くまちゃんと踊る準
  いつもこころに十歳児を 〜10000アクセスお礼の言葉に代えて

 「1年1万」・・・実は密かに目標としていた数字です。去年の3月21日に開設して、最初はいったいどれくらいの方が来られるのかと思っていましたら、あっさりと1ヶ月ちょっとで1000もカウンタが行きました。これなら1年後には1万行ってるなと楽観視していましたら、その後深刻なくらいアクセスが減りました。だいたい日に20人足らずくらいになり、目標は遠ざかっていきました。そして、ようやく持ち直してきた9月のはじめ、突然パソコンが壊れて20日近く作品づくり・更新はおろか伝言板にも出ることさえできなくなってしまいました。その時点でもう目標はあきらめようと思いました。しかし、去年の11月頃から増加傾向になり、今年に入って加速がつきました。あれよあれよと言う間にカウンタは増加し、1年まであと1ヶ月以上もある2月17日20時24分、とうとう1万の大台に乗りました。
 どうして1年1万にこだわったかというと、盟友でありお手本である「ひとり上手ぎゃらりい」さんが、去年の1月末に、1年弱で大台に乗せたからなのです。結果としてうちの方が10日ほど早く到達することができたのですが、全く何もないところから始めたSundewさんと、すでにお仲間ができあがっていたうちとを比較することはできません。Sundewさんには、先駆者としての苦労があったはずです。しかし、後発は後発としての苦悩があったのです。
 やはり、どうしても「ひとり上手の二番煎じ」的な見方をされてるなあと思うことがあります。好みや画風が似ていると言われるのはとてもうれしいのですが、だからこそ違いを出していきたいといつも思っているのです。しかし、そのために始めたコラムもいまは休眠状態になってしまい、結局頼みの綱は、準を主人公にした絵物語ということになったのです。
 この期におよんで何ですが、正直言ってどうしてうちなんかにこんなに来ていただけるのだろう、と思ってしまいます。よそを見ると、みんなうらやましいぐらい絵が上手いです。どう贔屓目に見ても、私が一番絵が下手な「お絵かきさん」であるのは事実です。また、コンテンツも充実していて、多彩な作品を楽しむことができます。それに対して、うちは準しかいません。版権ものもなければ、エッチな絵もありません。こんなので喜んでいただいているんだろうかと、不安に思うことがあります。
 もし、うちらしい特徴をあげるならば、やはり「物語付き」であることです。イラストに短いコメントをつけてある例はよく見かけますが、原稿用紙にして5枚から10枚もある物語付きというのはあまり類例を見ません。しかし、これが物語だけだったとしたら、こんなにも来ていただけなかったのではないでしょうか?。結果として相互補完関係になり、たとえ下手でも絵があることでイメージがわきやすくなり、それなりに楽しんでいただいてるのかなあと思ったりします。
 そして、書き進めていくうちに、あることに気づいたのです。
 私自身は、準のお話を書くときは自分が十歳だったころを想い出しています。つまり、準が考えたりやったりしていることは、あのころの自分ならしたかもしれない(あるいは実際体験した)ことだったりするのです。作品を発表すると、みなさんから温かい反応が返ってくるのですが、その感想の多くは「自分もそうだった」とか、「いや、私はこうだった」とか、あのころを想い出して書いてくださっているのです。つまり、作者同様、読んでくださる方も、準を通してふと十歳のころに還っているわけです。それはある程度意図したことではありましたが、作者冥利に尽きるというか、ほんとうにうれしく思っているのです。
 誰の言葉か忘れましたが、本を読んでいると「もし人生に迷ったときは、心のなかの十歳の頃の自分に相談してみるといい」というような文章に出会いました。つまり、十歳の頃の曇りのない眼に従えば、人生の判断を誤ることはないという意味なのです。私はそれだけではなく、辛いこと、苦しいことも、十歳の頃のもうひとりの自分に話したら、案外取るに足らないことだったり、いやなことのなかにも遊び心が芽生えたり、そういう効用があるのではないかと思います。想い出に浸るというと後ろ向きなイメージがありますが、追憶は人間にだけに許された特権でもあります。あのころの眼でいまの自分を見る、そうしたら、違った視点が見つかるかも知れません。それは明日を、いや今日を生きていく道標になることと思います。
 先頃亡くなられたチャールズ・M・シュルツ先生が、『ピーナツ』の登場人物の絵に一言言葉を添えた本を出しておられます。タイトルが『ハピネス・イズ・ア・ウォーム・パピー(幸せは温かい子犬)』といい、「幸せとは〜」という形式で幸福のプロトタイプをいくつか挙げられています。それに倣って言うならば、「幸せとは、心のなかの十歳児を抱きしめて生きること」と言えるかも知れません。もし、準に感情移入することによって十歳の頃の自分自身を想い出していただけるなら、作者としてこんなにうれしいことはありません。「いつもこころに十歳児を」。自分自身に、そして見てくださるすべての方に、そう申し上げたいと思っています。

 最後になりましたが、いままで来ていただいたすべての方、伝言板に感想を寄せてくださったり、盛り上げてくださった方、リンクを快諾していただいたウェブマスターの方、そして、贈り物をくださった方、皆様のおかげでここまで来ることができました。陰に陽に、私の心の支えになりました。心から感謝いたします。そして、皆様の恩義の応えるためにも、少しでもましな作品を発表できるようがんばっていきますので、これからも応援よろしくお願いいたします。
 2000年2月18日
 遊来星図書室 作者兼図書係
 Meteor ☆/
 
 ぼくをかわいがってくれてありがとう

 いつも見にきてくれているみなさんが、ぼくのことをかわいがってくれるのでとてもうれしいです。ときどきは、あまり見てほしくないのもあるけど、これからも遊びに来てください。
 10000にいくときは、ぼくはとてもドキドキしました。なんだかせなかがゾクゾクして、おしりがむずむずしてきました。そのしゅんかん、こうふんのあまり、がまんしていたものがいっきにあふれてきて、じわーっとあたたかくなってきました・・・。え、何かににてるって?。ははははは・・・。
 ぼくもがんばるので、これからもよろしくおねしょおねがいします。
2000年2月18日
なかよくしてね
羽犬塚 準
 

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