清水美知子

歩行訓練の将来(鼎談)

第22回視覚障害リハビリテーション研究発表大会新潟、2013.6

 1970年、大阪の日本ライトハウスで、わが国で初めて歩行訓練(注1)の講習会が 開かれました。その後、視覚障害に関する法律に規定された施設や、自治体から中途 失明者緊急生活訓練事業を受託した当事者団体等が歩行訓練を提供してきました。ま た1990年以降には、盲導犬協会や特定非営利活動法人などの民間組織が独自の財源に より歩行訓練を提供し始めました。昨年、日本ライトハウスが行った調査では「視覚 障害者の生活訓練施設」として70の施設および個人があると報告されています。さら にこの他、特別支援学校(盲学校)でも歩行訓練が実施されている状況があります。  このような状況の中で、現在歩行訓練の指導にあたっているのは、日本ライトハウ ス養成部または国立障害者リハビリテーションセンター学院の視覚障害に関する養成 課程を修了した者、その他歩行訓練に関する講習会を修了した者、さらにはそうした 専門教育を受けていない当事者、教員、ボランティア等です。  今回の討論テーマは「歩行訓練の将来」ですが、現在、上記のような多様な状況の 中で行われている歩行訓練の実施状況に関する調査はほとんどありません。そのため 関連資料や各方面から断片的に耳に入ってくる情報、経験などから推し量るしかない 状況ですが、今回、本研究発表大会の開催地新潟で歩行訓練事業に携わっている3者 (注2)が、新潟県における歩行訓練の状況および問題点を踏まえ、視点を全国に移しながら、わが国の歩行訓練の将来について討論したいと思います。

注1:「歩行」とは「オリエンテーションとモビリティ」のことを指す。
注2: 新潟県で歩行訓練事業を実施している2団体(当事者団体と支援者団体)の代 表と、新潟県および関東圏で歩行訓練に携わる訓練士)

歩行訓練40余年を振り返る

第204回済生会第二新潟病院眼科勉強会、2013.2

今回の勉強会には6名の方が盲導犬とともに参加されました。当初は杖を使った歩行訓練についてお話しする予定でしたが、床に臥している6頭の盲導犬を前にして、自然に口から出て来たのはわが国の盲導犬に関する歴史でした。

国産第一号の盲導犬は塩屋賢一さん(東京盲導犬協会:現「アイメイト協会」の創設者)が訓練したチャンピイですが1)、その18年前の1939年にはドイツから購入した4頭の盲導犬が陸軍病院で訓練され、戦争で失明した軍人に与えられています2)。1970年以降、国産の盲導犬訓練事業が本格化するまで、外国産の盲導犬を使う例は他にもあったようです。佐々木たづさんは著書3)の中で、英国産の盲導犬を日本の道路環境に順応させる大変さを述べています。Howard Robsonさん(1970年代に盲導犬訓練施設を開設すべく民間企業に招かれて英国から来日した盲導犬訓練士)は当時の日本の道路状況が英国に比べて非常に悪く(歩道がない、側溝に蓋がないなど)、自国での訓練法、歩行方法がそのままでは通用しないことについて驚きとともに書いています4,5)。

一方、米国でHooverらによって開発された長い杖(a long cane)を使った歩行方法6)は1960年代の中頃にわが国に伝えられました。杖を使って歩く方法についての記述はそれ以前にも国内外にありましたが7,8)、普及しませんでした。その後、1970年にAmerican Foundation for Overseas Blind(AFOB)の支援を得て、日本で初めての歩行訓練指導員講習会が日本ライトハウスで開催されました。1972年からは、厚生省の委託を受け、毎年、盲人歩行訓練指導員研修として開催されました。そして1990年には、国立身体障害者リハビリテーションセンター学院(現「国立障害者リハビリテーションセンター学院」)に視覚障害生活訓練専門職養成課程が開設され、この時から指導内容が「歩行訓練」のみではなく、コミュニケーション訓練、日常生活動作訓練など視覚障害者の社会適応訓練全般に変わりました。職名の呼び名も「視覚障害生活訓練専門職」(国リハ)や「視覚障害生活訓練指導員」(日本ライトハウス)となりました。

