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     メイルマガジン 「ミクロコスモス」  総合版
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                    2002/7/22
         ミクロコスモス編集部

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      編集長のだらだら文句
       
 間違いだらけのコンピューター
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 「あほんだら〜 日本文化を何と思っている〜」・・と品の良いミクロコスモスらしくなく、言葉汚く始まりましたが、本当に頭に来ているのです。コンピューターの話題ですが。

 みなさん、コンピューターで文章を書くときは、どんなソフトを使っていますか。ワープロソフトと漢字変換システムの組み合わせの事です。

 編集長はジャストシステムのATOKとORGAIの組み合わせです。その他、simpleTextか秀丸あたりを、目的によって使い分けます。当然、ワードとか一太郎を直接に文章書きに使う事はありません。割付には使います。

 気に入って長く使っているのが ORGAI です。一応ワープロソフトで、割付ソフトとしても使えるのですが、テキストエディターとして使うのに極めて便利なものです。

 ORGAIには、日本語の原稿用紙モードというのがあって、まるで原稿用紙そのものの画面に、縦書きで墨痕鮮やかに(キータッチ鮮やかに?)文章が綴られるのです。なんとも文豪になった気分でコンピューターに向かえる名作ソフトなのです。もちろんこのような事は一太郎やワードでも、あれこれテンプレートを使うと出来るのですが、最初から気軽に立ち上がるものはORGAIだけです。

 文章を書くときは、枠が必要です。「原稿用紙、三枚でお願いします。・・」といって編集者は筆者に依頼するのが常です。そして、書く方も、「良し、三枚か、ちと狭いけど、なんとかまとめ込もう。」とか枚数制限の中で四苦八苦するのです。この「枠」があるから、名文が生まれるのです。

 文章書きを多少とも経験した人なら、「文章書きとは、棄てる技である。」という事を痛切に感じているはずです。人間は、思いの連鎖の中に生きていますから、何か書き始めれば、その連鎖が解放されて、延々と森をからめるツタのように、思いは、はびこっていくのです。そして本人が満足すればするほど、読み手には意味不明な文字の連続が増殖していきます。
 
 それを、断ち切って、盆栽のように整形してくれるのが、原稿用紙というものです。枚数という「切断」も文章を形にしてくれますし、縦二十文字という切断も、文章にリズムと「切れ」を与えてくれます。日本の名文を生んだ舞台裏には「原稿用紙」という大道具があったのです。

 これを破壊して、「だらだら文章」をはびこらせているのが、浅薄なワープロソフトです。文章にあわせて、用紙の方がいくらでも増殖して「棄てること」を忘れた文章がたれ流しになっていくのです。その良い例は、今書いているこの文ですが。目下、切れ目のない、simple Textを 使っているので、文がだらだら続きます。さらに、本日は文句を言えるだけ言ってやるという「やけ」な気分で書いてますので、どんどな文章が増殖しています。

 制限をかけない表現というのは、「おしゃべり」「言いたい放題」「散らし文字」というのです。

 さて、原稿用紙を前にすれば、きりりと身が引き締まり、わずかな言語空間に最大の意味をこめてやるという詩的精神がこみ上げてくるのです。こういう「マチエール」を考えない「文具」は分化を破壊するものです。だいたい、日本の文化を破壊しているのは、「ワード」と「outlook・・」です。

 英語のしかも商業文書を能率的に扱う道具として構築されたワードですが、わずかな「ローカライズ」だけで、日本いや世界各国にあてがわれているわけで、「使いにくいったらありゃしない」それに、IEと言う漢字変換システムも「頭悪っう〜、馬鹿でない」・・・・と最大限のひどい表現をしたくなります。

 さらに、ワードが「コンピューターの入門、常識」とか言って、町のPC教室で、「女・子供・老人」に押しつけられているのです。(筆者の差別的意識でなく、そういうのを主宰している人の意識を表現したつもりです。)

 高額のコンピューターを購入し、「自分史」、「私小説」、「町内会広報誌」などを、計画している高邁な精神の60歳前後の人達のコンピューター導入を随分とお世話したのですが、編集長なりに使いやすいエディターとか、0AGAIなんかを勧めたのですが、

「いや市で主宰している教室でみんなこれだし・・・」

「ワードがコンピューターの基礎ってみんな言ってるし、これ以上 難しいのは困るよ。」とか言われてしまうのです。

「あほっ〜、ワードが基礎だと、これはソフトとしてはジャンボジェット、航空母艦並の巨大難解ソフトだ。こんなの、初心者が使ってどうなる。歳とってから免許とっていきなり、F1マシン運転するようなものだぞ〜」

 と言う編集長の思いは、とんと通じないのです。仕方なく、なんとか「デフォルト」で展開する「お節介自動機能」をはずして、大きな文字の原稿用紙に近いテンプレートを作って、なんとか昔のワープロに近い状態にもっていくのです。

 挙げ句の果てに、タブ機能、禁則処理、プロホーショナル文字、段落機能・・・等の概念なしに使うから、急に文字がワープしたり、正体不明の魔法みたいな事が続出して、ついに「私にはついていけない。・・」とかになってしまうのです。

 ワード使用は、英語で貿易実務をこなしたりと言った、グローバルスタンダードのビジネスに参加するための通過儀礼、IDカードみたいなものです。商業科の青少年なら、びしびしワードエクセルをたたき込みますが。

