最終更新日 1999年4月7日

アイルランド
のほほん漫遊記
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アイルランドの地図(254KB)

(1)事前準備

 1997年8月29日から9月4日まで、1週間ほど妻とアイルランドの田舎をのほほんと漫遊してきました。(^_^)

 アイルランドはイギリスの西方、日本からは、飛行機の直行便も出ていないし、予約できる宿泊施設も限られている。我々が目指すのは、アイルランドの南西部、キラーニという観光都市である。大手旅行社が主催するパックツアーはたぶんない。予約はN旅行社水戸支店にお願いした。

 予約したのは、ロンドン(ヒースロー)空港経由のダブリン行きの往復航空券と、ダブリンのホテル3泊である。アイルランドには、B&B(Bed&Breakfast)と呼ばれる格安の民宿があるらしいのだが、日本からはほとんど予約できない。貧乏人の我々としては、ぜひ安くて朝食付きのB&Bに泊りたい。そこで、ダブリンに到着してから現地の観光案内所で予約することにした。ヒースローとダブリンの間の飛行機は1時間に1本くらい出ているので、最も無難な入国ルートである。万一ヒースローで迷子になって乗り遅れても、すぐに次の便があるから比較的安心できる。

 ロンドン・ヒースロー空港の乗り継ぎについては、旅行社のカウンターで教えてもらった。その他の注意点として、成田のチェックインの時に荷物がダブリンまで行くかどうか確認すること、復路の航空券の予約の再確認(リコンファーム)は、電話より現地空港の窓口でした方がよいことなどを教わった。

 水戸から成田までは、電車で行くことにした。車だと行きは良いのだが、帰りは時差ボケで疲れているのに水戸まで2時間も運転しなくてはならない。成田までの時刻表は妻が駅に行って書き写してきた。図書館に行ってコピーすれば簡単なのに、コピー代をケチって「書き写す」ところが、貧乏旅行らしくて良い。ふむふむ。なかなか良い心がけである。自宅から水戸駅までは、始発バスの出る前の早朝に出発するので、歩いていくことにした。ウチから駅までは、歩いても30分ほどである。荷物は私が前日に車で駅に行って、コインロッカーに預けてきた。300円のコインロッカーにピッタリ収まるバッグである。我ながらずいぶん経済的にコトが運んだ。

 さて、これで準備完了! いよいよ出発である。


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 (2)最初のハプニング

 8月29日朝、5時45分に家を出て、水戸駅まで歩く。6時21分発の常磐線に乗り、 我孫子・成田経由で成田空港に9時頃到着の予定である。飛行機が出るのは11時だが、諸手続きに最低1時間は見ておきたい。足取りも軽く、6時15分頃、予定通り水戸駅に着き、切符を買った。

 ところが、ここで最初のハプニング。コインロッカーの荷物を取り出したら、何とバッグがビリリと破けているではないか。昨日私が預けたときには気が付かなかったのだが、今日バッグを取り出してみたら破けていた。コインロッカー代をケチって小さなロッカーに押込むからこんなことになるのだ。それとも、運んだ時点で既に破けていたのか。5年程前に電気製品を買ったときにタダでもらった布製の安物のバッグである。家に帰る暇はない。みどりの窓口でお願いしたら、ガムテープをくれた。親切である。こんなハプニングは日本で良かった。

 ガムテープでバッグを即席に修繕して6時21分発の電車に飛び乗ろうとしたら、電車がない。なぬ? 時刻表を見たら6時21分発は休日のみである。6時26分発に乗る。時刻表を写すときに、写し間違ったらしい。コピー代をケチって書き写したりするからこんなことになるのだ。電車に乗ってから気が付いたのだが、6時26分発では我孫子で目的の電車に間に合わないらしい。しかも次の我孫子発成田方面行きが何時発なのかも分からない。我孫子−成田間は電車が少ない。我孫子に時間までに着く方法はないのか、次の我孫子発成田行きは何時に我孫子を出るのか。車掌を捜して車内をうろつくが、乗務員は何と運転手1人だけのようである。さすがに声をかけるのを止めた。

 最初は、我孫子に着いて電車がなかったらタクシーを飛ばそうなどと気楽なことを考えていたのだが、今日は月末の金曜日、遊んでいるのは我々くらいで、たいていのサラリーマンは仕事で忙しい。ラッシュで車が動かないかもしれない。1日1便のBAロンドン便を逃したらやっかいである。あれこれ考えて、土浦駅で降りた。


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 (3)日本円はどこに飛ぶ!?

 水戸−成田空港間の2160円の電車の切符は、土浦で下車しても払い戻しはないのだという。「残り100km以上ないと払い戻しできません」と駅員は言う。水戸駅でガムテープをもらって得したが、土浦駅までのずいぶん高い運賃を払ってしまった。

 土浦駅東口でタクシーに乗る。「成田空港の第1ターミナルまで」と言ったら、運転手がちょっとニンマリした。運転手は今朝は早起きをして6時頃から仕事をしているのだという。早起きは三文の得である。普段は「まあ、7時半頃まではお客さんは殆どいませんね。たまにゴルフのお客さんがいるけど」と言う。「だいたい9時頃には空港に着くし、道も分かるから大丈夫」と言うので安心。大船に乗った気分である。運転手は船にも飛行機にも恐くて乗ったことがないそうだ。「車ならどこへでも行くんですがね」と言う。

 道中は、随分スピードを出すのでちょっと恐かったが、私が運転するわけではないので、プロにお任せするに限る。8時半頃に着きそうな勢いだったが、空港入口の検問で渋滞。予定通り9時に第1ターミナル南ウィングに到着。日本円17000円を早くも使ってしまう。(^^;;)