ここでわが国の視覚障害リハビリテーションについて振り返ると、1948年に東京と塩原に光明寮が開設されて以来、三療師を職業ゴールとする職業リハビリテーションに終始してきました。1970年代に入り歩行訓練士が養成され、七沢ライトホームなど新たな施設が開設され、社会適応訓練が実施されるようになりましたが、職業訓練の前段階に位置づけられ、学習技能(例:点字)の習得および寮生活の自立を主な目的とした個別性の乏しい画一的なプログラムでした。それでも1970,80年代は施設を拠点とした歩行訓練の最盛期で、1977年には日本歩行訓練士協会も発足しました(1991年に解散)。1990年代になると、職業訓練を希望する入所者の減少が目立ち始め、2000年以降は大きく定員を下回った状況が続き、歩行訓練指導の件数も減ってきました。

歩行訓練が行われる場所に関して考えると、施設での歩行訓練は施設生活には有用ですが、退所後は習得技術を生活環境に合わせて調整したり、地理道路情報を集めたり、経路を開拓したりといった作業を、見えない・見えにくい状態で、すべて自分でしなければなりません。それに比べ生活圏での訓練は、生活スタイルを変えることなく訓練を受けられ、実環境に特化した技能の習得により訓練の成果を直ちに生活に反映させることができるなど多くの利点があります。最近、地域で歩行訓練を提供する機関は増えており、全国で70ヶ所を越えると推定されます。ただしこれらの機関の多くは中途失明者緊急生活訓練事業あるいは独自の財源で運営する団体のため、財政的基盤が小規模かつ脆弱で、訓練頻度や訓練期間などに制約が生じ、当事者の状況や要望に応えられているとは言えないのが現状です。

この40余年間に歩行訓練の内容も変化しました。そのいくつかを以下に記します。
1.杖操作法の主流が二点打法 (Two-Point Touch Technique) 9)から常時接地法(Constant Contact Technique)10)へ
2.聴覚的な手がかりより触覚的な手がかりを重視した歩行方法11)の定着
3.交通環境の変化(例:定周期制御から感応制御式信号へ)による指導内容の改変
4.訓練士主導から訓練生の主体性を尊重した訓練へ

これまでに、点字ブロック、音響信号機、エスコートゾーン、ホームドア、など移動支援設備が普及しつつありますが、交通の慢性的な混雑、歩道上の自転車交通、高齢者などモビリティ障害者との衝突、交差点の信号制御の複雑化、駅プラットホームからの転落の危険、自動車の静音化など視覚障害者を悩ませる数多くの問題が解決されるにはまだまだ時間がかかるでしょう。そのため残念ながら、現状では都市部の不慣れな地域の外出にはガイドを使って行動するのが合理的で安全と言えるかもしれません。でも、日々の生活環境を考えると、徒歩圏内にもコンビニ、スーパー、友人宅、バス停など多くの目的地があります。路線バスで数駅足を延ばせば、さらに目的地は増えるでしょう。経路を決め、繰り返し歩き、道筋を熟知すると、ひとりで行ける身近な場所は意外と多くあるものです。社会生活を営む上で、自らの意志選択で自由に外出できるということは大切です。歩行訓練士は目的地まで安全に移動するための方法や経路選択について、専門的見地から助言します。

季節は今、冬から春へと向かっています。外に出て、移りゆく季節を楽しむことができる時期です。歩行訓練士とともに散歩道を探してみてはいかがでしょうか。

参考文献
1. 河相洌(1981)、ぼくは盲導犬チャンピイ,偕成社
2. 葉上太郎(2009)、日本最初の盲導犬、文芸春秋
3. 佐々木たづ(1964)、ロバータさあ歩きましょう、朝日新聞社
4. Robson, H. (1976), Guide Dog Training in Japan – 1, New Beacon, 60, 113 -117
5. Robson, H. (1976), Guide Dog Training in Japan – 2, New Beacon, 60, 141 -143
6. Bledsoe, C.W. (2010), The Originators of Orientation and Mobility Training, Foundations of Orientation and Mobility edited by W.R. Wiener, et. al., AFB Press
7. Levy, W. H. (1872), Blindness and the Blind, Chapman and Hall, London
8. 木下和三郎(1939)、盲人歩行論、傷兵保護院
9. Hill, E. & Ponder, P. (1976), Orientation and Mobility Techniques: A Guide for the Practitioner, American Foundation for the Blind, New York
10. Fisk, S. (1986), Constant-Contact Technique with a Modified Tip: A New Alternative for Long-cane Mobility, Journal of Visual Impairment and Blindness, 80, 999-1000
11. 村上琢磨(2011)、私の歩行訓練史(特別講演)、第37回感覚代行シンポジウム講演論文集

初めての道を歩く

第183回済生会第二新潟病院眼科勉強会、2011.5

  「道」という語には、「人が歩く空間」と「ある地点とある地点を結ぶ道筋(経路、ルート)」の意味がある.ここでは街の中の道と経路について考える.日常生活で「初めての道」に遭遇する状況には、行ったことのない場所へ行くとき、初めて来た場所から家へ戻るとき、引っ越しや転勤等で生活環境が変わるとき、そして少し状況が異なるが、道に迷ったときなどがある.しかしほとんどの場合、外出の起点と終点は自宅のため、「初めての道」も、その始まりと終わりは「よく知った道」といえる.

