2月 サントノーレ、サヴァラン、パンドジェンヌ、タルト・シブストは何つながり?

皆さんよく知っているこれらのお菓子には、共通するあるものがあります。
さてそれはなんでしょうか???


 1845年、今から150年以上も前、「サヴァラン」というお菓子があるお店で売り出されました。そして、その翌年1846年には、同じ店で、「シブストクリーム」が誕生しました。そしてそのクリームを使った「サントノーレ」「パンドジェンヌ」もこのお店から生まれたといわれています。もうお分かりですね、そのお店の名前は「シブスト」タルト・シブストなどのケーキに今もその名を残す、有名な名前ですね。「Patisserie Chiboust」だったのかどうかはわかりませんが、ムッシュ・シブストがオーナーのそのお店は、今のサントノーレ通りにあったのです。

 しかし、歴史書に出てくる、それらのケーキの発明者には「シブスト」さんの名前は出てきません。それらのお菓子を作り出した人として名前が挙がっているのが、August Jullienという名前です。ある本には、ジュリアン兄弟と書いてあるものもあります。
 どちらにしても、ジュリアンは見習として、シブストさんのお店に入りました。まだあまり経験をつんでいないころ、きっと研究熱心だったんでしょう、彼は「サヴァラン」を作り出します。

 1730年
、パリにストレーというお店がオープンし、「アリババ」というお菓子が売り出されました。このお菓子は、ルイ15世の義理の父にあたる当時のロレーヌ公であるスタニスラス・レクチンスキーが考えたといわれており、娘であリルイ15世のお妃であるマリーに宛ててヴェルサイユに伝えたものを、王室から独立したお菓子屋さんであるストレーの店主が売り出したものとされています。

 レーズンの入ったブリオッシュ生地にラム酒を浸したお菓子ですが、彼は、すでにストレーの名物となっていたこのアリババの生地を改良し、レーズンを入れるのをやめ、焼きあがった生地をシロップに浸し、さらにラム酒かキリッシュ酒の風味を付けました。形も、それまではコルクの栓のような形で焼かれていたものを、真ん中のへこんだ丸い型で焼きました。そして、このお菓子を1826年に亡くなったブリア・サヴァランを偲んで、「サヴァラン」と名付けました。

 昔のお菓子の本を見ると、サヴァランの中央には生クリームは乗っていないので、これは後から絞るようになったのでしょう。しかし、そうするとあの真ん中のへこみはなんだったのでしょう。これについて、言及している本は今のところ見当たらないのですが、あとからラム酒をこのくぼみに入れて染み込ませたのではないでしょうか。

 その翌年、1846年にはクレーム・シブスト(シブスト・クリーム)を考え出します。カスタード・クリームにメレンゲを混ぜ込んだこのクリームは、現在でもタルトシブストに使われています。まだ「かけだし」だった彼は、このクリームに自分の名前を付けることは出来なかったわけですね。今と同じようなタルトの形だったかどうかはわかりませんが、中世以降、タルトがフランスに広まっていった事情からすると、何らかのタルトの形になっていたことは、間違いなさそうです。

 パンドジェンヌに付いては、いつ頃できたのかはっきりしませんが、これは1800年にイタリアの町、ジェノバが敵軍に包囲され食べるものが底を付き、米とアーモンドだけで何とか生き延びたというエピソードをもとに作られています。今のレシピでは、お米は使いませんがオリジナルのレシピではお米の粉を使っていたのでしょう。

 ジュリアンがお店を取り仕切るようになっていた1863年、彼はサントノーレというお菓子を考えます。「サントノーレ」はお店のあった通りの名前であり、またパン屋さん、お菓子屋さんの守護神とされているところから名づけたと言われています。

 今では、丸いパートシュクレの上にカラメルがけされた丸いシューが乗っていますが、当時はブリオッシュ生地で作られていたそうです。そして、この店のオリジナルのクリームであるシブストクリームが中央に絞られているのです。このサントノーレの中央にクリームを絞るための口金はサントノーレ用といわれますが、今ではシブストクリームを絞っているのを見かけることは、ほとんど無くなりました。

 シブストさん、ジュリアンさんについて、詳しい資料はありません。しかし、彼らが今日のフランス菓子に残した功績は、他の有名なシェフたちに並んで賞賛されるものなのです。


2001年2月6日 photo 松本紀子 text webchef