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ミクロコスモス研究学園講座2002年12月26日考える論理「第3講」
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             発行 ミクロコスモス編集部。
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   教養系基礎 「考える論理」 第3講
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 前回は二元二次法を中心にお話ししました。今日は、それを発展させた論理パターンと、その応用を学んでください。


【常識反逆法】

普通には ○○○ とされるが、私は ●●● と考える。なぜなら ××× だかららだ。

 (○○○ と ●●● は否定関係である事が多い。)


[例文1]

普通は金があると幸せだと言うが、私はそう思わない。金がないのは、幸せな事だ。なぜなら、あれば失う心配ばかりして、夜も眠れないからである。なければ、安心できる。

[例文2]

ハゲ頭だからといって、理髪料が安くなるわけではない。髪の毛の探し賃が加わるからだ。

さて、第1講で、文章をうまく書くには「書いてから、考えよ。」の方針をとるべきだと書きましたが、常識反逆法など、この方法が最適です。創作なんてのは、人と違うことやる事だから、基本的に常識反逆法を用いるのです。世の中の常識を発見して、とにかく否定あるいは、移動してしまうのです。理由は後から、急いで考えます。急いで考えると、案外良い理論が生まれるものです。

 「なんだか反抗期の子供みたいだ。」と言うかも知れませんが、その通りで、創作なんてのは基本的に反抗なのです。過去の思想家達は、どうもみんな反抗期の子供のような人達で、世の中の常識をひっくり返してばかりいます。これを用いた大物思想家に イエスキリストがいます。

[例文3]

 幸いなるかな 心貧しき人 天国は彼らのものなり

イエスは、先立つユダヤ世界の常識に反逆しています。

 (ユダヤ世界の常識では)知識もない心貧しい人は、天国には行けないと言うが、そうではない。心貧しい人こそ、天国に行けるのだ。なぜならば・・・・

なぜならば・・の後に壮大緻密な理論が展開されるのですが、長くなるので別の講座に譲る事にします。ただ、この説明はイエスの代たけでは、完結せず、以後何百年に渡って続く弟子や神学者がより緻密にしてきています。

とにかく理由を考えてから否定するのではなく、否定してしまってかから何百年かけてゆっくり考えれば良いのです。

【二元二次法に強制価値付け法を組み合わせる】

第1講の[例文1]で、

 この世には話がうまくて、どんな難しいことでもやさし・中略・・・・・それは尊敬に値する。簡単な事を難しい言い方でいったとしたらそれは軽蔑に値する。

という論理展開を紹介しましたが、これは言い方と、事柄について強制二分法を使って、二元二次法の表を作ります。

[図1] 
       │    言い方  
       ├──────┬───────
       │ やさしい │  難しい
 ─┬────┼──────┼───────
 事│ 簡単 │      │
  ├────┼──────┼───────      
 柄│ 難しい│      │
 ─┴────┴──────┴───────  

次に、表に「強制価値付け法」を適応して、番号をつけます。難しい事柄を、やさしく説明するのを最上の事とし、簡単な事柄を難しく言うのを最低の順にするのです。

[図2]

       │    言い方  
       ├──────┬───────
       │ やさしい │  難しい
 ─┬────┼──────┼───────
 事│ 簡単 │ 2番   │ 4番
  ├────┼──────┼───────      
 柄│ 難しい│ 1番   │ 3番
 ─┴────┴──────┴───────  

そして、この順位に適当に形容する表現を配置すれば、文章が出来上がるのです。

[図3]
       │    言い方  
       ├──────┬───────
       │ やさしい │  難しい
 ─┬────┼──────┼───────
 事│ 簡単 │当たり前  │ 軽蔑すべき
  ├────┼──────┼───────      
 柄│ 難しい│尊敬できる │ 仕方ない
 ─┴────┴──────┴───────
  
【二元二次法に強制価値付け法に常識反逆法の組み合わせ】

努力の有無と、成果の有無の配列に、価値付けをして次のような表を作ります。

[図4] 
       │    努力  
       ├──────┬───────
       │ する   │  しない
 ─┬────┼──────┼───────
 成│ ある │  1   │  2
  ├────┼──────┼───────      
 果│ ない │  4   │  3
 ─┴────┴──────┴───────  
 
これを文章にすると

[例文4]

努力してそれなりの成果を得るのがもちろん最上で、努力しても成果がないのは最低だ。努力なしに成果がないより、あった方がもちろん良いが。

これに、常識反逆法を適応して、順位を入れ替えます。

[図5]     │    努力  
       ├──────┬───────
       │ する   │  しない
 ─┬────┼──────┼───────
 成│ ある │  4   │  3
  ├────┼──────┼───────      
 果│ ない │  1   │  2
 ─┴────┴──────┴─────── 

[例文5]

努力して成果があるのは当たり前で、価値はない。だが、成果がないのに努力するのは、なんと素晴らしい事だろう。なぜならば、人間はいつか滅びるもので、本来生きる事には最初から目的はない。だから、成果がないのに努力したと言うことは、生きる目的を自ら作ったと言うことなのだ。・・・

かなり強弁に近い論理ですが、理由は後から適当に考えればよいのです。

[図6]
       │    努力  
       ├──────┬───────
       │ する   │  しない
 ─┬────┼──────┼───────
 成│ ある │  1   │  1
  ├────┼──────┼───────      
 果│ ない │  ×    │  ×
 ─┴────┴──────┴─────── 

[例文6]

 努力しようと、しまいが、どうでも良い。成果だけが価値がある。

など、色々バリエーションはあります。

さて、以上の方法を使って古典の文章を解析してみましょう。親鸞の弟子唯円の「歎異抄」から有名な一節です。

【原文】

善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。しかるを、世のひとつねにいわく、悪人なお往生す、いかにいわんや善人をや。この条、一旦そのいわれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆえは、自力作善のひとは、ひとえに他力をたのむこころかけたるあいだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがえして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。