 空港に着いて最初にしたことは、バッグを買うことである。同じ大きさのバッグがあったので、買って詰め替える。7900円也。空港で荷物の詰め替えなんて恥ずかしいけれど、そんなことは言っていられない。9時30分、英国航空(BA)のカウンターでチェックイン。荷物は最終目的地のダブリンまで行くとのこと。BAはリコンファーム不要とのこと。出国手続きが終わってほっとした。ロンドン便に間に合った。でもまだここは、日本の成田なのだ。日本でこんなに苦労するとは思わなかった。


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 (4)下口びるを噛みながら

 BA(英国航空)は2度目だが、几帳面なので好きである。チェックイン時の機内持込み手荷物の大きさも厳しくチェックしていて「この枠の中に入るお荷物は持ち込めます」と枠まで用意してある。大きい手荷物を持ち込もうとした人には、実際に枠に入れてみてくれとまで言うから大したものである。アバウトな人種にとっては厳しく写るかもしれないが、そのくらいやってくれた方が私はありがたい。もちろん、パスポートの顔写真もチェックする。
 ゲートでなぜかパスポートを持っていない英国人らしい女性がいて、搭乗を断られていた。でも、パスポートも持っていないでどうして空港に入れたかは不明である。

 機内の隣の座席は、一人旅らしき20歳くらいの女性だった。スチュワーデスが救命胴衣の着用の仕方を説明しているときには熟睡しているし、時々起きては英語のペーパーバックを読んでいるからかなり旅慣れているらしい。あとで分かったことだが、お父さんの仕事の都合でロンドンに住んでいるのだそうである。かっこいい。私なんか、父の仕事の都合で、千葉にしか住めなかった。「父の仕事の都合でロンドンに」くらいサラリと言ってみたかったものである。夏休みで日本に帰っていたらしい。納得。
 「ロンドンに住んでいたら日本語忘れちゃうでしょ?」と言ったら
 「まさか、そんな訳ないですよ」と笑った。

 機内は自分の英語力を試す最初の関門。まず、第一関門は、機内食の「coffee or tea」の選択である。
 ははは。そんなことでと笑うかもしれない。teaの発音は簡単である。ところが、日本人がコーヒーを頼むとコーラが出てくることがよくあるらしい。ちゃんと「カフィ」「コウク」と発音すれば問題ないのだが「コーヒー」と言うとcoffeeとはどうしても聞こえないらしい。 そこで、ちゃんと下口びるを噛みながら「カフィ」と言おうと思って、頭の中でイメージトレーニングしながらスチュワーデスが順番通りにやって来るのを待っていた。ところが、もう少しと言うところで、別のスチュワードが「Japanese tea, Japanese tea」と日本茶の売り込みに来たので、つい「Yes, please」と言ってしまった。
 日本茶の魅力には勝てない。下口びるを噛む発音の実践は、お預けとなった。

 機内では、書類を書いたり、本を読んだり、旅行ガイドブックを見たり、睡眠をとったりして過ごす。13時間もあると結構本も読める。

 予定時刻にロンドン・ヒースロー空港に到着。英国とアイルランドの二国間協定により、ここでアイルランドに行く人は、英国の入国審査をパスしなくてはならない。私は日本の旅行代理店で聞いていたので比較的戸惑わなかったが、何も聞いていなかったらどうなっただろうか。

 ご存じのように、ヒースロー空港には4つのターミナルがあってその間を無料循環バスが回っている。成田はターミナルが2つだから大きさを想像していただきたい。私はターミナル4(BAの長距離便)に到着し、入国手続きをしてから、ターミナル1(ヨーロッパ内便)に移動しなくてはならない。入国審査は「アイルランドに観光で」と言ったらすんなり通った。
 両替所に日本人係員がいたので「ターミナル1に行くにはどう行ったらいいんでしょうか?」と聞いたら、「階段を下りて外に出て8番のバス停」と教えてくれた。日本語はありがたい。念のため途中で別の人に「ターミナル1に行きたい」と言ったら「ここから外に出るとインター・ターミナルバスが出ます」と言うので安心。

 でも、外に出て8番のバス停で待っていたら、どうも様子がおかしい。ここはどう見てもロンドン市内行きのバス停である。仕方がないので、バスを待っていた英国紳士風の人に、
 「インター・ターミナルバスはどこから出るか教えていただけますか?」と訊くと、
 「ターミナル3行きか?」と言うので「ターミナル1」と答えると
 「確信はないのだが」と言う。
 「たぶん7番から出ると思うよ。確信はないけどたぶん。」と教えてくれた。お礼を言って7番に向かう。

 英国紳士・淑女はこのようにいつでも親切である。ロンドンの町中で忙しそうにしていても、どうしようもなく下手くそな英語をしゃべる迷子の日本人に親切に道を教えてくれたりする。東京にいるよりずっと温かな気分になる。
 さて、我々がいる「8番」は空港を出て一番右、それに対し「7番」は一番左のバス停である。途中で別の人にも訊いたらやっぱり7番だと言う。両替所の日本語が間違っていたようだ。よく見たら、ちゃんと小さな看板が出ていた。

 タイムロスもあったが、移動に時間がかかって1時間半の乗り継ぎ時間で結構ギリギリであった。ヒースローとダブリンの間は、エア・リンガスというアイルランドの飛行機である。ビジネスクラスだったが、名ばかりである。機内で軽食が出たが、まずい。(^^;;) これから先のアイルランドの食事はどんなものになるのだろう。先が思いやられる。
 機内放送にも訛りが入って聞き取りにくくなった。「ダブリンの天候は曇り、外気温は摂氏60度」なんて聞こえる。たぶん16度だと思うのだが、イントネーションが違うと戸惑って聞き取れなくなる。

