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 ミクロコスモス総合版2002年10月17日今日の詩「放浪詩人末蔵」
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            発行 ミクロコスモス編集部

 
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     今日の詩  放浪詩人 末蔵 のうた
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  末蔵 は放浪詩人である。いや、家も明日の糧もない浮浪の者が、時として、リズムにまかせて思いつきを言葉としたと言う方が近いのだろう。

 路上で物乞いをしながら末蔵は歌った。日々の糧をそこから得ているとすれば、希有なプロの詩人とも言えなくはないが、皮肉にすぎないだろう。

 歌は末蔵の命の支えでもあった。歌う事で、やっと我が身と心を何とか保っているというのが事実だった。末蔵は歌う前に、長い時間、体をゆすった。そして、なんとか血液をめぐらせ、言葉の出せる体にしていくようだった。

 決まった旋律にのせて、即興でうたわれる歌のほとんどは了解不可能なものだが、ふと巡り合わせたかのように、形の整ったものが口から飛び出して来るのだった。

 それを聞きつけた通行人達の耳にはいり、覚えられ、やがて市中に広まっていった。広まる頃には、末蔵はもう町を出て、どこか見知らぬ土地へ脚を引きずっていくのだった。彼は文字を書かなかった。彼の死後(行方不明後といった方が正確だ)、末蔵の詩にひかれた一人の研究者が各地をまわり、聞き書きしたものが残されている。

 末蔵は乞食に用いる腕ひとつと、歌にもちいる小さな鉦をひとつだけもっているだけだった。それは、どこにでもある仏壇で鳴らす鈴(りん)と呼ばれるもので、歌い出す前に、末蔵はそれをたたき、リズムを作っていった。町の中で聞く鈴の音の異様さにひかれ、人々は末蔵の前に集まった。

 歌になると、鈴はやめ、末蔵は手をうったり、棒きれで地面を叩いたりして、拍をうった。
大部分の歌は、単にリズムだけで、おもいつく言葉をならべただけのものだった。このよなものである。

  ひとの世の悲しさは
  光あふれるごとく
  土にも似て
  竹の皮を
  浮かべては

「ひとの世の〜」と始まる所だけがいつも共通で、後はその葉限りの言葉が多かった。脈絡もなく、ただリズムに押し出されて、口から出てきたものが大半だ。

 末蔵は、病んでいた事は確かだ。体もそうだが、今日、専門家の診断を受ければ、みあった病名をつけられ、それなりの保護なり福祉が与えられたかもしれないが、そういう時代ではなかった。

だが、時に、意味のはっきりした、世の人に理解され、そして共感を導く言葉もあった。

  人の心の貧しさは
  金さえきかぬ
  うすら寒
  井戸さえかさぬ
  乞食(こつじき)に


だか、読んでお分かりのように、韻を踏むわけでなく、言葉を選ぶわけでなく、詩作をしようという意志や工夫は感じられない。だが、それだけに、ぞっとするような直裁な言葉もある。


  人の世の悲しみは
  親が子を食み
  子は親を切り
  育てる怖さ
  捨てる闇


 そんな生活だから、末蔵のかいまみる世界は、きっと市井の人は違う、厳しくも悲しい人々の生活の世界だったのかもしれない。たまに髪を乱した老婆が、末蔵の歌に涙している事があったようだが、そんな世界の住人だったのだ。末蔵は、このようになる前に、何をしていた人間なのは、まったく知られない。ただ、言葉の端々に、暮らしの言葉とは違う、学問の言葉や発想も混じっていた。案外と知的な職業の者が心と体を病んだ末に、たどりついた姿だったのかもしれない。それらは謎のままである。


  人の世の寂しさは
  心のともしび
  日のくるわ
  時よりいでて
  時にかえる


 こんな、難しく解釈すれば、それなりの世界観を広げられるような一節もあるが、偶然なのか、意図なのかも分からない。神が狂人に語らせたと言って、末蔵のような者を押し立てる宗教官僚候補にでも出逢えば、教祖となり、小さな教団を形成していたかもしれないが、そんな風格はなかった。何よりも、生活欠陥の程度が度を過ぎていた。だが、批判精神らしきものも見られる一節もある。


  人の心の悲しさは
  いつか死ぬ身と
  いいながら
  飯をくわねば
  死にもせず


 この歌は、末蔵の歌を聞きつけた、ある僧侶が書き取って伝えたものだが、僧への批判と捉えて、苦笑していたというが、末蔵にそんな気があったか、分からない。第一に、末蔵の言葉は曖昧で、時に聞き取りにくい。聴くものが、そこを補うとき、それか過分になれば、聴く者の心の深層を末蔵の曖昧にのせて、半分創作してしまう可能性もないではない。

 時に、末蔵にリクエストをする者もいたらしい。「おい、乞食。人の世の悲しさと歌うが、人の世の行く末はどうかうたってみろ。」と、立派なみなりの金持ちらしき者が言うと、末蔵は目を下げたまま、歌を繰り返すばかりだった。そして、男が立ち去り、しばらくすると、急に思い出したように、言葉をかえて歌ったという。こんなような歌だった。

  人の世の行く末は
  光あふれるごとく
  死に果てて
  乞食のごとく
  みなうつろう


まわりにいて、ずっと末蔵を聴いていた者達は、拍手喝采をしたと言う。だが、末蔵は機知や工夫でそんな事をした訳ではなかったようだ。末蔵は外界からの言葉は、あまり心の中に入ってこなかったようだ。だが、たまに、ふとした時に、耳をとおして心が開き、一言二言の言葉が飛び込んでくるのだった。それに、しばらく時間をおいて反応したのが事実だったのだろう。

はっきりとした形で、しかも誰にも分かりやすい詩もある。


  人の世の寂しさは
  語りて尚も
  届かぬ詩
  海のみぞ知る
  山のみぞ語る


 このような完成作が、末蔵の口から直接でたものかは分からない。前述したように、末蔵の口から出た曖昧な言葉が、聞き取ったものによって整形され、伝聞を経るうちに美化されていった事も多かったに違いない。しかし、それも末蔵と民衆との合作と考えれば、見事な作品として受容するのが正しい態度に違いない。

 本来、流行歌(はやりうた)というのはそ、そういうものだったのだろう。深い狂気、暗すぎて表にでない人の闇を、言葉整わぬ者が叫び、それを人々の言葉のリレーのうちに、頑強な常識の世界に伝えていく。それか民衆の歌の歌い方かもしれない。しかし、もちろん末蔵は、民衆詩人でもなく、真に心の病む一個の浮浪の者だった。


 末蔵の歌は、また多く伝えられている。次回に、末蔵が自然と対話した歌や、伝えられた行動の断片をさらに紹介したい。

【編集長より】

 今回の執筆者は、放浪の芸能者、詩人を研究されています。数人の無名の詩人を発掘されて、研究中なので、一部ミクロコスモスに発表させていただきます。ただ、学術研究中のものの特別な形での紹介となります。

今回の記事は、本来はミクロコスモス大学講座「文芸4」の特別講義録になる予定のものですが、量がそろわないので、総合版に順次発表という事にしました。
 
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    今日はここまで   ではまた。
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【お詫び】
 すいません。夜中に発行が普通なのですが、お昼過ぎになってしまいました。朝一番に読まれるという読者には、申し訳ありませんでした。

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ミクロコスモス出版  ミクロコスモス編集部
   編集長  森谷 昭一