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ミクロコスモス大学講座2002年11月15学問基礎「音楽の階層」
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               発行 ミクロコスモス編集部
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   ミクロコスモス大学講座 学問基礎論 
   階層性の思考2  音楽の階層
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 本日は、本当は楽譜や図を用いたいのですが、テキストデーターだけで、分かりにくいのを御了承ください。音楽の階層性については、楽譜を提示して、実際の演奏をきいてもらうのが一番なのですが、別の機会にいたします。

 階層性の思考2 音楽の階層性

 ピアノの鍵盤を、ネコが歩くと音楽らしきものになる事があります。音階から音が選ばれて組合わされると音楽になるのです。
 音楽は音の集まりです。近代音楽では「音階」の音という音の単位を設定して、それを組み合わせて曲を作ってきました。ピアノをポンと叩いた時の一つの音を「単音」と呼んでおきましょう。音楽は単音の組み合わせです。音楽の単位としての「単音」という階層があるということです。

「音を単純に組み合わせても、音楽になんかならない。」そう音楽家は言うでしょう。発信器とコンピューターで、音を組み合わせても、あんまり「音楽的」でないかもしれません。どこが違うか。それは音楽にいたる複雑な階層性を考慮していないからです。音楽の階層性を概観してみましょう。

ドレミファソラシド・・半音を含めてピアノには88の音階の音が用意されています。これらを組み合わせて音楽ができていくのですが、途中いろいろ複雑な階層があります。

楽譜には小節線が引かれてますね。これはリズムでの「拍」という単位です。 四拍子なら

 強 弱 中 弱 

でひとかたまりになり、くりかされます。三拍子なら

 強 弱 弱 |強 弱 弱 |強 弱 弱 |強 弱 弱 |

楽譜の上で小節線が引かれている単位を「小節」といいますが、単音が組合わさって「小節」ができる。小節も音楽の階層性のひとつです。

 さて、音楽で大切なまとまりは、「フレーズ」です。語源からすると、息をする所、つまり声楽などで一息で歌う範囲が「フレーズ」となりますが、もう少し広い意味をもっています。

息継ぎをする場所を、プレスといって楽譜に特別の記号をつけます。ブレスは単に息をする所でなく、音楽の意味的な切れ目でもあります。

歌詞のある歌の場合には、言葉の単位と密接に関係しています。前回の言葉の階層性の講義でお話しした、単語、句、節、文 連 などの階層性と直接関係している単位です。

 からす なぜなくの / からすはやまに/ 

では、/ の所にブレスがきます。(からす なぜなくの)がフレーズと言うことになります。 フレーズを決定する事を「フレージング」と言います。フレージングの決定が悪いと、曲が音楽として成立しなくなります。フレージングは、決まったものでなく、演奏者が独自に解釈して決めるものです。歌詞の言語単位と音楽から要求されるフレーズがずれると音楽はぎこちなくなります。

  君が世は 千代に八千代に さざれ石の 苔生すまで

は曲のフレーズは

  君が世は 千代に八千代に さざれ / 石の 苔生すまで

とならざるをえず、歌詞と音楽の単位がずれています。

フレージングは、息を使う歌や管楽器だけに存在するわけではありません。また言葉と関係ない純粋器楽作品でもフレージングの大切さは、同様です。楽器ごとに、フレージングにあたる技巧上の単位があるのです。バイオリンの場合は「弓使い」と言う単位があります。

バイオリンは弓を上げたり、下げたりして弦を擦りますが、上下運動を反転する瞬間を「返し」といいますが、これがブレスになります。ここで一旦音が途切れざるを得ないからです。どこで、返しをするかを決めるのが「弓使い」の決定です。これも音楽の階層性のひとつとなります。

 さて、フレージングより小さな単位として、「アーティキュレーション」があります。音楽をやっている人でないと分かりにくい単位です。モーツァルトなどを聴くと

 タラタッタ タラタッタ タラタッタ タラタッタ 

と言う音の塊を聞き取る事ができます。これをアーティキュレーションといいます。他に

 タッタッタラ タッタッタラ タッタッタラ 

というような様々なアーティキュレーションがあります。楽譜なしで表現が難しいのですが「タッ タッ」というのは音を短く切って演奏し、楽譜では点を音符の上につけて示します。「タラ」と言う部分はつなげて演奏します。楽譜では、タイという線で音符をつなぎます。

