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メイルマガジン 「ミクロコスモス」 総合版
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2002/8/29
ミクロコスモス編集部
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今日の言葉
8月24日号の質問に答えて
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悟りの前に・・・・お粥を炊いていた
悟りの後に・・・・お粥を炊いていた
禅の言葉
旅を続けたお終いに、こうして町にたどりついた
そこにも人がいて、私の故郷とかわらすに
いつものように暮らしていた。そして、
若き人は、昔の私のようにどこかに旅立とうとしている。
ミクロコスモス 水滴集より
平和に安住する時、平和が失われ
愛に安住する時、愛をうしない
悟りを見た瞬間に、悟りは遠ざかる
暮らしに埋もれる時、諍いは始まる
「都市の風景より」
8月24日号に記事をのせていただいた者です。「神や悟りや愛より高いものって何だ。」という御質問を沢山いただきました。誤解を恐れず、ああいう書き方をしたのですが、もう少し説明させて頂きます。 悟りより高いものと言えば、「日常」や「暮らし」です。最初の言葉
悟りの前に・・・・お粥を炊いていた
悟りの跡に・・・・お粥を炊いていた
は禅の言葉ですが、雲水達は悟りのために日常の作務(さむ)を大事にする事をたたきこまれます。お粥のための米からひとつの砂を分ける所作ひとつが悟りのための道とされます。さて、そんな事をしてある日に悟ったとしましょう。それで、世界が変わるわけでもないのです。偉くなったり位があがって尊敬されるわけでもないのです。五位という段階の最初にしか過ぎません。楽器の演奏者が最初に指使いや楽譜を理解して、「こうしたら音楽はやれるのだ。」と分かった段階です。そこから、自由に指が動き、観客の心や空気を感じて、歴史の中の一瞬を歌えるようになるのは途方もない時が必要なのです。悟りは日常をより良く生きる指針を得ただけなのです。
では、日常を普通に暮らしていれば良いのかと言うと、それに埋没すれば諍いがおこるといいます。自分が暮らす事だけを考えれば、ゴミがどうのこうのと隣人と諍いが始まります。平和も愛も小さな集団だけにしか目を向けなければ、やがて他の平和や愛を奪っていきます。
だから日常に埋没して暮らす事から、より広い世界に夢を求めて旅立つ事が大切なのです。でも、旅は不思議なものです。どんな遠くにいったようでも、来てみると、そこには普通の人々の暮らしがあって、同じように遠くを夢見ています。夢の向こうにあるものが、今の自分だったり、とても「なにげないもの」だったりするのです。
「じゃあ、じゃんけんみたいに循環構造をしてるのか。」「求める事そのもの、永久運動が大切なのか。」というと・・・全く違います。
高く、高く、すべてをつきぬけて高く、高さも言葉も消えるまで。
と最後に書きましたが、「高さも言葉も消えるまで。」を今回の答えにしておきます。高さを求めて高く高く登って、やがて宇宙にとびだせば、無重力で上も下も高さもなくなってしまいます。
前回、編集長から「分かりやすく工夫してるのはいいけど、直裁すぎて芸術味がないんだよね。」と言われてしまいました。無骨なもので、ひと工夫というのが出来ません。お許しください。
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きょうは、ここまで。ではまた。
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【お知らせ】五月より今月までメールマガジンを続けてきましたが、第一期ということで、次月より少し形態をかえて、再出発いたします。8月いっぱいで、本誌は一度終了させていただきます。御購読ありがとうございました。
【訂正】昨日8月28日号の最後の文
この本を是非一冊書棚の右上に揃えてください。
の「右上」は「左上」の間違いだと執筆者より訂正がありました。図書館では「左から右 上から下」に本を並べるので、左上の本はいちばん最初にある出発点になる本と言う意味だそうです。
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ミクロコスモスロス出版局
メイルマガジン編集部
編集長 森谷 昭一
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