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    ミクロコスモス総合版2002年11月3日今日の詩「流星」
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                発行 ミクロコスモス編集部
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    今日の詩   流星      
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          流星    


    
作品を御紹介したいのですが、著作権存続作品
    ですので、直接書物をお読みください。

       

       井上 靖  詩集北国より
              
新潮文庫
              原文は旧字

 流れ星の大きさを知っていますか。実体の数ミリの宇宙の塵です。地表より100キロ程の高さ、オーロラよりは少し、下の位置で光ります。その長さは数百キロ。ひとつの県を横切る位の長さです。その距離を一秒以下で進むのですから、秒速数百キロ以上の速度の物体という事になります。

 塵の源は多くは彗星の破片です。彗星の破片の帯に地球がつっこむと、流星になります。地球は、太陽のまわりを公転しているので、年に一度その帯を通過する事になります。これが流星群です。流星群は特定の星座の決まった点から放射するように見えるので、星座の名をとって、獅子座流星群、ペルセウス座流星群、などと名前が付けられています。

星座の星は恒星といって、光の進む距離で測るような何万光年、何億光年のかなたにあるのですが、流星はせいぜい100キロほどの我々の眼前での現象です。人間というのは距離を感覚では測定できない性質の存在で、眼前の出来事も、何億光年のかなたの出来事も同じ天球の出来事に見えてしまいます。対象との距離は合理的な理性を働かせなければ、知る事が出来ないのです。

 流星がどんどん流れると、星がなくなってしまうのではと心配する人がいますが、それは星と夜空を飛んでいる蛍を混同しているようなものです。そんな事はありません。まあ蛍と間違う人は少ないでしょうが、人工衛星になると、恒星とみかけはそっくりです。距離を感覚では測れないのが人間という存在です。

流星のもとは、彗星です。その彗星はどこから来るのでしょう。まだ仮説ですが、太陽と隣の星の中間あたりに、不明の星間物質があって、何億年もかけて、そこから飛来するとも言います。とにかく、流星というのは星のかけらが、何億年も旅して地球に届き、最後の一瞬に 光をきめらかして、消えるというのは確かな事です。

 流星を観察して研究する事は、宇宙の起源を知るための大切な手がかりになります。宇宙から地球に送られる手紙が流星です。編集長は高校生の頃天文部で星の観測を続けた天文少年でした。7人程度のチームで輪になって寝袋に収まって、流星の数を一晩数え続けました。これを続けて出現数のグラフを作るのです。あるいは、ノートに描いて暗記した星座の図に、流星の軌跡を書き込んだりするのです。高校時代に星を見た時間は数百時間、あるいはもっとあったでしょうか。星の仲間との多くの思い出が星空とともによみがえります。

 11月は御存知のように、獅子座流星群の季節です。昨年は大出現でした。今年は日本ではどうもあまり見る事はできないようです。巨大流星になると、音がするのもあるのですが、大抵は無音です。いつも静かに、消え去っていく流星は確かに清潔さという評価が正しい美しさです。

 井上靖が高等学校の頃見た流星は獅子座流星群だったのでしょうか。そして、日本海の砂丘と言えば、鳥取の砂丘だったのでしょうか。もし、そうだとすれば、この詩の情景は手に取るようわかります。今年の夏の旅行でいった、あの砂丘は今頃随分と冷え込んでいるでしょう。

 どういうわけか、編集長は父が生前着用していた「マント」というものを着た事があります。その黒くずっしりした重み。それは、あの頃のバンカラ学生の自己意識の重さのようでした。ふと、大正から昭和初期への時代に、身近な感覚をもてるのは、そんなふとした引継をしたからでしょうか。

 この作品は 詩集 「北国」 に収められた詩ですが、どこまでも小説に近い詩です。一人の人間の青春の夢への距離と、戦乱荒涼の中に生きた人生とその諦念、そしで時代をも描き出して、凝縮された小説といっても良い作品です。

 でも、はやり、これは詩だと思います。この作品が、最終的に私達に残すであろうものが、人生への想いではなく、やはり流星の流れる星空という宇宙の一角を切り取った絵画だからです。詩と小説の違いは読者に残すもの、最終的めざすものの違いなのでしょう。

 編集長の文章修行の出発点はこの詩でした。これを暗記して、そのリズムや世界を文に切り取りとる大きさと言うものを学んで、それを真似る所から始まつたような気がします。その後、多くの文章の手本となるべきものを遍歴していきましたが、ふと気がつくとこの詩のリズムがよみがえる時があります。多くを学ぶより、少ないものを徹底して身体に刻み込む方が、ものを生み出すには良い学び方であるようです。

 背景の違うふたつの地で、ふたつの時点で、同じ星空をみる。しかし、人生と時代は変わっていき、変わらないのは自然と宇宙である・・・これは小説や詩の永遠の定番的手法なのでしょう。それは手法という次元を越えて、人間のありかたそのものでしょう。

 だから、これからもこの自然を背景に人生を描いていく事はいつまでも続けられる事でしょう。その情景や小道具が、時代とともに変わっても、その構造は変える事はできないように思います。それが宇宙服と宇宙船になろうとも同じでしょう。受け入れるべき定型手法とでも言うのでしょうか。

 11月の星空をみてみませんか。その清潔さを、その冷え込みとともに感じてみてください。もし、その時星の形をノートに描いて暗記して、わずかでも天文の知識もっていると、星は無限に何かを教えてくれます。そして、好きな詩を暗記して身体にきざんでいる人には、星は物語を語るようになります。

        もりたにあきかず  
             
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   今日はここまで   ではまた。
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【編集部より】後ほど今年の獅子座流星群の予報をお知らせします。

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  ミクロコスモス出版  ミクロコスモス編集部
   編集長  森谷 昭一