 バロックから古典派の音楽では、アーティキュレーションはかなり目立った存在です。モーツァルトの音楽は気持ち良いものですが、その秘密として、アーティキュレーションの美しさが上げられます。

 アーティキュレーションは楽器の技巧上の「指使い」と関連して発達してきました。鍵盤を弾くのに、片手の指は五本ですから、5つの音まではつなげてまとめて演奏できます。しかし、それ以上になると、指をまたがせて、腕を移動しないといけないのです。この時にフレーズより短い切れ目が出来るのです。これがアーティキュレーションの起源らしいのです。

バイオリンでは4本の指しか使いませんから、これを越えると「弦移動」や「ポジション移動」をします。あらゆる楽器で、このような指と関係した、音楽の単位性が発見できます。三味線ゃ琴などの民俗楽器でも同じです。アーティキュレーションは、手と指という人間の身体性と関わって成立した音楽の階層です。電子回路で発音する音楽が非人間的なのは、アーティキュレーションとフレーズと言う、人間の身体性を除外してしまうからです。

楽器を演奏しない人でも感じられるアーティキュレーションとして、今簡単な例をやってみましょう。生徒のみなさん、今親指以外の4本の指で、 人差し指・中指・薬指・小指 の順に叩いて音をだしてください。

  たたたた たたたた たたたた たたたた

と切れるでしょう。つづけるとなんとなく気持ちよくなって癖になります。このような癖の単位がアーティキュレーションです。

フレーズとアーティキュレーションではフレーズの方が大きい単位ですが、フレーズという階層の中にアーティキュレーションという下位階層があると単純には言えません。ふたつの関係は、ずれたり出っ張ったりして複雑です。

練習中の音楽家の楽譜には鉛筆でたくさんの書き込みがあります。各自の方法てで、切るところ、つなぐ所を書き込んでいるのです。演奏の解釈というのは、まずはアーティキュレーションとフレージングを与える琴からはじまります。それを指使いや息づかいの技巧に移していくのが演奏家の大仕事なのです。子供達の練習曲の楽譜などでも、こういうしるしがたくさん先生に書き込まれています。

 なお西洋音楽におけるフレージングの起源は、グレゴリア聖歌です。ネウマ譜と呼ばれる中世の楽譜には小節線はありません。ラテン語を朗読する事から始まった祈りの音楽は、あくまでも言葉主体の単位で音楽がつくられます。西洋音楽での歌うことの起源はグレゴリア聖歌にあると言われます。

また各国の音楽でも歌うことの基本に、宗教典礼での朗読の存在が起源としてあるものが多く見受けられます。日本音楽での歌う事の基底には、声明という仏教の音楽のフレージング法があります。声明の歌いが、説話を語る琵琶法師などに引き継がれ、民間に伝搬するうちに、浪花節や詩吟、義太夫、清元・・などにつながれていきました。

民謡には別の起源があるとの説もありますが、影響を与えた事は確かな事です。そして、明治以後も伝統は続き、現代の演歌やフォークにまで、深く伝統は引き継がれています。美空ひばりや谷村慎治の歌と雰囲気は天台声明から始まる音楽の伝統そのものです。

階層性の話から脱線しました。フレーズやアーティキュレーションの分析をするうちに、音楽の裏にしまわれた身体性や歴史性が見えてくると言う事を理解してください。このような事をもっと詳しく知りたい方のため、音楽史を別に開講してもらいますので、どうぞ受講してください。

さて、フレーズが言葉と息に起源がある単位であり、アーティキュレーションが器楽演奏での指という身体性に起源があるとしましたが、もうひとつの単位性として、「リズム」があります。これは打楽器の演奏と、舞踏という身体の単位性から、来ている音楽の単位です。