道をたどる
 街の中の道(歩道あるいは路側帯)は、縁石、柵、白線などで車道と民地から区分され、視覚的に明瞭である.晴眼者は、現地に立てば道の境界や延びる方向を一目で認識でき、いわゆる”けものみち”と違い、道そのものをたどることは容易である.しかし、視機能が低下すると知覚できる空間は狭まり、例えば杖を第一次歩行補助具として歩く場合、聴覚や嗅覚によって得られる情報以外で、知覚できる空間は杖の届く周囲数メートルの範囲である.初めての道で、幅、車道や民地との境界、方向等を知るためには、数メートル円単位の探索を場所を移しながら何度も繰り返すことになる.これは極めて効率が悪く、実用的な方法とはいえないだろう.
 では、情報を地図や人の説明から入手できるかというと、一般的に地図は一望することのできない広さの地理情報を示すもので、ここで重要と考える小さな空間(「近接空間」)情報を表示した地図はない.しかも、必要な手がかりの種類や量は視機能の程度によって異なるため、他の人からの説明が必ずしも役立つとは限らない.交差点についても同様のことが言え、形状、大きさ、交通制御の種類をその場で知ることは難しい.

経路を策定し、それをたどる
 初めての場所へ行くには、まず現在地と目的地を含む地理的環境の情報が必要となる.高台から低地にある目的地へ行く時は経路全体を一望できるが、多くの場合経路全体を見渡すことはできない.地図や人の説明から地理情報を入手し、現在地と目的地の位置関係(オリエンテーション)を確認する.視覚障害者が自身で使える地図(触地図あるいは言語地図)は、晴眼者が使う紙に印刷された地図と比べ、そこに盛られる情報量は圧倒的に少なく、経路を策定し、たどるに十分とはいえない.
 街の中の経路は基本的に単路(街区の一辺)と交差点で構成される.街区の一辺は通常数十メートルで比較的真っ直ぐであるから、次の交差点まで見通せ、晴眼者にとって単路を次の交差点に向って歩くのは容易である.そこで、晴眼者にとっての「目的地までの経路をたどる」(ウェイファインディング、wayfinding)という課題は、方向転換点(ある特定の交差点)の特定とそこでの進路(直進、右折、左折)の選択が中心となる.視覚障害者の場合、前述のように近接空間情報が乏しい状況では、気づかずに車道や民地に進入したり、駐車場への進入路を道あるいは交差点と誤認するなど、単路でもウェイファインディングの難しさがある.

現在地の更新
 経路をたどるには、目的地へ向って歩きながら現在地を逐次更新する必要がある.沿道の街並も目じるしを実際に見るのは初めてであり、直感的に現在地を認識するのは難しい.携行した地図上の(あるいは記憶による)道路名や交差点名と現地にある表示を突き合わせたり、通過した交差点の数と方向の転換、およびその回数から現在地を推定する.晴眼者の場合、現在地の認識は「どの道(単路)、どの交差点にいるか」であるが、前述のように単路でのウェイファインディングも難しい視覚障害者の場合、単路を外れることは珍しいことではなく、”現在地"が民地あるいは車道内であることもある.さらに気づかずに交差点を渡っていたり、あるいは曲がっていたという事象も起き、現在地の認識・更新が困難である.

 以上のように、視覚障害者は地理情報へのアクセス(事前および移動中)が困難であり、眺望や現地情報(道路名、位置、道順などの表示、商店名など)が利用できないなどの理由で、利用できる経路情報は晴眼者に比べ非常に少ない.最近、触地図作製システム(新潟大学渡辺研究室)、位置情報表示(例:トーキングサイン)、視覚障害者用GPSを使った地理情報閲覧、言葉による道案内(例:ウォーキングナビ)などの視覚障害者向け地理情報提供サービスが実用化されつつある.今後晴眼者との情報格差が縮まることを期待したい.
 経路をたどるために、その基本要素である単路と交差点のたどりやすさが重要である.民地あるいは車道との境界の明確化、車両交通との分離あるいは棲み分け、道を不法に占拠する事物の除去、道の方向を示す「線」(点字ブロックはこの一例、他にも軒先や舗装の境界が作り出す「線」がある)の作成など、歩行空間を整備することで、近接環境情報が乏しい「初めての道」でも道を失わず、経路をたどることが容易になると考える.街を歩く時、視覚障害者にとって快適な歩行空間が確保されているかという視点から、「道」を見直してみてほしい.