貴重な体験を自分史や私小説として日本文化の中に残そうという高邁な目的のために用いる道具としては不向きです。ワードやらのおかげて、経験豊かな人達の頭脳の底に蓄積している、貴重な分化遺産が表現される事を阻害してしまったか測りしれないのです。文化破壊と言わずに何といいましょうか。

 だいたい、ワードやエクセルの画面の莫大なツール群が画面に占める割合はなんでしょうか。戦闘機のコックピットみたいなメニューの群に囲まれて、小窓のように小さな書面で文字をちょこちょこ書くなんて、言語に対して恥辱的な扱いをしていると感じるべきものです。

 やっぱり、原稿用紙に墨痕鮮やかに、文字が意志をもつごとく、文章が綴られるべきなのです。それなら、筆と紙でやれとか言うかもしれませんが、機械が機械のまま人間に歩み寄りを要求するのと、人間の細やかなマチエールに少しでも機械を近づけようとするのでは雲泥の差があります。

 そんな日本の文字文化を大切にして、より「もどき」を「本物」に近づけていく意志を持ち、努力をしている開発者は多いのです。一太郎はとATOKなどは、ワードに比べたら格段に日本語を的確に表現できます。使いやすさも段違いです。でも巨大化して初心者には、「どこをどうしたら良いのやら」の程度は似たものです。IMEを使わされている初心者に比べたら、一太郎に出会えた人は幾分か幸福ではありますが。

でも、やっぱりもっと軽くて、もっと原稿用紙に近く、単純明快なソフトが望まれます。いくつかの試みはありますが、いずれも小さなソフトウェアハウスです。

 このOAGAIは基本的にマック用です。ただ古いバージョンでウインドウズ用もありました。そんな高機能は必要なので、ウインドウズバージョンも使いやすいものでした。ただし、バグがあって不安定でした。

より良いバージョンアップや、各OSへの細かな対応も期待したのですが、数年前に生産およびサポート中止になりました。企業そのものが方向変換したらしく、小さな会社の時には日本語を良く生かした良いソフトを作っていたのですが、別の方向にいって、OAGAIは切り捨てられたようです。

 だいたい、過去より数多くのソフトが現れては消えましたが、残ったソフトが良いものだとは決して言えないのです。BASIC時代に、PN101という名作ワープロがあって常用していましたが、一太郎に制覇されてしまいました。その一太郎も一時期、ワードに制覇されそうになったのですが、なんとか生き延びています。

 PN101には今考えても斬新な機能がありました。それは「すべてを一度ひらがな入力して、後からゆっくりと漢字に変換する機能」です。原稿用紙一枚分ほどを一度ひらがなで入力して、時をおいて漢字変換できました。

 アイデアが溢れる時や、文章のリズムを大切にしたいとき、リアルタイムの速記的な利用には最適でした。今、そういう発想のソフトはありません。その他、日本語を大切にして、書くという繊細な作業を強力に援助してくれるソフトは、ポツポツと現れましたが、みんなワードにもみ消されてしまいました。

 大体において、企業が製品をサポートする期間は短すぎます。社会的責任を果たして欲しいものですが、少数でも良いソフトを永く提供するのは経済的に成り立たない場合が多く、資本の論理で切り捨てるか、または会社そのものが無くなってしまう事が多いのです。それも数年でそんな事がおきます。

 小さなエディターを提供している個人や、個人に近い法人の方が以外と長命に、シェアウェアを提供しています。OAGAIもパブリックドメインにでも解放して、だれか小規模にメンテナンスしてくれると有り難いのですが。

 ワープロソフトと、漢字変換システムは「手前味噌」で、自分の使っているものが最高と考えてるいる人が多いようです。お前の言っているのも「手前味噌」の一種だろう・・・と言われるかもしれませんが、小生はマルチユーザーです。マックもユニックスもWINも適材適所で使いわけます。

 ワードの「アウトライン機能」は使いやすいので、階層性を構築するときに使います。自然科学の横書き文書の原稿はシェァのエディターとか、simpleTextを使います。人文科学系の論文や評論はOGAIを使います。

 編集長はアンチウインドウズという訳でなく、相当な金額をマイクロソフトに支払っている優良ユーザーです。事務的な能率を追求するには、実に有効な道具です。使った事もなく、自分の狭さを隠すために、奇妙な対抗意識をあおったりする、奇妙な「アンチ○○○」でもありません。

 でも、なんだか、最近のコンピューターの世界は「おっかしな一律主義」が横行しています。まあ、TORNの事やら、文字セットの事やら、デフォルトの事やら、親指シフトの事やら、コンピューター教育の事やら、電子出版の事やら、言いたい事は山ほどあって、「間違いだらけの○○○」みたいな本を十冊程書きたい位ですが、今回はこの位で「だらだら文章」は終わりにして、またそのうち続きを書きます。・・・・

 今日の要約

★ OAGAIは見事なソフトだ。なんとか残せないか。

★ 谷間に咲く白百合のようなソフトが、消えていった。残って
  いるのはセイタカアワダチ草だぞ〜
★ 日本語書くなら、ワードは使うな。まだ一太郎。できたらエ
  ディターを使え。
★ 世界に広がる一律主義から、言語文化を守れ。
★ 枠を作って棄てる事に徹して、名文をかけ。


 本日の文章は悪例です。長くてすみませんでした。

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  きょうは、ここまで。
      ではまた。
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        メイルマガジン編集部
        編集長  森谷 昭一