単純に机を

  トン・トン・トン・トン・トン・トン・トン・トン・・・

と叩き続けてください。どこかで、

  トン・トン / トン・トン トン・トン / ・・・

あるいは

  トン・トン・トン / トン・トン・トン / ・・・

とか2つ、3つ、あるい4つづつのまとまりとして、把握していく自分を感じます。機械的な繰り返し音にでも人間は切れ目を与え、「まとまり」として認識する脳の機能があるようにも思えます。これがリズムの起源です。

さて、とんだり跳ねたり、歩いたりすると、自然にリズムがうまれます。右足・左足と踏んでいけば、自然に「二拍子」が形成されます。四拍子は足に手が加わった、全身の動作に起源があるかもしれません。

 跳ぶという動作は、三拍子を生み出します。ワルツなどの三拍子系の音楽が、どこか明るいのは垂直方向の動作を含んでいるからです。

二本の手に棒をつかんで、ものを叩けば、右・左の動作から、リズムの単位がうまれます。踊りと打楽器が組合わさり、しぐさのある踊りになると、2拍と3拍が複雑に足し算されたり複合されて、さまざまな複雑なリズムを生まれていきます。

 リズムという音楽の階層は「拍」という単位の組み合わせになっています。ガムランなどのリズムは実に複雑ですが、他種類の楽器によるリズム構成は宇宙論的でさえあります。リズムは宇宙という連続体を切り取る人間側の欲望のようなものです。

リズムは執拗に繰り返される事ににより、その人間集団、民族などを作り上げていきます。祈りのリズムなどは典型的なものです。日本の 南無阿弥陀仏 は

 ナム・アミ・ダブ / ナム・アミ・ダブ / ナム・アミ・ダブ ・・

と3拍系でくりかえされます。南無妙法蓮華経は

 ナム・ミョウ・ホウ・レン・ゲ・キョウ /・・

と6の区切りで繰り返されます。いずれも 3拍系のリズムです。3拍系は循環構造になりませんから、永遠や遠くへの思考に身体的に結びつきやすくなります。

各宗派や教団によっては、宇宙のリズムとの合一と言った教義構成をしたりしていますが、単純なリズムが宇宙論的な教義と結びつける例は、世界にかなり普遍的に見受けられます。ここらへんも宗教音楽と民族音楽として音楽史で講義したいと思います。また少し脱線しました。


般若心経のように読経は、基本的に4拍系と考えられます。こちらは、集団でおなじ経典を読む際に、音が合うように木魚や鉦と言った打楽器を用いた事あたりに起源があるのではないでしょうか。経典の集団での読み方というのは、かなり言葉の構造を無視しています。むりやり 観自在菩薩般若心経を

   カン/ジザイ/ボサ/ハンニャ/ハラ ・・・

と読むのは言葉の意味単位を無視した区切り方です。現代訳が読経に馴染まないのは意味が分かってしまつて、リズムと合わなくなるからです。

コーランを学んでいる神学生の映像を見る機会が多くなりましたが、上半身をたてにふって読んでいるでしょう。長文の経典を集団で身につけていくには良い方法なのです。ユダヤ教でヘブライ語の聖書を読む時も同様です。これらのリズムは、それぞれの民族や宗派で、この構成員は幼い頃から体に刻みつけられていきます。世界を切り取る、世界観の基底になっていく事は当然です。音楽の基底にあるリズム構造ともなっています。

さて、フレージングという階層を説明しましたが、フレージングとリズムは、時には対立的な関係でもあります。歌う事と、リズムを刻む事は対立するのです。「君が世は千代に・・」の例でも分かるように、言葉の意味を徹底的に追及していくと、リズムにはのらなくなります。

それは「朗唱」と呼ばれるようなものになります。カトリックの典礼では、聖書の朗読をする部分と、音楽が交互に進行します。朗読の部分は、言葉の意味を重んじて、無拍子で朗詠されます。ただ、完全な語りかというと、そうではなく音を伸ばす歌に近いものです。

 リズムと、フレーズ、アーティキュレーションは、互いに戦いあう相手のようでもあります。作曲家・演奏者・詩人はこの3つの対立をうまくなだめたり、技術で統合させて名曲・名演をつくりあげます。