 ダブリン空港の入国審査は、もうザルのようなものである。かつてローマの空港では、係官が「いなかった」のでビックリした。ダブリンには「いる」のだからまだマシである。英国で入国審査しただろうから別にイイや、と言うことだろうか。 そんなわけで、気が抜けるくらい実にあっさりとアイルランドに入国した。(^_^)


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 (5)前進あるのみ

 夏時間なので明るいが、もう夕方だ。
 ダブリン空港で両替を済ませた後、まず私が最初にしなければならないのは、帰りのダブリン→ヒースロー間の航空券のリコンファーム(再確認)である。BAはリコンファーム不要と聞いたが、エア・リンガスは聞いていない。でも、カウンターに行ったらもういきなり「fine」である。チケットのstatusのところに「OK」って書いてあるから、もう再確認の必要はありませんと言う。何のことはない。ラッキーである。

 次は宿泊とレンタカーの予約である。観光案内所の窓口に行く。こういう交渉ごとの時には、私はメモを持って行くことにしている。私は中学2年生程度の英語しか話せない。英検だと4級程度である。最近は高校入試も難しいと感じる。交渉ごとで誤解があってはならない。あらかじめ機内で作成したメモを見せながら話す。
こんなやつ。

       +-----------------------------------+
       | B&B       Rent-a-car   |
       |  8/29(reserved)  8/29-9/4  |
       |  8/30(reserved)         |
       |  8/31 Killarney         |
       |  9/1  Killarney         |
       |  9/2  Galway           |
       |  9/3 (reserved)         |
       +-----------------------------------+

 8月29日、30日と9月3日は、日本からダブリンのホテルを予約してあるので、B&Bを予約するのは3泊分である。B&Bは、表記上は「B&B」「B+B」で良いが、現地の人は話すときにはちゃんと「ベダンド・ブレクファスト」と言っているようである。でも「ビー・アンド・ビー」でも「ビー・ビー」でも通じた。こっちの方が、発音が楽である。なお、日付は、たとえば8月31日は日本式だと8/31だが、あちらは31/8のようである。もちろん31月8日なんてないから、そのくらいはちゃんと分かってくれなきゃ困る。

 この観光案内所の窓口の若い女性は訛っていて、話がなかなか聞き取れず、何度も聞き返してしまう。もっとも、私の方が訛っているんだから文句は言えない。(^^;)

 この女性が言っていることは、半分くらいは聞き取れない。私は分からないことを言われたら即座に「Pardon?」と言うようにしている。5秒も経ってから「Pardon?」とか「Sorry?」とか聞き返す人がいるが、あれは実にタイミングが悪い。だから、私は早口で何か分からないことを言われたら「即座に」聞き返すように心がけている。別に他人様に自慢するほどの心がけではない。(^^;;)

 でも、1度や2度ならともかく、この「Pardon?」が多いと、しゃべる方も聞き返す方もだんだんイヤになってしまう。この観光案内所には受付が4つもあった。偶然私の担当になった受付嬢はお気の毒である。「B&Bに何時頃到着できるか」と訊くので「えーと、だいたい4時」と言ったら「6時までには入ってください。6時を過ぎるときにはここにお電話を」と言われた。何が何だか分からないうちに、予定通りキラーニとゴルウェイの民宿を予約できた。ふうっ。(^_^) お値段は何とシャワー・朝食付きで1人1泊16IRポンド(約2600円)である。安い!(^_^) 紹介料として1件につき2ポンド、前金として宿泊料の1割を現金で支払う。

 レンタカーの紹介は、観光案内所ではやっていないらしい。「あなたの右手にカウンターがあります」とか何とかいうので行ってみると、いやはや、ずらりとレンタカー会社の窓口が並んでいる。一番混んでいる会社の窓口に並ぶ。こっちに判断材料がないときには、混んでいる窓口に並ぶのが無難である。空いている窓口は、地元の人でさえも敬遠するような会社か、異常に事務処理が早い会社かのどちらかである。いずれにせよ私もそんな会社は敬遠したい。あとで分かったのだが、私が選んだのは業界最王手の「ハーツ」という会社だった。窓口は中年の女性。あんまり訛っていないのか、今度はちゃんと聞き取れる。それとも、私の耳が慣れてきたのかも。「小さい車を借りたい。日本車はありますか?」と聞いたら、マツダの随分大きい車を勧めてくるので、地元の小さい車にした。カタログには日産もトヨタも書いてあるのだが、もう借りられてしまっているのか、それとも日本車だと思っていないのか。ま、何でもいいから借りられて幸せ。(^_^) 保険、保険と騒いでいたので、ちゃんと保険にも入れてくれた。

 レンタカー料が1週間で400ポンド(約64000円)。保険が対人・対物・自賠責で1日16ポンド。ちょっと高いような気もするが、文句を言うほどではない。「ここを出てすぐのエリアBの*番にあなたの黒い車があります。返すときはエリアAへ」果たしてエリアBの入口近くに私の車があった。ふうっ、これでやっと車も借りられた。時刻は午後7時半。諸手続きは全て完了である。(^_^)

 車のエンジンをかけて、ウィンカーをチェック、ガソリンも8割くらい入っているし、問題はない。ギアもOK...かと思ったら、何とギアがバックに入らない。どんなに力を入れても、何としても入らない。妻にもやってもらったがダメである。前進はできても後退ができないのでは、車庫にも入れられない。一旦車庫に入れてしまったら、もう出せない。(^^;;) バックに入れたつもりでも、ローに入ってしまう。

