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 ミクロコスモス総合版2002年11月25日歌謡評論「思秋期」
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              発行 ミクロコスモス編集部

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    歌謡曲評論  思秋期 岩崎宏美
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    思秋期

  足音もなく行き過ぎた
  季節をひとり見送って
  はらはら涙あふれる 私十八

   中略

  無邪気な春の語らいや
  はなやぐ夏のいたずらや
  笑いころげたあれこれ思う秋の日


    阿久悠 作詞 
    三木たかし作曲
    岩崎宏美 歌


  
著作権存続作品ですので、全歌詞は、歌詞カード、楽譜などを各自でご参照ください。

日本歌謡曲史上「傑作」と言われる曲です。1977年歌唱部門レコード大賞受賞。思 秋期というネーミングの新鮮さとともに、今後とも名曲として忘れられる 事はない曲でしょう。

これを聴くにふさわしい時期が年に二回あります。それは、秋の深まる頃と、 それから卒業前のシーズンです。曲は、春に卒業した18歳を見送り、19歳で向 かえる秋に、青春の日々を歌うという構成になっているからです。重厚なオー ケストラの弦から始まる曲は、 11月の、この頃に聞いてもらいたく、本日の 記事としました。
 
【歌詞の分析】

 出だしの部分

  足音もなく行き過ぎた
  季節をひとり見送って
  はらはら涙あふれる 私十八

の部分は

  足音もなく 行き過ぎた 季節にひとり  

  ひとりはらはら 涙あふれる 私十八

とか、独立させても 俳句なり短歌に近く仕立ても鑑賞にたえる、凝縮された 言葉が選ばれています。名詞は情景と思想と実存を兼ね備えていると言いま す。この三行だけで、見事に情景が描かれます。

  誰もかれも通り過ぎて二度とここへ来ない
  青春はこわれもの 愛しても傷つき
  青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

の部分は、名言集に載せたい名句でしょう。思想の部分とも言えるでしょう。

  誰もかれも通り過ぎて二度とここへ来ない

の一言こそ、この詩の中心です。だれもが通り過ぎていき、いつまでも残され る「ここ」とはどこなんでしょうか。何もかも新鮮で、あまりに未熟な 日々。未来は遠くにあるように思えて、時間が経過する事にさえ気付かなかっ た日々。多分、だれもが残してきた「ここ」を、記憶のどこかにもっているで しょう。人に青春というものがありつづける限り、それを歌い込んだ名詞とな りえる、見事なフレーズなのです。


さて、ここまで見事な言葉が並びました。 ここから実存である「物語」の部 分なのですが、

  ひとりで紅茶のみながら
  絵はがきなんか書いている

から後は、どうも完全に音楽に負けています。急にやすっぽくなってしまいま す。最後の部分

  無邪気な春の語らいや
  はなやぐ夏のいたずらや
  笑いころげたあれこれ思う秋の日

は、構成上全体をまとめる回想的な部分なのですが、使い古された陳腐 な表現になってしまっています。ここが、時代を超えるような、見事な小道具 が選ばれていたら、もうワンランク上の世界を描いていたでしょう。 少し残 念です。でもさすがなプロの中のプロの作品です。

【曲と歌唱】

ちょっと詩の形式からすれば、余計な言葉もありますが、メロディーに合わせ るためでしょうか。ただこれは「メロディー先行」か「歌詞先行」か知らない のですが、「メロ先」の気がします。

それほど、メロディーの方は完成度が高くなっています。この歌は他の歌手が 歌っても、どうも浮いてしまう気がします。それほど、この曲はドラマティッ クなのです。

岩崎宏美の歌唱は、完璧です。この曲のエピソードとして、伝わる事がありま す。いつも正確に歌う岩崎宏美が、この曲に限って、あまりの感情移入のため に、どうしても最後まで歌えずに何度もやり直したという事です。表現の深さ という意味では、最高の歌唱でしょう。

岩崎宏美の声は、弦楽器で言えばビオラに近い音色です。安心できる音程で正 確で美しい発音で歌われる中音のしっかりした主線に、高音の倍音や、低音の 副音(裏声の反対で、胸に響かせる歌い方)の自由にのせていく技は見事で す。

