──────────────────────────────────
ミクロコスモス総合版2002年11月26日今日の言葉「浮かす」
─────────────────────────────────
発行 ミクロコスモス編集部
───────────────────
今日の言葉 「浮かす」
───────────────────
○ 浮かすんだ。
塗装職人、義邦 が弟子に言った言葉
人間の行為で、面を擦る動作は多いものです。筆で文字を書く。カンナで木を削る。黒板拭きできれいにする。床をほうきで掃く。ペンキを塗る。みな面をこする操作です。このような動作では、面に「水平な力」と「垂直な力」のふたつの力がかかります。文字を書く時に「筆圧と感じられるのが「垂直な力」です。水平方向の力は「運筆」としての力です。
このような作業において、多くの初心者は、垂直な力をかけすぎてしまいます。その力を減らすのが上達への第一の関門です。「浮かす」という感覚を得ると、一段上の技の世界が開けるのです。
竹箒で庭掃除をする時、地面を押しつける必要はありません。垂直方向の力はゼロで良いのです。そうすれば、地面の土を削らずに、落ち葉だけを集める事ができます。
垂直方向の動作は、地面と箒の距離を限りなくゼロにするように意識して調節します。こうすると、実に楽で速く掃除が出来るようになります。「掃くようにやる」と言うのはこういう感覚です。
しかし、やってみるとこれは大変な智恵を必要とする作業である事が分かります。地面は凹凸があります。それを目でみて、常に調節しないといけないのです。また、箒には重さがありますから、それを支えないといけません。浮かすには逆に上向きに力が必要になります。
また水平方向の運動は、平行運動でないとゴミを散らしてしまいます。箒は適当に動かすと回転運動になってしまいます。回転運動から平行運動を生み出すには、高度な身体の操作が必要です。
上手に箒がけができるようになるには、かなり修練が必要になります。うまく行くと、一種の悟りの状態になる程です。
ペンキを塗ったり、文字を書く時も同様です。垂直方向の力を必要最小限にする点は同じです。ただし、箒ではゴミを「寄せる」のに対して、筆では「置いてくる」感覚をつかまいといけません。
さて、もうひとつ言葉を
○ 叩きつけるな。素早く引け。
ドラマー、 テリーの言葉
似た言葉ですが、少し違います。これは面に対し、垂直方向のみに運動がある場合です。釘打ちとか、太鼓を打つとか、「打つ」動作にたいしてのコツです。
ティンパニを良く響かせるには、いかに撥を素速く引くかにかかっています。だって、打ったまま面で止めたら、皮を押さえてしまい音がとまってしまうでしょう。考え方によっては、打った直後に音速を超えて、撥を戻す事が必要でしょう。
いわゆる「返し」の感覚です。「返し」の必要なもの・・・包丁、釘打ち、ボクシングのパンチ、剣の打ち込み・・・用がすんだら、とっとと引き返して来るなんても、そうかもしれません。
箒の話しで思い出した故事があります。お釈迦様が、愚鈍で言葉を一行でさえ覚えられない弟子に、ひたすら掃除をさせて悟りを得させたというのです。
「掃除をして、清らかにする、心を清らかにする事を教えたのだ。」と言った解説があったりしますが、ちょっと違います。それでは仏教の基本 不垢不浄 という真理から外れてしまいます。
ひたすら掃除をするって、実にいろいろな事を会得するもんです。
余計な力をかけない事、つまり脱落と言う事。
良い状態というのは押さず引かずにぎりぎりの一線を保つこと事、つまり中道と言う事。
物事を適切に分けるという事、そして分けないこと。
「これありて、これある。」という根本的な事まで、掃除の動作を続けると体得できるものです。掃除には悟りへの道が限りなく用意されているのです。
考えないで掃除を続けても、きれいにならないし、疲れるばかりです。真に掃除をきわめるには、凄く頭脳を使うんです。お釈迦様が愚鈍な弟子に掃除を課したのは、教育者としてすぐれていたという事です。
掃除の嫌いな人、馬鹿にしないで取り組んでください。すべての出発です。まずは「浮かす」感覚から会得してください。あらゆる事がうまくなります。
───────────────────────
今日はここまで ではまた。
───────────────────────
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ミクロコスモス出版 ミクロコスモス編集部
編集長 森谷 昭一
★ 編集部宛メール micos@desk.email.ne.jp