 こんなところにRがあるギアは、私は見たことがない。力一杯左の方へ押しても絶対にバックに入ろうとしない。困った。(^^;;) あのマツダの大きい車だったらオートマだったかもしれないなぁ、などと今さら考えてみる。他のボタンか何かを押しながらギアを入れるのかとも思って、いろいろとボタンを押したりひねったりしてみたが、変わりがない。ライトがついたりするだけである。ローに入らないのならともかく、バックに入らないのは致命傷である。人間でもこういうヤツがよくいるよなぁと思う。困ったものだ。でも、仕方がない。恥ずかしいけれど、さっきのハーツのカウンターに行って聞くしかない。

 さっき応対してくれた中年の女性には他のお客さんがいたので、別の若い男性に「車がリヴァースしない」と言ったら「別の車を」とか何とか言っていたが、「ギアが左に動こうとしない。どうしたらいいか教えてくれませんか」と言ったら、事情が分かったらしい。隣の女の子にお前教えてやれよとか何とか言ったあと、よく分からないけれど「リフト、リフト」と言う。何のことかと思ったら、引っ張り上げながらギアを入れるんだそうである。納得、納得。(^_^) 早速車に戻って試してみる。ギアが入った。(^_^) 試しにそっと動かしてみる。ちゃんと後退した。(^_^) ヨカッタ、ヨカッタ。(^_^) さて、ダブリン市街に向けて出発である。 


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 (6)車は快調に何マイルも走る

 辺りはすっかり黄昏てきた。ダブリン市街に予約してあるホテルに向かう。

 ダブリン空港は、ダブリン市街から約10マイル(16km)北上したところにある。市街行きのバスやタクシーもあるが、レンタカーならそれに越したことはない。観光案内所で買った地図によると、市街へは「M1」と「N1」という道路を経由するらしい。

 「M1」のMはモーターウェイである。自動車道とでも言うのだろうか? 「N1」は何の略だか不明だが、国道1号線のことだと思う。M1が有料なのか無料なのかはよく分からなかった。できればN1の方がいいなと思って、N1の方へ曲がる。アイルランドの道路は、日本と同じように車は左側通行である。アメリカなど他の国の観光客が道路の中央をモタモタと走っているのに対し、日本人運転手は明らかに有利である。でも、ロンドンを離れてから、日本人にまだ会っていない。エア・リンガスの飛行機の中でも、ダブリンの空港でも、日本人は我々以外には1人もい ない。黄色人種の外見の人を見かけない。日本語を話す人さえいない。日本人がよく行く他の国の観光地に行くと「こんにちは」とか「おみやげ、安いよ」とか日本語で声をかけてくる現地人がいることがあるが、ここは、そんなことは、全くない。

 借りた車は、日本車と比べてワイパーとウィンカーのレバーの位置が逆である。日本車だと左にワイパー、右にウィンカーのレバーなのだが、この車は左にウィンカー、右にワイパーである。だから、ウィンカーを出したつもりでも、ワイパーが動いてしまう。また、ウィンカーを出しながらギアをセカンドに落とす、なんていうワザも、左手が忙しすぎてできない。これは長年(と言っても10年くらいだが)日本車で染みついたクセである。

 道路は日本と変わりがないが、路肩が広い。それから、信号は少なくて、交差点はroundaboutと呼ばれるロータリーになっている。このロータリーは最初は戸惑うが、慣れてくるとこの方が便利である。すいているときには止まる必要がないので、何と言っても早い。周りの車はと言うと、これがまあ、よく飛ばしますなぁ。(^^;;) 私は時速50マイル(80km)くらいで走っているが、その横を何台もの車が猛スピードで追い抜かしていく。80マイルくらいは出しているんじゃないかなという車も多い。ここは一般道である。この国には制限速度というものはないのだろうか? アイルランドの交通ルールについては知識が全くないので、こんなもんかなと思うしかない。

 小さな町を通過しながら、車は快調に5マイル、10マイル、15マイルと走った。15マイル? おいおい、随分遠いなぁ。日はどっぷりとくれて、まわりはほとんど真っ暗になっていた。思えば遠くに来たもんだ。

 「R122」という道路との交差点を過ぎた。私は車を止めた。そう言えば「N1」という標識は見ているが、しばらく「Dublin」という標識は見ていないような気がする。地図を見る。そこは、Balbrigganという小さな町だった。我々は「N1」を南下すべきところ、北上してしまったのだ。太陽が沈むと道に迷う。このままずんずん進んでいったら、北アイルランドに入ってしまうところだった。(^^;)

 もちろんUターンして引き返す。ダブリン空港に引き返し、N1からM1を経由して、ダブリンに入った。M1もタダのようである。最初からここに進むんだった。ダブリンは百万都市だけあって、市街地は一方通行が多く、道に迷う。午後9時30分、やっとホテルに到着した。

 ホテルはダブリン市街にあるのだが、案の定駐車場がない。玄関前に車を横付けしてフロントで訊こうと思って車を止めたら、ホテルの従業員が飛んできたので、最寄りの駐車場までの道順を教わる。駐車場は立体駐車場で、時間決めのようである。1時間ならいくら、2時間ならいくら、3時間ならと細かく看板に表示してあるが、だいたい1時間あたり2ポンド(約320円)程度のようである。(^^;)

 夕食は、ホテルの静かなレストランで。近所のバーは賑わっていて楽しそうだったが、もうそんな気力がなかった。夕食はコースで1人8.5ポンド(約1360円)。安くておいしかったが、客は我々以外に1組しかいなかった。なぜだろう?