少し難しい言い方をしましたが、岩崎宏美の歌は、声を長く伸ばしているだけ でも変化に富み、聞き惚れる事の出来る歌唱なのです。都はるみや等ごく一部 の歌手のみできる歌の技術なのです。そして、それか詩の内容に合わせて、表 現として確かに歌の感情として歌い込まれているのです。そしてストラディバ リのバイオリンのような、豊穣な声が何よりもの魅力です。

しかし、残念なのは編曲と伴奏の演奏が下手くそなのです。もちろんオーケス トラの弦の響きなど、標準を越えてはいるのですが、どうも対旋律など品性に 欠ける所があります。特に終わり方など、折角の名旋律をもったいない」とい う想いにさせるものです。

オーボエの旋律とその演奏の悪さも気になります。編曲に関しては、もう少し 改良して、そして現代の音色の美しい一流演奏家を集めて演奏しなおしてもら いた気がします。ただ、岩崎宏美の歌唱は、あの時にあの歳で歌った事が最高 の歌唱になっているので、永遠にかなわぬ事なのですが。

総合評価です。

 作詞 星4つ ☆☆☆☆
 作曲 星5つ ☆☆☆☆☆
 編曲 星4つ ☆☆☆
 演奏 星3つ ☆☆
 歌唱 星5つ ☆☆☆☆☆  特別にもうひとつ☆

【編集長の偏見的歌手論】
 
 編集長の「一番好きな歌手の、一番好きな歌」です。編集長が 歌手として認めるのは、岩崎宏美と都はるみと、美空ひばり位ですか。あとは みんな「歌もうたえる女優・俳優」やら「歌も歌えるお笑い芸人」でしょう。 だいたいラジオで聴いても、心動かされる歌というのが歌というものです。

しかし、ほんとに日本の歌手で安心して聴いていられる人って少ないですね。 技不足でなんだか音程がおかしくて、声をコントロールしてなくて安心して聞 いてられない。

テレビの映像で誤魔化されるおかげで下手くそな歌手ばかり増えてます。 歌手は歌がうまけ れば良いのです。顔とか私生活とか性格とか、そんなものどうでも良い〜。 編 集長は「専門別純粋機能主義」です。

プロはその仕事の技の高さだけで評価されるもので、他のものは無 視。だいたい歌手にテレビでしゃべらせるな。学者は論文以外で世の中ににに出るな。人前でしゃべるのは、しゃべりの訓練を受けたアナウンサーとか 噺家だけでよろしい。

・・・なんて言って、編集長がコンサートに花束もっていって握手してきた唯 一の歌手が岩崎宏美なんですけどね。歌手の好みって、聞く人の声の響きとの 共鳴関係で成立って言います。その人にとって安心して聞いていられる歌手は、広い世界に数人いるだけなんだそうです。

その人が声を出した時に、体に一カ所の「共鳴点」があって、そこが音に共振 する。のどや頭や腹やらのどこかにあるのですが、それが一致している人だ と、安心して声を聞いていられるんです。まあ、だから歌手の好みだけは、他 人からどうこう言えるものではないのでしよう。

編集長の場合に、それか岩崎宏美とか都はるみという事なんでしょう。声その ものが好きなのは、あとは、ジュリー・アンドリュース位でしょうか。映画の サウンドオブミュージックのマリヤを歌った人ですよ。とにかく、みんな「う まい・・・」

本当にあの声が、完全に活かされていないで、もったいないですね。それなりの名曲に包まれてい るけど、まだまだ作詞家や作曲家にめぐまれていない。 全部 ☆ が6つそ ろう曲ってないのかな。

もっと円熟して、さらに素晴らしい名作にであって、ピアノソロの伴奏とかで、歴 史に残るような傑作バラードを歌って欲しいな・・と。


岩崎宏美の公式サイトです。ご参考に・・ 

http://www.hiroring.com/

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   今日はここまで   ではまた。
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ミクロコスモス出版  ミクロコスモス編集部
   編集長  森谷 昭一   

★ 編集部宛メール    micos@desk.email.ne.jp