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ミクロコスモス総合版2002年10月27日今日の詩「十六大角豆」
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                発行 ミクロコスモス編集部

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  今日の詩  野口雨情  十六大角豆
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【雨情による完成作】

 
 十六大角豆


  胡麻の木
  畑は
  皆はねた

  十六大角豆も
  皆はねた
 
  雀が畑に
  かくれてる

  鉄奨とんぼに
  話して来

           野口雨情

【ひらがな わかちがき】

  
   じゅうろく ささげ

  ごまの き
  はたけ は
  みな はねた

  じゅうろく きさげ も
  みな はねた

  すずめ が はたけ に
  かくれてる

  おはぐろ とんぼ に
  ななして こ

【語句解説】

  十六大角豆
 蔓性キサゲの一種で実は30センチ以上になる。豆が16個以上入っている事からこの名がある。

    鉄奨とんぼ 
 正式の名をアオハタトンボという。黒い羽の小さなトンボ。昔は畑にごく普通にいた。

【解説】
 野口雨情(1882年5月29日〜1945年1月27日)は、北原白秋、西条八十 らとともに、赤い鳥で活躍した詩人である。野口の作品は、その通俗性、庶民性、日本的情緒により、多くの人に歌い継がれている。

 野口雨情の、代表的な作品として、この「十六大角豆」が取り上げられる事が多い。
良い詩には「思想性」「音楽性」「絵画性」「具体性といっても良い実存性」「心理あるいは感情描写」「物語性」のいくつがが、盛り込まれているものだが、この詩は絵画性と音楽性および具体性に方向がある。

 このような風景は、今でもどこかに残っているのだろうか。日本の原風景とでも言うべき里山近くの畑で、収穫も終わり、捨てられたような胡麻や十六大角豆が乾燥して秋の光を受けている。そんな情景と、はぜるような音感が響いてて来る。雀の声とから鉄奨とんぼへと絵画の遠近法的な描写で詩が構成されている。この詩に思想性や物語性は皆無とは言わないが、解説者は画像の詩として評価している。

 雨情の音楽的なリズムの追求は徹底している。それは初期の発表形態と、比較すると良くわかる。 
 
【初期発表の形】

  胡麻の木畑は、みなはねた

  十六大角豆は皆はねた

  雀が畑に、かくれてる

  鉄奨とんぼに、話して来


 完成作では、細かく分けて表記されているが、初期には四行の形式となっている。また「十六大角豆は」から「十六大角豆も」への修正は、より遠近感をと動きを生んでいる。リズムに対する考慮は次のように「文節分けローマ字表記」をするとより明確になる。もし、これを音楽にのせるとして、音符に割り振ると次ぎのようになるだろう。なお、●は強拍、# は休符にあたる所をしめす。見て貰うと、うまく四拍子にのっている事が解る。この詩の音楽的な頂点は最後の「来」だろう。これが「来よう」とかだったら、この詩の価値は半減する。その最後の響きにに実に見事な重心がかかっている。四拍にふった場合の強拍になる事からも解る。

 【文節分けローマ字表記】

go ma noki
● ♪ ♪♪

hatakewa
●♪♪♪

minahane ta###
●♪♪♪  ●♪♪♪

jyu u roku kisage mo
●♪  ♪♪ ●♪♪ ♪

minahane ta# ##
●♪♪♪  ●♪♪♪

su zumega hatakeni
● ♪ ♪ ♪ ● ♪♪♪

ka kureteru###
● ♪♪♪ ●♪♪♪

ohaguro ton bo ni
●♪♪♪ ● ♪♪♪

hanasiteko ###
●♪♪♪● ♪♪♪


 さて最後に、この詩の意味の論理時な関係を分析してみよう。言葉と言葉の結びつきは、基本的に「近似・順列関係」つまり、似たものを喚起して、まとめる関係と、「緊張・切断的関係」つまり、語と語の常識的な結合を排除して新しい結合を創製するふたつに分けられるだろう。前者は解りやすいが、陳腐な表現であり、後者は斬新であるが、時として理解されにくい表現となる。これらは、語と語の関係のみでなく、文節や文、連、などにも適応できる。この詩の文と連についての論理関係を図示したのが次の図である。便宜上 ABCD の四部の連に分けてみた。

【論理図】


  胡麻の木         胡麻の木 / はねる(近似関係)現実
A 畑は
  皆はねた
 ──────── 近似順列関係
B 十六大角豆も
  皆はねた        十六大角豆 / はねる(近似関係)現実
 ──────── 近似関係だが、切断的
C 雀が畑に
  かくれてる       雀  / かくれる (準近似関係)現実
 ━━━━━━━━ 切断的関係
D 鉄奨とんぼに
  話して来        とんぼ / 話す  (緊張関係)非現実

 A→B は解りやすい順接関係で、B→C は、やや緊張感をもたせ、C→D で切断的で、挑戦的なな「投入」とでも言うべき斬新な関連性を配置している。この部分に、雨情の詩人としての個性が示されている。このような切断だけで、詩を構成すれば、より斬新となるかもしれないが、時に難解、場合によっては狂気に近づいていく。この出来のよさは、ABCで、日常的な情景描写をおこない、Cの緩やかな勾配で助走して、最後にDの童話的・物語的な世界を「来」という響きのの強拍とともに、見事に演出している技巧に起因している。

 詩とは、より小さな言葉の結合空間に、どれだけ多くの「思想性」「絵画性」「音楽性」「実存」を凝縮しているかに、その価値がかかっている。その良い例として、今日とりあげた詩を読みとってもらえれば、幸いである。

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   今日はここまで   ではまた。
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【お知らせ】 なし

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   ミクロコスモス出版  ミクロコスモス編集部
   編集長  森谷 昭一