 こうして、やっと初日が終わった。この旅行で一番長く辛く感じた1日だった。そして、実際のところ、1番長い日だった。8時間の時差を含めて32時間の長い長い1日である。


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 (7)日本人発見!

 ダブリン最初の朝に私が目覚めたのは、午前3時だった。(^^;;)  近所のバーがやけにうるさかった。歌を歌っているオッサンもいた。うるせえなぁと思って起きたら、午前3時だった。(^^;) まったく、こんな夜中に何やってんだか。日本なら、午前3時頃に大声で歌を歌っているオッサンがいたら警察に保護されてしまうのではないか。でも、この国では「深夜は静かにしましょう」というルールはないみたいである。騒いで盛り上がっているのは、1人や2人ではない。もう眠れないので、絵はがきを書くことにする。

 絵はがきは、ダブリン空港の観光案内所で10枚買っておいた。妻が4枚、私が6枚。まず、祖母の心配を和らげるため「宿泊・レンタカーの予約は昨日全て済ませました」「ダブリンの人々は陽気で親切です」と書いた。「陽気で親切」というのは嘘ではない。ちょっと明け方に騒々しいだけだ。あとは、友人・知人に書く。朝食は、昨夜フロントで頼んでおいたので、ホテルのレストランで食べる。1人7ポンド(約1120円)。「アイリッシュ・ブレックファスト」と聞いていたが、普通のセルフサービスの朝食である。シリアル、トースト、ベーコン、ソーセージ、焼きトマト、スクランブルエッグ、ジュース、紅茶。私がイングランドで食べた朝食よりちょっとおいしいかなという程度。別にアイリッシュと自慢するほどではない。

 日本を発つときには、このダブリン2日目にどこを回るか決めていなかった。せっかく車もあることだし、ダブリン近郊の「ニューグレンジ」という古墳に行くことにした。5000年以上も前に作られたヨーロッパでも最古の古墳の一つらしい。

 10時にホテルを出る。駐車料金が高いので、フロントで「この辺に無料駐車場はないのか」と聞いたが、ないらしい。そのかわり、駐車券(Guest Parking Voucher)をくれる。駐車料金は1泊5ポンド(約800円)になった。(^_^)

 まずはダブリンの中央郵便局(General Post Office)に寄って絵はがきを出そうとする。郵便局はダブリンの「オコンネル通り」というメインストリートにある。ここの路上でパトカーを発見。路上駐車の車を追い立てている様子。私は、郵便局の前に路上駐車して絵はがきを出そうと思っていたのだが、計画変更である。妻が郵便局の窓口に行き、私は駐車した車の運転席にいて待つことにする。妻は外国の窓口であまりこの手の手続きをしたことがない。航空会社のカウンターでもホテルのフロントでも、チェックインは私の役目である。ホテルのフロントで「フォー・ワン・エイト」とか言って418号室のキーを受取ったりはするが、他のことはあまりしない。郵便局の窓口ももちろん初めてなのだが、東洋人が「VIA AIRMAIL」と朱書された絵はがきを持ってウロウロしていたら、何も言わなくても用件を分かってくれるに違いない。まあダブリン人は親切だし、大丈夫だろう。

 郵便局前は待合せ場所にもなっているらしく、たくさんのダブリナーたちがいる。妻はその中を車を降りて郵便局内に入る。

 案の定、妻の方は大丈夫だったが、私はパトカーに追われるハメとなった。私の車の後ろに青サイレンのパトカーがぴったりと駐車し、プッとクラクションを鳴らした。即座に右ウィンカーを出して車を動かす。このまま止まっていては捕まってしまう。その辺を1周して戻ってくることにする。パトカーは、今度は私の車の前に停車していた別の車の後ろに駐車したようだ。追われずに済んだ。(^^;;)

 私はただその辺を1周して元の郵便局前に戻ろうと思っていたら、渋滞に巻き込まれ、何回か信号待ちをしてしまう。助手席に地図を広げて道を確認していたら、その時路上を歩いていた若者が突然私の車に霧吹きで液体洗剤をかけて窓を拭き始まった。私が「ノー、ノー」と言って車を少し前進させると、若者はご丁寧にも洗剤を全部拭き取って去っていった。何だか分からないが、新手の商売か。(^^;;)

 やっとオコンネル通りに戻ると、妻はダブリナーたちとともに郵便局の前で待っていた。何と言ったのかは分からないけれど、絵はがきは無事出せたらしい。これからは、交渉ごとも妻に頼むことにしよう。(^_^)

 古墳のあるニューグレンジは、ダブリンの北北西、約30マイル(約48km)のところにある。昨日は「N1」を通ったが、今日は「N2」である。今日が、北アイルランドとの国境に最も接近する日である。国境地帯はIRA(Irish Republican Army=アイルランド民族主義者の非合法組織)のテロがよくあった地域である。IRAは8月に休戦宣言しているが、たとえテロリストがどんな宣言をしても、所詮テロリストの宣言である。信用できない。約束を守るテロリストなんて聞いたことがない。(^^;;)

 作家のイエーツの故郷のスライゴ市にも行きたかったのだが、国境に近いので今回は止めた。ニューグレンジでも道に迷うといつ国境に近付くかわからないので、慎重に運転しなくては。もっとも国境まで最低でも20マイル以上はあるし、ニューグレンジまでの道は国道2号線で1本なので、比較的分かりやすい。