【現代訳】

『善人でさえ仏の真実の世界に往き遂げることができるのだから、悪人が往生するのは当然です』しかし、世間の人たちが常に言うのは、『悪人でさえ往生させてもらえるのだから、まして善人の往生は当然です』と。この事は一応、道理があるように思われますが、阿弥陀仏の根本の願いの働きに全てお任せする、『本願他力(ほんがんたりき)』の本意に背いています。なぜなら、自分の力で善行を積み上げて仏に成ろうと努力して、なんとかできると信じている『自力作善(じりきさぜん)』の人は、ひたすらに他力(阿弥陀仏の働き)にお任せするという、『馮む(たのむ)』心が欠けているので、阿弥陀仏の願いに添うものではありません。 しかし、自力の心を翻して、他力を馮みたてまつれば、真実の本願に報いて建てられた一如(いちにょ)真実の世界に往くことができるのです。

これは次のような表にする事が出来ます。

[図7]
       │    来世 
 世間の常識 ├──────┬───────
       │ 往生   │ 地獄(往生しない)
 ─┬────┼──────┼───────
 現│ 善人 │  1   │  ×
  ├────┼──────┼───────      
 世│ 悪人 │  2   │  ×
 ─┴────┴──────┴─────── 

この場合、順位は確実性の高さの順位です。これに、常識反逆法を適応します。

[図8]
       │    来世 
 世間の常識 ├──────┬───────
       │ 往生   │ 地獄
 ─┬────┼──────┼───────
 現│ 善人 │  2   │  ×
  ├────┼──────┼───────      
 世│ 悪人 │  1   │  ×
 ─┴────┴──────┴─────── 
この表を文章化したのが、

善人でさえ仏の真実の世界に往き遂げることができるのだから、悪人が往生するのは当然です。

つまり「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。」なのです。常識反逆法の定式での「なぜならば」の部分ですが、簡単に言うと

 善人は助けてもらおうと言う気持ちがないから、だめなんだ。・・

と言うことですが、これも現代に至るまで、教学者達がどうのこうのと、精緻な理論を展開しています。このような転換を最初に行ったのは、師匠の法然だと、最近の研究では言われていますが、明確化していったのは親鸞と、明治になっての再発見者である清沢満之などです。さて、この転換の前段階の歴史をみてみます。

[図9]
       │    来世 
 世間の常識 ├──────┬───────
       │ 往生   │ 地獄 
 ─┬────┼──────┼───────
 現│ 善人 │  ○   │  
  ├────┼──────┼───────      
 世│ 悪人 │      │  ○
 ─┴────┴──────┴─────── 

法然以前の、日本仏教の常識がこのようなものでした。それを転換して、容易さは別にして誰で天国にいけると定式化したのが、鎌倉仏教の基底にある論理展開だったのです。

もちろん、さらにその前史として、地獄と天国の無かった所に強制二分法を広めた「地獄の創造」があり、さらに前には、古事記の時代の善悪の定置があったのです。

思想史の展開速度は、論理の展開としてみれば、ひとつの転換を数世紀もかけていて、遅いものです。このように、論理パターンを適応して、古典を解釈していくと、案外に簡単な構造をしている事が分かります。

古典にあたる時は、みかけの複雑さに惑わされないで、下敷きになっている論理の単純さを読みとる能力を身につけてください。

また、このような論理を展開できる事は、未来を切り開くには大切な力となります。次のような表で、常識反逆をしてみてください。簡単にひとつ論文ができてしまいますよ。

[図10]
       │    社会の状態
 世間の常識 ├──────┬───────
       │ 平和   │ 戦争 
 ─┬────┼──────┼───────
 方│ 軍事 │      │  
  ├────┼──────┼───────      
 法│ 民事 │      │   
 ─┴────┴──────┴─────── 
[図11]

       │    社会
 世間の常識 ├──────┬───────
       │ 部分   │ 全体 
 ─┬────┼──────┼───────
 個│ 内面 │      │  
  ├────┼──────┼───────      
 人│ 表現 │      │   
 ─┴────┴──────┴─────── 

本日は演習はなし。次回にまわします。色々古典をよんだりして、どんな論理パターンが使われているか、分析してみてください。[図10][図11]をもとにして論理展開して文章作ってもよいです。正式には次回に出題します。

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      今日はここまで   良く復習すること
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 小田原の町中の唯一のレンタルCD屋が閉店してしまう。後は、ちょいと遠くまでいかないと、蔦屋のような大型店はない。小生のように自転車しかない人間には困りものだ。

郊外に大型店が出来て、町内の零細商店が潰れていくというパターンだ。郊外の大型店は、車を利用する事が前提になっている。そうすると、被害を受けるのが、交通手段をもたない小生のような貧乏人とか、行動半径の小さい高齢者とか子供達とかだ。

とってもけしからんぞ〜。なんでも車の利用を前提とするような町の構造はよろしくない。・・・社会問題は取り上げないのが方針なのだが、もう生活の問題なので、文句文句文句・・・

家から歩いて100歩ほどの所に小さな総菜屋があって、雨の日やら、足をくじいたりした時など、重宝しているのだが、こういうのがちやんとしている町が暮らしやすいのだ。

編集長は、自転車と鉄道のファンなので、自動車は大嫌いなのだ。ぶつくさ、ぶつくさ・・・・歩くのが一番。近くの映画館もつぶれるんだってさ・・・あのレンタルショップ、古い曲を揃えていて、便利だったのだが・・

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ミクロコスモス出版  ミクロコスモス編集部
   編集長  森谷 昭一  

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