さまざまな音楽例えば、ジャズ・ラップ・浪曲・賛美歌・労働歌・軍歌・ディスコ・テクノ・演歌・童謡・・・・などで゜、階層を発見して単位を分析してみてください。そこに示される、さまざまな人間の身体性か発見され、また歴史がみつかっていきます。

さて、方向を変えて音楽の階層性を考えましょう。それは「和音」「和声」という同時に鳴り響く音と音の関係です。

 ド・ミ・ソ

とならせば、いわゆる「ハモる」というやつで、きれいな響きができます。もちろん音響学的に音程が整数関係になって、うなりを生じないような音の関係だからです。和音は根本に物理的な音波の調和関係があります。

純粋な濁りのない音の響きを協和音といいます。これにちょと整数関係からはずれた音をたすと不協和音になります。あまりひどく整数関係からはずれると、雑音に近づきますが、うまい具合に不協和音だとと緊張感を人間に感じさせます。不協和音を聴かせてから、それに見合う協和音を聴かせると、人はほっとした安定感のようなものを感じます。これが和音の「解決」と呼ばれるものです。終止形ともいわれて、交響曲の最後は和音が解決して終わりますから、なんとなく分かるでしょう。

和音は、時間方向に並べる時に、うまくつながる理論的な連鎖があります。これを「和声進行」といいます。単音を組み合わせた「和音」が一つの音楽の階層なら、それを組み合わせた「和声進行」もひとつの音楽の階層性です。

和声は同時に鳴り響く縦の関係ですが、それを時間軸に横に展開すると「分散和音」になります。ピアノで3本の指で ド・ミ・ソ の音を同時に弾かないで、ずらして順にひけば分散和音になります。

さまざまな和声進行を分散和音にして横に展開すると、旋律に近くなります。縦に同時に鳴らして良い響きは、横に展開しても快い音の関係になるのです。これが言葉やリズムと組合わさると、「メロディー」あるいは「旋律」となります。ひとつの旋律には、和声関係、アーティキュレーション、フレーズ、リズムが複雑に組み合わされています。さらに歌ならば、言葉の階層性が反映されています。

 世界の音楽には名旋律と呼ばれるものがあります。メールマガジンの方でお届けしている名曲の数々、例えばロンドンデリーエアーなどはを緻密に分析するなら、以上のような音楽の単位の見事な調和が発見できるはずです。美しい旋律というのは、雑多な音に関わる単位が見事に統合された人類の宝ものとでもいうべき結晶体です。

さて、楽譜をもう少し大きく見てみましょう。旋律や和声の関係の他に「楽式」とよばれる、形式上の単位があります。ソナタ形式とか、ロンド形式とか呼ばれるものです。これは音楽が社会的に存在して、定型性を求める欲求の中で制度化されてきました。イントロ、さび、展開部、コーダ、導入、・・これらは楽式上の単位です。
 
 曲の中では、テーマとよばれる旋律が、いろいろ変形されて展開されていきます。旋律までいかないけど、それに近い音のまとまりに「動機」と呼ばれるものもあります。これも音楽の階層のひとつです。オペラなどでは、主人公毎に動機があり、その交錯で、物語を表現したりします。映画音楽などでもゴジラが登場したり、水戸の黄門様の印籠を出す時の動機なんてのがありますからお馴染みのものです。

 形式上のひとまとまりが「曲」というものになります。また交響曲などでは、第一楽章・第二楽章・・
というような「楽章」というまとまりがあります。これも階層です。組曲・連作など、より大きな単位にまとめる事により、物語性や思想性を表現しています。

さて、音階という単音を組み合わせるという事で音楽の階層を説明しましたが、音階からはずれた音というのも自然には無限に存在します。自然音には音階はありません。単位化されない連続した高さと大きさと音色があるだけです。

 自然音から音階を選び出す段階で、人間はひとつの音の世界に特定の音のまとまりを選択した事になります。無限に存在する音を絞る事により、階層的な音楽を構成する可能性を生み出しているのです。自然音の組み合わせは、音響録音作品にはなりますが音楽にはなりません。

 世界には無数の音階がある事が知られています。ブルーノート・沖縄の旋法・教会旋法・全音音階など、音階を鳴らすだけで、その世界が広がります。リズムとともに民族や人間集団を規定する音の階層性といって良いでしょう。