 さて、ダブリンから約1時間車を走らせてニューグレンジの町に入ったのだが、古墳らしき看板も見あたらないし、観光客もいない。お昼も食べたいが古墳も見たい。左に曲がれば観光案内所という標識があったので曲がってみるが、それらしき建物はない。古い教会があったので写真を撮る。近くでバーの外壁のペンキ塗りをしていたオッサンがいたので道を尋ねてみようかと思ったのだが、観光案内所も古墳も、もう少し先かもしれないと勝手に思って車をさらに走らせる。

 ニューグレンジの古墳は、たぶん丘の上にあるのではないかと勝手に想像して、上の方を目指す。でも、坂を上っても別に古墳なんてない。羊の群れがあっただけである。また羊と写真を撮る。人気がなく観光地らしくない。腹も減ってきたがレストランなんてもちろんない。さっきの観光案内所の標識の所まで戻ることにする。

 写真を撮った古い教会の所まで戻った。ペンキ塗りのオッサンは今度はハシゴをかけてずいぶん高い場所のペンキを塗っている。下から下手くそな英語で大声を上げたらひっくり返ってしまうかもしれない。とりあえず公衆トイレがあったので用を足してそれからまた考えようと思っていたら、何とそのトイレの隣が観光案内所であった。(^^;;) あんまり小さかったので見落としていたのだ。

 観光案内所は幅4.5m、奥行3mくらい、「TOURIST INFORMATION OFFICE」の看板は幅1m、高さ50cmくらいである。隣の公衆トイレの方が大きいし目立つ。案内所に入るとおねーちゃんが1人いた。持っていたガイドブックの写真を見せて「このお墓への道を教えてくれませんか」と言ったら、説明して地図をくれた。ついでにガイドブックに載っていた「タラの丘」の場所も聞いたら親切に教えてくれた。最初からここに来られれば迷わずに済んだ。「タラの丘」Hill of Taraの方が観光案内所から近そうなので、まずそこに行くことにする。案内所から西に8マイル、Navanの信号を左折して右側だそうだ。

 昔々タラの王という人がいて、ここに城を築いたらしい。会議場や宴会場の跡がある。でも、今はタダの更地で、草が茂っていて、ところどころ牛のフンが転がっているだけである。日本で言えば、日光の戦場ヶ原とか、水戸城の濠跡とか、そんな感じ。もっとも水戸城の濠跡に牛のフンなんか転がってないけど。(^^;;) 確かに360度眺めは良いが、日本からわざわざ行くほどのところではない。荒涼とした丘をしばらく散歩して過ごす。

 いい加減腹も減ったので、隣にあった小さな店に入る。土産品と喫茶の家族経営の小さな店である。サンドイッチと紅茶を注文する。ウェイトレスはこの家の娘と思われる子どもである。日本なら児童福祉法に触れるかもしれない。(^^;;) サンドイッチはまずまずの味であった。レジにいたご主人は、2人で4.6ポンド(約730円)なのに、「4.3ポンド」という。ちゃんとレジスターで計算しているのに、いい加減である。「4.60だと思う」と言ってちゃんと払った。
 この時には、日本人なんてしばらく来ないだろうから、後で「この間日本人が30ペニー誤魔化して帰っていった」などと言われたら大和魂の沽券に関わると思ったのだが、店を出ると、何と思いがけず日本人に会った。しかも集団である。(^^;;)
 どこのツアーだか知らないが、十数人もいる。「この国で日本人を初めて見た」と感激してしまう。(^^;)

 タラの丘を離れ、ニューグレンジの古墳に向かう。今度は道に迷わない。古墳は、ダブリンからN2に沿って行くと、ニューグレンジの町の手前を右に入ることになる。ちゃんと小さな標識も出ていたのだが、見落としてしまったらしい。観光案内所で、古墳に行くなら必ずVisitors Centreに行けとのことだったので、そこに入る。ニューグレンジに行きたいと言ったら、何と2時間半待ちだと言う。午後5時半に出発して云々、その前の見学ツアーは全て予約済みらしい。「five?」と言って呆然としていたら、ナウス(knowth)という別の墓があると言う。そこなら4時15分にバスが出る。ほとんど同じ墓だ。規模はニューグレンジよりも大きいが、調査中なので、中には入れないらしい。でも、入場料はニューグレンジが3ポンドなのに対し、2ポンドと安い。オーケー、オーケー。ここにしよう。(^_^)

 この旅行センターには古墳に関するいろいろな展示があり、小1時間は潰せる。しかも日本語版のパンフレットまである。周りを見渡すと日本人らしき人は1人もいないのだが、数種類しかないパンフレットの中に日本語版があるなんて感激である。我々もここでいろいろと予習をすることになる。まず、このブルー・ナ・ボーニャ(ボイン川流域の古墳群)には、大きな古墳が3つあり、小さな古墳は数百あるらしい。大きな古墳は、ニューグレンジとナウスとダウス(Dowth)で、ダウスは非公開である。3つの墓は大きさも年代もほぼ同じ。やや大きいのが我々が行くナウスである。小さな墓は今はほとんど形を留めておらず、一部で復元されている。

 ナウスへは、旅行センターからバスですぐだった。古墳に到着すると、グループに1人ガイドが付く。1人2ポンド(320円)でガイドまで付くとはお得である。説明は全部英語なので半分くらいしか分からないが、明瞭な英語で話してくれる。墓はいわゆる円墳である。墓の周囲には石が並び、不可解な文様の彫刻が施されている。石は高さ1メートルくらい、それぞれ材質も違うようで、柔らかい素材のものは既に朽ちてしまっている。石の文様の意味については皆さんの想像にお任せしますとのこと、諸説があるらしい。中世には、人々はここが墓だとは知らず、墓の上に住んでいたという。そこはもちろん高台であるが、山(古墳)の一部を削り、頂上に登るための道を作っていたと言う。現在は、それよりも古い時期のように復元されている。

