=============================================
メイルマガジン 「ミクロコスモス」 総合版 ============================================ 2002/6/8 ミクロコスモス編集部 ───────────────── 今日の詩(言葉)と 舞台紹介 ───────────────── 転形 人は、ゆっくりやってくる そして、ゆっくり佇んで ゆっくりと、去っていく 去ることも、止まることも そんな違いはないような形で * 静かに、誰かがやってきて 知らずに 、 静かに過ぎていく 誰も、たいして気がつかない 気づく事も、気づかぬ事も そんな違いはないように * 大切な人は静かにやってくる そして黙って、そばにいて しずかに、どこかに去っていく 話すことも、黙っていることも そんな違いはないふりをして * 左を向く人がいる 右を向くひとがいる どこを向くことなく佇む人がいる そのたびに、音楽が聞こえ そのたびに、光が転じていく * ふと誰かがやってきて しばらく、そばに佇む ひととき、水をみつめる ふと水を汲んだ静けさの その一瞬の永遠 * 人がやって来て 人が去っていく 残る者はない ただ、光が転じ いつまでも、無言の響きがある ─────────────────── これは、私に残されている ある舞台の映像です。 もう二十年以上も経ちましたか。 太田省吾 作 転形劇場 作品 「水の駅」を 観たことがあります。 それは、運送会社の向かいのアトリエでした。 しずかで、光の美しい、見事な舞台でした。 良い舞台は、観客を神の視座に立たせてくれます。 人が来て、人が行く、 その場に水通栓から落ちる ひとすじの水がありました。 以後、これを越える舞台というものを 私は、観た事がありません。 か/か ─────────────────────────────── 【編集長より】 編集長も同じ舞台を観ました。少し解説しましょう。「水の駅」無言劇です。厳しく訓練された役者達が、静かにゆっくり、時をかかえて舞台を回っていきます。能の伝統が取り入れられているのでしょう。 中央に、粗末な水通栓から 細く水が流れ出ています。さまざまな人生の道具を抱えた人が、右かせ静かに入ってきてそして、水の側で、ひととき演じます。だが、やがてしずかに 左に去っていきます。そう、能舞台と能のしぐさ。そして、転換。 その度に、静かに音楽が流れて、照明が変わっていきます。役者と同じく、この舞台は照明や小道具も確かに演じていました。 主役は、「場」であったのかもしれません。 劇団解散前の、最後の公演で、太田省吾が 挨拶をしました。 「最後まで、気になったのは栓からの水の出方の調節に苦労した。」 そう語りました。 |
|||