 このような音階を否定していく音楽もあります。調性を否定して12の半音をまんべんなく使う12音技法という音楽もあります。楽式やリズムを否定していく音楽もあります。それらでは、瞬間の動機のような「音素」といったものを策定して、それを組み合わせていきます。また和音も否定して、「クラスター」といった音の塊をぶつけあう音楽もあります。言葉の世界でのダダイズムや自由律の詩などと同じ挑戦といっても良いでしょう。

 言葉の世界に、思潮とよばれる作家群があったように、音楽の世界にも音楽思潮や党派制があります。フランス近代楽派、ロシア民族楽派、フランドル楽派など音楽の解説できくような単位かいろいろあります。

さらに、中世音楽、バロック、古典派、ロマン派、近代 ・・というような「時代」という階層も文学と同じようにあります。

さらに、音階、リズム、形式、などのどれを選択したかにより、民族や、分野ごとに存在する「ジャンル」というまとまりがあります。

「タンゴ」「ソウル」「ゴスペル」「ラップ」「シャンソン」「リート」「ハワイアン」「新内」「津軽三味線」「ロック」「プログレ」「スカ」「浪曲」「天台声明」「ご詠歌」「アニメソング」「賛美歌」・・

順不動に適当に上げてみましたが、こういうジャンルという音楽のまとまりは、ちょっと列挙しつくせないほどです。

さて、最後に難解な事を述べて、お終いにしたいとおもいます。それは階層の時間性と構造性の問題です。階層性というのは基本的には同時になりたつ関係、「共時性」と言いますが、時間に関して静的に存在する構造を第一義的にはしめします。物理的な階層性では、それは顕著です。共時性に対して、時間軸をたどる方向性を「通時性」と言います。

しかし、音楽の例でみるように、通時性と共時性、つまり時間性と空間性の関係は、きわめて近接して交錯して複合している事がわかります。和音という共時性の存在を時間軸に展開して分散和音とすれば、通時性な構造である旋律が生み出される事から分かるように、音楽という構造は時間と空間に同一の構造をもつのです。

 ここら辺は、構造主義のように時間と空間を超越した、「構造体」と言うような存在を仮定して分析する事もできますし、いくつかの哲学的なアプローチがあります。

 音楽の階層性は、○○の中に××かあると単純な形式にならずに、はみ出しやずれかあると言いました。これは、また階層分析が真の存在に迫っていないからと考えられます。良い音楽を発想する時は、「ひらめき」と言えるような、フレーズにもリズムにも分解されないような「曲想」と行った単位で創作者の中に立ち現れます。

このような現存在に形を与えて音楽が成立するとすれば、その根元にある「美」というような階層を探求する事が音楽の研究の目標と言うことになります。

最後の事項は、ミクロコスモス研究学園講座の哲学で取り上げる予定です。今は理解される事を期待しませんが、音楽という世界にも複雑な階層性が存在して、演奏家や作曲家は日夜それらと格闘している事を理解していただければ、音楽の専門家としての学問基礎論講義の目的が果たせたと考えます。

音楽の階層性を順不同列挙してまとめとします。単音を基礎としましたが、単音もさらに分析されるものです。それは音響学と言う物理学分野に近くなりますので、そちらの専門に譲ることにします。

まとめ 音楽の階層性(小さいものから)

 単音 音階 アーティキュレーション フレーズ 和音 和声進行 クラスター 楽式 曲 動機 楽章 作家 作品群 楽派 思潮 ジャンル 時代  ジャンル  

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   今日はここまで   ではまた。
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【編集部ご近所情報】

ここ数日小田原は凄い強風です。酒匂川の橋では、自転車をこがないでもコートが帆掛け船の帆のようになって、こがずに動きました。ただし、帰りは向かい風なので、降りて押さないと自転車は動きませんでした。海のそばって、こんなもんなんでしようか。

富士山は、もう真っ白で、夕焼けにそまって、しかも強風にけぶって、劇的な光景でした。遠い雪国は大雪のようです。

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ミクロコスモス出版  ミクロコスモス編集部
   編集長  森谷 昭一  

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