□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ メイルマガジン 「ミクロコスモス」 総合版 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 2002/6/1 ミクロコスモス編集部 △△△△△△△△△△△△△△△△△△△△ 梅雨の症状と子守歌 △△△△△△△△△△△△△△△△△△△△ 昔を想えば、馬鹿だった 今を思えば、かったるい 明日を想えば、なにもない ・・・・・ こんな事をつぷやいている人がいたら・・・ 「どっ・・どっどうしたんだ。どこか悪いのか。」 そう聞きたくなります。 こんな症状の人が、梅雨には増えます。 でも、悪いことではないんです。 自己を失う程の反省って、こういう事ですし、 最小限の生き方って、このようなものですし、 「夢という愚行」をおかさないとはこういう事です。 倦怠は人を深い反省に導く。 虚無は、夢という愚行を静謐にする。 ・・・・ 心配しなくても平気です。 本当のの詩人 本当の音楽家は ちゃんと、そこから、また旅立ちますから。 そこに戻る度に、言葉と音は清冽さを増していきます。 そこから旅立つには、よい子守歌が必要です。いくつか例を 唄を忘れた金糸雀は 後ろの山に棄てましょか いえ、いえ、それはなりませぬ 唄を忘れた金糸雀は 象牙の船に、銀の櫂 月夜の海に浮かべれば 忘れた唄を思い出す 西条 八十 懐かしい、やさしい子守歌ですね。こんな子守歌もあります。 すこし前の、 後悔ばかり していた自分を超えよう。 何かが正しく 何かがまちがっていたなんて。 どちらかが正しく もう片方がまちがっていたなんて。 事実があって、感情があるだけだ。 その感情をささえるのが今ならば、 何かを忘れ去るのでなく、 何が私にくっついていても、 許せるような強い自分に、 今はなりたい。 銀色夏生 春の野原 満天の星の下 より こんな風に人は少しずつ、とらわれの中から、広い自由にむかうのです。 最後に、ちと、新宿花園神社テント舞台の香りのするやつ 母と私は、 さみしいとき、 「口の運動」をしてあそびました。 いろはにほへと、を鋏で切りきざんて 順序を勝手にならべかえてよむのです いしかねぬ ゐに くちみほそ のせもたむるは をゑらよら あたしたちは、これを何べんも口ずさみました それは・・・・・詩になりました どんな名台詞よりもしみじみと心に沁みました 口ずさんでいるだけで 何だか ゆかいになってきました つらいことなんかありませんでした いしかねぬ ゐに くちみほそ のせもたむるは をゑらよら それが大山デブコの一生でした」 寺山修司 「大山デブコの犯罪」より どんなに底に沈んでいって、心身が動かなくなって来ても、最後に一カ所だけ、ほんの僅かで良いから、体の小さな一部を動かすか、動かす意志をもてれば、それだけで、もう未来にすべてが開いています。それを子守歌と呼んでおきます。 あなたは、疲れた心に響く、子守歌をもってますか。 ===================================== きょうは、ここまで。 ではまた。 ====================================== 【編集後記】 編集長は、恒例の月初めのご挨拶が書けずに、寝てばかりいます。 きっと奇妙な時のご挨拶となるでしょう。 ミクロコスモスロス出版局 メイルマガジン編集部 編集長 森谷 昭一 ================================================= ご感想、ご意見、ご質問 リクエストは以下まで micos@desk.email.ne.jp ================================================= |
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