杖に関する質問にお答えします

第160回済生会第二新潟病院眼科勉強会、2009.6

 市販されている10種類の杖(下記)を、参加者に手渡し、それらの特徴をお話ししました.最近は、杖の種類が増えていて、ジオム社や日本点字図書館用具部のカタログには30種余りの杖が載っています.全体的に携帯しやすい杖と、大きな球面を持った石突が好まれているようです.

<紹介した杖>
・色:白、黒、模様柄
・構造:一本杖、折りたたみ杖、スライド式
・素材:アルミニウム、カーボンファイバー、グラスファイバー
・石突:ペンシル、マシュマロ、ティアドロップ、ローラー、パームチップ
・重量:110-280g

「歩行訓練」がわが国に紹介されて40年余りが過ぎました.これまで「歩行訓練」の教科書がいくつか著されてきましたが(文献1-5)、それらに記されている杖の操作技術(「ロングケイン技術」、the long cane techniques)の基本は、ほとんど変わっていません.

<ロングケイン技術の基本>
床に立ったときの床面から脇の下(あるいはみぞおち)までの垂直距離に等しい長さの杖を、次の5項目のように振る.
1.手首を身体の中央に保持
2.手首を支点として左右に均等な幅に振る
3.振り幅は身体の最も広い部分(肩幅あるいは腰幅)よりやや広く
4.振りの高さは杖の先端の最も高いところで数センチ以下
5.振る速度は、歩調に合わせ、杖が振りの右端(左端)に接地したとき、左足(右足)が接地するように振る

一方、こうした教科書の基本通りに杖を使う人は稀で(文献6&7)、大方の人は、杖が腋の下までの距離より長かったり(短かったり)、杖を持った手を体側に置いたり、(その結果、またはそれと関係なく)振りは左右均等でなかったり、など基本型とは異なる形で振っています.また、大きな球面を持つ石突あるいはローラー式のように動く石突の普及が、石突を常時接地したままで振る方法(constant contact technique,文献8)を容易にさせ、石突の接地時間が延長の傾向にあるようです.

文献
1.日本ライトハウス職業・生活訓練センター適応行動訓練室(1976).視覚障害者のための歩行訓練カリキュラム(失明者歩行訓練指導員養成講習会資料)第2版、厚生省.
2.Ponder,P. & Hill,E.W.(1976).Orientation and Mobility Techniques;A Guide for the Practitioner, AFB Press.
3.芝田裕一(1990).視覚障害者の社会適応訓練、日本ライトハウス.
4.Jacobson,W.H.(1993). The art and Science of Teaching Orientation and Mobility to Persons with Visual Impairments, AFB Press.
5.LaGrow,S. & Weessies,M.(1994). Orientation and Mobility;Techniques for Independence, Dunmore Press.
6.Bongers, R.M., Schellingerhout, R., Grinsven, R.V. & Smithsman, A.W.(2002). Variables in the touch technique that influence the safety of cane walkers, JVIB, 96(7).
7.Ambrose-Zaken,G.(2005). Knowledge of and preferences for long cane components: a qualitative and quantitative study, JVIB, 99(10).
8.Fisk,S.(1986). Constant-contact technique with a modified tip: A new alternative for long-cane mobility, JVIB, 80,999-1000

