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  ミクロコスモス総合版2002年10月30日今日の言葉「「機械と人間」
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                発行 ミクロコスモス編集部

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      今日の言葉 「機械と人間」
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  人間は機械をめざして、よりすぐれた人間になっていく。

  機械は人間をめざして、よりすぐれた機械になっていく。


 ピアノ、キーボード、バイオリン、など一流のプロになるためには執拗に音階や教則の反復練習を繰り返します。正確な音程で、粒のそろった、ムラのない指の動きが目標です。このように人間が「錬磨」する時、その目標は「機械のような動き」です。人の訓練は機械をめざしていくと言っても良いでしょう。

 ミクロン厚のかんなくずを残して、木を鏡のように仕上げる技、ノコギリで正確な「直線」に切断する技、それらの獲得には数十年の修練が必要です。修練の末に人間は機械に近づきます。

その高度な人間の到達点も電動機械なら、やすやすと仕上げてしまいます。機械は、人間の修練をあざ笑うごとく、その出発点で人間の終着点を成し遂げているのです。音階の正確さと速さだけなら、幼稚な電子楽器でも、はるかに人間をしのいでいます。電鋸や電気カンナなら、幾何学的な直線性の追求は出発点で完成しています。人間が生涯かけて追求する到達点を、機械はいとも簡単に成し遂げていて、それは人間が「練習などやんなっちゃう」ような正確さです。
 
 逆に、機械は、人間に近づくようにより高度に進化していきます。卵をつかんで移動させるなんて人間には簡単な事がロボットアームに極めて困難です。微妙な大きさの違いを感知して、つぶさないように適切に力を加えるには、とても高度な制御装置を必要とするのです。

 人間の動きを懸命になぞろうとしているのが機械です。最新型電子ミシンの繰り出す人間的な刺繍の曲線や、最新電子楽器の「まろやかな」音に人々は感心させられます。でも見事に書道をこなすロボットアームに感心する一方で、「そんなの人間がやりゃ良いではないか。」と思う人もいるでしょう。

 機械で出来ることは、機械で、人間的な事は人間がやればと、分業してしまえば良いのでしょうか。そう単純な事ではないと思います。機械と人間の関係は、もっとダイナミックです。人間は機械をめざす過程で、よりすぐれた人間になり、機械は人間をめざす過程で、より高度な機械になっていくからです。

 子供に雑巾がけさせたり黒板を拭かせると、実に「人間的」です。方向がそろわず、ムラで気まぐれな所だけ拭いたり、それは子供の「心」の状態そのものです。真っ直ぐ、むらなく、「四角い所を四角くなぞる」ように子供達は躾られます。道場の雑巾がけをして、素振りを繰り返す剣道の修行、体や心の「ゆらぎ」を制して心身脱落していく修行、大人になる事、より人間的な人間の追求というのは、表面的には人間が機械に近づいていくようです。

 「できる人間」、「きれる人間」、という表現は、機械的に仕事をこなせる人間のようです。「あの人の仕事は確かで、機械のようだ。」との言葉は、気まぐれや怠惰を脱して正確で的確な仕事の仕方への評価です。徹底的に正しい論理で合理的な判断をする人間を、周囲は「一個の機械」のような人間だと評したりします。

 そういう人に対して、「人間味がない」とか「冷たい人間だ」とか評するのは、基本訓練に脱落した人間のひがみか、自らの気まぐれと怠惰を隠蔽しようとする心理である場合がほとんどです。「一個の機械のような人間」は、良く観察すれば、より高い人間的な部分を自らの統制におこうとしているのです。

 機械的な判断を土台にして、より高みに挑戦している事などは、低い人間性では理解できないようです。人間がより機械的である事は、ある意味でより高い人間性をもつ証拠だと解せる場合は少なくないのです。謹厳実直という言葉は今では死語なのでしょうか。

 電脳化とか言いますが、近年の工学はより人間的な機械への挑戦を続けてはいます。「ファジイ」な電気釜なんてのが一時流行りましたが、より条件の場合分けを増やした制御装置がついてるだけで、人間的な判断からは、まだ遠いものです。

 近頃のコピー機などは、やけに賢くなりすぎて、原稿の大きさから、文字の濃さとか、読みとって動くようになっているので、便利なようで「分けがわからん」事が続出します。こちらの意図を読みとろうとするのですが、なんだか「新入社員」のごとく「ひとつ覚えの工夫なし」です。中途半端に人間頭の脳に接近した機械は、幼稚としか言いようのないものです。

 人間性に勝利をおさめた機械もあるようです。プロのチェスの名人をうち負かしたコンピューターとか、目隠しで聴かせたら生の演奏と見分けられなかった電子楽器とか出現するようになりました。まあ、若い店員の「機械的な接客」より、自動販売機の挨拶の方が気持ち良かったりする事がありますが。

 へたくそな演奏家は、打ち込みの電子音楽に淘汰されてしまって、超一流の芸術性と人間性をもたなくては、音楽の仕事もできなくなってきました。ロボットナースやロボット介護福祉士の方が安心してまかせられるような時代になったら、さあて人間はどう人間性を発揮していけば良いでしょうか。機械と戦って、機械的でない人間性を持ち続けるには、より高い人間的修練が必要な時代が来ているようです。

 チェスの名人とコンピューターの戦いも、実際には二人のプログラマーの間の戦いで、人間性と人間性の戦いです。機械を設計する人間の人間性が、機械に投影される事は確かです。機械は人間が作ったもので、機械と人間の関係と言うのは、実は人間の異なるふたつの性向の違いだとも言えます。機械と人間の関係を論じてみると、人間の事が良く解ります。

 次の言葉も、違う意味で機械と人間の関係を示した言葉です。別の機会に解説する事にします。


 機械が機械であるためには、人間的なものが必要である。

 人間が人間であるためには、機械的なものが必要である。

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    今日はここまで   ではまた。
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