕入れてき た。軽くて便利だ。陶器やら木の茶碗は、重たくて、洗いにくいし、ガチャガ チヤうるさい。
それで、良い物見つけたと、ステンレス製品を色々買い込んだ。全部これにし ても良い位軽くて扱いやすい。
どうして、金属の食器って日本じゃあまり使わないのかな?・・と考えた。イ ンド料理とか、韓国なんかも良く使うのにね。・・
しばらくして、ペット用品のコーナーをみたら、イヌの食器(餌器?)は、み なぴかぴかステンレスだった。これが原因なのか? とも思ったが、こんな便 利なものイヌにはもったいないと思った。
でも本当に、どうして日本は金属食器が嫌いなのかなあ。昔の給食の、アルミ のおわんとか好きだったけど。ついでに、あの先割れスプーンで食べるひじき の煮物なんかもおつなものだっけどな。・・
編集長は、日本文化を破壊するのが、一面好きだったりする。
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ミクロコスモス出版 ミクロコスモス編集部
編集長 森谷 昭一
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