 中世期には、地表面は現在よりももっと高い位置にあったらしい。そのおかげで石が土に埋もれて保護され、不思議な文様を今でもくっきりと見ることができるとのことである。それにしても、5000年の歴史だけあってなかなか迫力がある。何と言っても、水戸の愛宕山古墳より3000年以上も古いのである。現在調査中の内部が公開されれば、さらに見る価値は増すだろう。お目当てのニューグレンジには行けなかったが、ナウスに行けたのでとりあえず満足。さっさとダブリンに帰ってメシを食って休もう。明日はキラーニに向けて出発である。しかも、考えてみたら(考えなくても同じだが)、今朝は3時起きである。眠いはずだ。今夜は睡眠をとるべし。

 帰りはもちろん道には迷わないので、7時にダブリンのホテルに戻る。1時間20分で着いてしまった。夕食は、ガイドブックに載っていたダブリン城近くの「ロード・エドワード」に行くことにする。魚料理の老舗らしい。ここは、後でも書くがお勧めである。だが、行ってみると今日は予約の客のみだそうである。残念。向かいのレストランも一杯なので、アテもなくホテルに向かって歩いていたら、ダブリン城の前の路上にヤンキー兄ちゃんの群れがいる。別に我々が言いがかりを付けられる訳ではないが、手近なところでその場にあった中華料理店に入る。何と入口に応対に出た中国人(たぶん)は、開口一番「こんにちは」である。現地の人がしゃべる日本語を初めて聞いた。でも、残念ながら、他のやりとりはすべて英語である。(^^;) ワイン1本と、料理は妻も私もチキンのコースを頼んだ。

 この店は別に皆さんにお勧めしないので、店の名前は書かない。出てきた前菜は何とアヒルである。(^^;;) とりあえず腹も減っていたので平らげたが、メインには追い打ちをかけるようにトリが3種類も出てきて、しかもすべて何だか分からないトリである。私はチキンと言えばニワトリのことだと思っていたが、この店では違った。(^^;;) 少し食べるが、量が多すぎて全部食べきれなかった。2人でサービス料込みで55ポンド。日本円で約8800円だから、まあこの国では結構なお値段である。

 腹も一杯になったので、ホテルに帰ってさっさと寝る。酔っ払ったので、ヤンキーはもう気にならない。近所のバーは今夜も騒がしい。だが、あの騒々しい金魚鉢に飛び込むパワーは、まだない。


アイルランド
のほほん漫遊記
 (8)


 (8)キラーニへの旅

 翌朝も早く目が覚めた。騒々しいと言うより、時差ボケが治っていないのか。今朝は私の耳が慣れたせいか、さほど騒々しくなかった。天気雨が降っている。

 今日はアイルランド東部のダブリンから南西部の観光都市キラーニkillarney に向かう。ガイドブックや地図によると、ダブリンからキラーニまで 192マイル、バスなら3〜4時間という。朝出発したら昼過ぎには着いてしまう。我々のタイム・リミットは、午後6時までにキラーニのB&Bである。それなら途中寄り道しようということになった。キルケニーkilkennyとコークcorkを経由してキラーニに入ることにする。

 さて、朝食は、昨日と全く同じである。シリアル、トースト、ベーコン、ソーセージ、焼きトマト、スクランブルエッグ、ジュース。紅茶は止めてコーヒーにする。まあ、同じホテルなんだから仕方がない。
 9時にチェックアウト。キルケニーには「キルケニー城」という古いお城があるらしい。そこに向かう。雨足が強くなり、ワイパー全快、運転も一苦労である。途中この国で初めてガソリンを入れる。店のオッサンが今日はいい天気だねみたいなことを言う。冗談だか何だか。(^^;;) ガソリンはセルフサービスの所もあって、そっちの方が安いだろうと思うのだが、私は一貫して店員がいるところを選んで給油した。異国で自分で間違って軽油とか入れちゃったら大変だしね。(^^;;)

 キルケニー城に着いたら、もう11時になってしまった。雨は止んだ。キルケニー城も、ご多分に漏れずイギリス人の占領の跡のようなものである。この国のあらゆるお城が、かつてのイギリスのアイルランド支配の拠点である。自分たちが占領された象徴のようなものを壊さずに修理して観光客に見せるとは、アイルランド人もなかなかの太っ腹である。原爆ドームを保存して観光客に見せる日本人と共通点があるかもしれない。キルケニー城は片仮名の「コ」の字型のお城で、芝生の庭園が美しい。内部見学は、やはり観光ガイドが付く。写真撮影が禁止(カメラはクロークに預ける)のほかは、至って自由である。この城は部屋ごとに特徴があって、それをいちいちガイドが説明してくれた。もちろん英語なので、何を言っているか半分しか理解できない。時々冗談を聞き逃すとなお悔しい。(^^;)

 さて、見学を終えたらバケツをひっくり返したような大雨である。仕方なく喫茶室で休むことにする。喫茶室は我々と同じような考えを持つ人々でごった返していた。何とか席を見つけて座り、クラブサンドウィッチと紅茶を頼む。昨日もお昼はミックス・サンドだったが、今日の方が断然おいしい。(^_^)
 食事を終えたら、何と外は晴れ上がっていた。(@_@;) 庭で写真を撮って帰る。