カタカナ語で見る視覚障害者のリハビリテーション

第122回済生会第二新潟病院眼科勉強会、2006.5

 「『リハビリ』と『リハビリテーション』は同じですか?違いますか?」と清水さんは語り始めた.勉強会に参加した多くの人は、同じと答えたが、中に『リハビリ』は身体的な機能訓練をいい、『リハビリテーション』はもっと広く人間の尊厳まで意味すると答える人がいた.そこで「『リハビリテーション』の意味するところは?」と、清水さんは語り出した.
 1965年当時は、リハビリテーションは運動障害の機能回復訓練を意味していた(注1:厚生白書《昭和40年・1965年》).1981年頃になると、運動障害の機能回復訓練のみでなく、人間らしく生きる事が出来るようにするための技術及び社会的・政策的対応の総合的体系と捉えるようになってきた(注2:厚生白書《昭和56年・1981年》).しかし、平成16年1月の「高齢者リハビリテーションのあるべき方向」の冒頭で「リハビリテーションは単なる機能回復訓練ではなく、..」と述べていることからも分かるように、わが国ではリハビリテーションといえばリハビリ=機能回復訓練との認識が一般的であったといえる(注3:高齢者リハビリテーション研究会《2004年》).
 我が国の「目のリハビリテーション」は、独自の発展をしてきた.他の身体障害には、「リハビリ=機能回復訓練」という図式がある。この図式は「目のリハビリテーション」にはない.なぜなら、目を揉んでも引っ張っても治らない.「目のリハビリテーション」は、全人間的復権という広義のリハビリテーションが根付くに適した状況のはずであった.しかし、視覚障害者には、伝統的な職業として三療(鍼・灸・按摩)があった.
 1960年代(ベトナム戦争の頃)米国で強調された「職業リハビリテーション」の考えと結びつけ、三療師の養成訓練を職業リハビリテーションの中核項目に位置づけ、歩行、ADL、コミュニケーションなどの社会適応訓練を、その前段階、すなわち「プレボケ」(prevocational rehabilitationの略)訓練として制度化した.国立三療師養成施設とそこへの予備校的生活訓練という図式ともいえる.
 米国では、1970年代に入ると職業中心のリハビリテーション過程に乗れなかった障害者のニーズの見直し、消費者運動の台頭、自立生活運動の高まりとともに職業リハビリテーションから自立生活リハビリテーションへ向かうが、わが国の視覚障害者リハビリテーションは職業リハビリテーション(あるいは三療リハビリテーション)に留まった.
 2000年代に入り、リハビリテーションの体制は措置費制度から支援費制度、自立支援法に変わった.そこでは職業モデルから自立生活あるいは地域生活モデルのリハビリテーションへの転換が、当事者運動の高まりの結果というよりは、行政主導により実施されつつある.
 現在の視覚障害者の自立生活支援の問題点を考えてみると、以下の事が挙げられる.
 第1に、2000年から介護保険が施行され、介護サービスを利用しやすくなるとともに、地域での生活が自立度に関係なく営めるようになった.しかし、それはセルフケアへの介助を中心としていて、社会活動を営むための長期的支援サービスが少ない.
 第2に、自立実現への力量作りあるいは自立度の向上に協力する訓練サービスは少なく、結果として介護サービスへの依存度が増す状況があり、視覚障害者の退行が心配される.
 第3に、訓練を提供する専門職(視覚障害生活訓練専門職、視能訓練士など)に、「してあげる」という態度が垣間見えることである.当事者の意識が「医療モデル」あるいは「障害者モデル」から「生活モデル」へと移行する中で、専門職の意識や行動の転換が遅れていると感じる.養成のカリキュラム、指導者の意識にも原因があるだろう.
 第4に、介護保険の中で視覚障害による生活上の不自由の評価が過小になる傾向がある.視覚障害に対する理解が足りない.視覚障害生活訓練専門職の資質、資格制度の問題とも関連する.

視覚障害者の歩行を分析する

第101回済生会第二新潟病院眼科勉強会、2004.9

歩行とは
 歩行とは、自分の‘力'で、身体と一体化した自分を、環境の中のある地点へ動かすこと.そのためにはまず‘力'が必要.また、ある地点が認識できなければならないし、そこまでの方向(道順)が判らなければならない.わたしたちはこれらを、日々特に意識することなく行って生活を送っている.しかし、視覚機能が低下すると、とたんに歩行の不自由さを実感する.

移動するということ
  mobility(モビリティ;移動容易性)とmovement(ムーブメント;運動)の違いは?ムーブメント(運動)は、例えばエアロビクスなどで脚を挙げる、腕を回すなどということ、必ずしも場所の移動は含まれない.それに対してモビリティ(移動)は、場所を移動することである.移動(モビリティ)は、以下の3つの基本成分から成る.(1)境界線(壁、側溝等)に沿って移動する. (2)点に向かって直進する(横断歩道など).(3)障害物を回避して元の進路を維持する.