 車に戻ると、また雨が降り出した。ウォーターフォードwaterford 経由でコークcorkに向かうが、なかなか車が進まない。雨が降り、もやがかかり、スピードも出せない。コークに着いたのが5時ちょっと前である。(^^;;) キラーニ市に入るが、この分だと6時になってしまう。観念してサービスステーションからB&Bに電話をすることにする。私は、到着が7時頃になると言うことだけを相手に伝え、あとはキラーニの観光案内所で道を聞こうと考えていた。ところが、電話が通じるなり「どこにいるのか」「場所は知っているのか」と矢継ぎ早に聞く。どこにいるかなんて聞かれるとは思わなかった。困った。日本語でも「ここはサービスステーションです」としか説明できない。ましてや英語である。(^^;;)  「Near Killarney.On the way from coke to killarney」が精一杯。(^^;;) 「From cork?」と聞き返される。そのとおり。「コウク」じゃなくて「コーク」である。(^^;;) 電話に出たご主人が場所を詳しく説明してくれた。曰く、キラーニの中心から「N71」の方にあり、National park の近くらしい。ナショナル公園って何だろうと思ったら、国立公園のことだった。(^^;;)
 外国でホテルのフロント以外と電話で話したのは初めてで、緊張した。緊張すると言いたいことも言えなくなってしまう。黙り込むと間が持たないのは日本語でも同じだし、だからと言って「アー」とか言っているとバカみたいなのも日本語でも同じである。(^^;;)
 相手がしゃべってくれる時には「I see」か「Pardon?」だけで良いが、何かを聞かれると困る。(^^;) でも、これで場所も分かったし、何かあったらまた電話すれば親切に教えてくれそうだし、気が楽になった。

 そうは言うもののとりあえずキラーニの観光案内所に向かう。ちゃんと地図上で場所を教えてもらった方がよいと思ったからである。ところが町中で道に迷い6時を過ぎてしまった。観光案内所に着いたらもう閉まっている。残念。N71に沿って国立公園方面に向かう。N71沿いにはB&Bの標識がたくさんあった。行き来しているうちに目的のB&B「OSPREY」の標識を発見。午後7時、やっと到着!!

 玄関のブザーを鳴らし、私が名前を告げると、ジーンが「早かったね」と笑顔で出迎えてくれた。


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 (9)


(9)日本的家庭

 B&B「OSPREY」に着くと、部屋に案内し、コーヒーをいれてくれた。本当は奥さんがこのB&Bの経営者で「マリーン」と言う名前なのだが、どうにも照れ屋なようで、あまり話さない。そのかわり、ジーンはよくしゃべった。夫婦とも におしゃべりだったら2人とも話してばかりいて聞き手がいない。世の中良くできているものである。

 ジーンとマリーンの夫妻は、日本人の夫婦に似ていなくもない。お客さんが来ると相手をするのはたいがい夫の役目で、お客さんと夫が話している間に妻はお茶をいれたり、食事を作ったりする。妻がお客さんと話して夫がお茶をいれると、日本では格好が付かないなどと言う。何となく日本的なので、日本人の友達でもいるのかと思ったが、ジーンは1度だ け日本人に会ったことがあるとのこと。日本人の宿泊客が過去に1組だけいたのである。「さよなら」という日本語を教わったと言う。何とまあ久しぶりに聞く日本 語で嬉しくなってしまったが、それしか日本語を話せないのである。(^^;) でも、 この国には日本人が少ないんだから仕方がない。私だってアラビア語は全然しゃべれないし、ギリシャ語は「カリメーラ」と「ムサカ」しか言えない。(^^;) ギリシャ人の友達は、もちろんいない。だから、ジーンが日本語を話さないのもごく自然なことなのである。しかし「さよなら」の発音は完璧で、まるで日本人みたいだった。我々が来る前に発音練習をしていたのかもしれない。

 コーヒーを飲みながら、夕食はどこが良いだろうかとか、キラーニの町に公共駐車場はあるのかとか、そんな話をしていたのだが、その時ジーンが「パリからの悲しいニュースを知っているか」と言った。妻は全く分からないという顔をした。私にも全く心当たりがなかった。「Princess Diana was killed.」とジーンは言った。 後で分かったことだが、我々は日本の新聞より先に世界的大ニュースを知ることとなった。交通事故。驚いたと言うよりは、遠い夢の中の出来事のような気がした。

 やがてマリーンとジーンは、町に用事があるというので、我々に合い鍵を預けて町へ出掛けてしまった。もう他のお客は来ないのだろう。我々も鍵をかけて出掛けようというところに誰かが来た。ドアをあけると、B&Bを探しているという若い元気な女性である。ここの主人は出掛けてしまったのだが残念ながら何時に帰るか分からない、我々もお客であると告げると、残念そうに帰っていった。

 夕食はジーンおすすめのレストラン"BRICIN"(ブリッキン)。キラーニの中心街にある。キラーニの町はこじんまりしていて歩いて回れる。町の中心に駐車場もあるし、しかも夜間は無料である。(^_^) ブリッキンは、他の店が塗り壁が多い中、 レンガを積み上げたような入口なので、よく目立つ。1階が土産物屋で、2階がレストラン。各テーブル上にキャンドルが灯してあって、落ち着いた雰囲気である。 白身魚のグラタンと鮭のステーキを注文する。白身魚はタラかなぁ? なかなかいける。車なのでお酒は飲めない。デザートは自家製の苺アイスクリーム。甘過ぎずさっぱりとしていておいしい。食後に1階の土産物屋を覗く。