オリエンテーション
 ある地点に到達するには、モビリティに加えて、オリエンテーション、ナビゲーション、そして到達点を同定することが必要である.オリエンテーションとは、周囲の環境から手がかりを取り入れ、組み立て、自分の居場所を認知すること.これには過去の経験も大きく関与する.オリエンテーションには4つのタイプがある. (1)いま居る場所を知る(答えの例:○○町○○番地、自宅の居間) (2)○○を出発して、△△に向かって移動中.または○○と△△間のどこか.(例:会社を出て,家に向かっている.居間からトイレへ行く途中) (3)自分は停止している、周囲(人、車など)が動いている(例:人の流れの中に立っている).(4)自分も周囲も動いている(例:人の流れの中を歩く).

ナビゲーション
 ナビゲーションには、○○へ行くという意志と、○○がどこにあるのか,どの方向にあるのか知っていなければならない.‘土地勘'がない場合は、教わったあるいは調べた道順(例:2つ目の交差点を右に曲がり、3軒目の建物です)を辿る(ルートトラベル)、またはランドマーク(例:東京タワー)を目指すという方法がある.

同定
 やっと目的の場所に着いてもそこが目的のところと気がつかない場合もある.特に目の不自由な場合はそうである.辿り着いた場所が確かに目的の場所であることを知ること(同定)は重要である.

改めて歩行訓練とは
 歩行訓練と云うと、白杖の使い方の訓練とイメージしがちだが、「歩行」という中には、実はこれだけの内容が含まれている.一人歩きには、歩こうとする地域のイメージを如何に育むかが重要である.

今後の歩行訓練を見据えて
 歩行訓練プログラムが米国から紹介されて 40 年近く経過した.しかしまだまだ、そのプログラム自体、完璧なものではない.歩行訓練士と訓練をする場合、疑問に思うことは何でも話したほうがいい.例えば、適切な白杖の長さについての定説はない.視覚障害のある方は、歩行に関して自分の五感を研ぎ澄まして、歩行の能力を高めることが重要である.今後は視覚障害者の自由な移動、楽しい移動,権利としての移動を目指して欲しい.

Coming-out Part2 家族、身近な無理解者

第87回済生会第二新潟病院眼科勉強会、2003.8

 今回は家族について考えます.家計を支えていた父、家事を仕切っていた母、あるいは夫、妻、娘、息子がある日障害を負うと、家計の状況や家族の役割分担など一変します.家族という運命共同体の中で、家族は当事者の自立の支援者にも、阻害者にもなりえます.どちらの場合も、関係が密であるだけに当事者の将来に多大な影響を及ぼします.それだからこそ家族が強力な支援者としてあり続けてもらうために、家族の悲しみ、悩み、苦労を理解し、支援することが大切なのです.つぎに挙げたのは家族が抱える悩みの例です.母が障害者であることを恋人に打ち明けられない娘.娘が白杖を突いて隣近所を歩くのを許さない母.依存的な夫と、”優しい妻”.被介護者、被扶養者となり、戸惑い、自信を喪失した夫.障害のせいなのか、怠惰なのかいつまで経っても動こうとしない夫にいらだつ妻.公的サービスを拒否して妻に介護を求める夫.妻をどう介助したらよいかわからず戸惑う夫.妻と夫の間に起きた地位の逆転.家計と介護を握ったものの専制。

Coming-out 人目にさらす 自分になる

第77回済生会第二新潟病院眼科勉強会、2002.9

 視覚障害を持つ自分を世間はどう受けとめるのか?自分の記憶の中にある視覚障害者は、杖を突いて、黒メガネをかけて、電柱や自転車に当たりながら歩いていた。自分もあのようになるのだろうか。世間の人の目に自分はどう映るのだろうか。世間は視覚障害を持つ人に好奇の眼差しを注ぎ、蔑み、憐れみ、無関心、同情、冷淡、お世辞など様々な心情を示します。世間の人にとって視覚障害者は珍しいのです。視覚障害者と言葉を交わしたことがないのです。視覚障害者に「テレビを見ますか?」と尋ねることを躊躇するのです。ひとりで歩く視覚障害者を見て、「カンがいい」で簡単に片付けてしまいます。「眼が見えないのに明るい」と驚きます。視覚障害者は「点字が読める」と思っています。断ってもついてくる不要な手助け、呼び掛けに応えない群集、付き添いに自分の体調をきく看護婦、入居を拒む大家など、世間には無知、無理解、人権軽視の態度があふれています。
  coming out はこのような世間へ踏み出すことです。視覚障害を持つ自分をさらし、人々の反応を見るのです。そして新しいセルフイメージを確立していくのです。世間の視覚障害者のイメージに挑戦するのです。既存の鋳型にはめようとする世間と、ひとりの人間として生きようとする者の衝突です。

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