向島地域とその周辺

(京都市伏見区向島)



向島地域の地図


       向島地域とその周辺


         向島(むかいじま)は古代から明治にいたるまで巨椋池(おぐらいけ)の中にあった島々が

         東から上島 下島 向島 津田島などの島が集まって干拓後に地続きになり

         干拓された土地の部分を含めて出来上がった集落地域である。

         今も古老達は,向島地域を東の方から上島 下島 向島と言い習わされてる。

         巨椋池は飛鳥・奈良時代において平城京や寺院・神社建築のための物質輸送路として重要であって,

         その経路は宇治川から巨椋池をとおり木津川を遡り木津で陸揚げされ奈良地方に運ばれていた。

        平安時代には周辺には貴族の別荘地もあり,巨椋池をめぐる水上交通がいっそう活発になってくる。

        ,又巨椋池周辺には神社・仏閣か立ち並び奈良時代までの寺院 神社は城陽市辺りまでが平城京の影響が残り

        巨椋池を過ぎて宇治の辺りから,その北側方面iは平安京の影響を強く受ける傾向にある。

        城陽歴史風俗資料館は「五里ごり館」と呼ばれているのはその為で,丁度城陽が奈良平城京から五里,京都平安京からも

        同じ五里の中間地点に存在するからによるものである。

        一方城陽市から南側の井手町 山城町 木津市辺りまでは平城京の影響が強まっていた。

        平城京の頃に恭仁京(天平12年(740-743)が加茂町に短期間であったが,聖武天皇によって営まれている。

        大阪湾から淀川をさかのぼって巨椋池を通って木津川をも遡り中国との交流がもたれていた。

        平安京になってからは淀津 草津から鳥羽の作り道を通って都の入り口である羅生門にいたる往来があった。

        秀吉時代には天下統一した後に,隠居屋敷として築城した伏見城築城が1592年(文禄1年)のことで,

        巨椋池を眼下に見下ろした指月の森に築城された。  

        1594年には指月から見て向いの島であ向島城の築城が秀吉の手で始ま.る。

        その後,向島城には徳川家康が居城するようになった。

        向島には二の丸町, 本丸町 丸町 などの町名が残っているのは向島城のその一部だったがためと考えられている。

        1619年(:元和5年)に伏見城が取り壊された。ほぼ同じころに向島城も解体されていった。

        向島城は又四ッ谷城とも呼ばれているが、四ッ谷池に築かれた城だったからそう呼ばれたのかもしれない。

        四ッ谷は町名として現在も使われている。

        江戸時代淀川の水運の発達とともに巨椋池を通う船も多くなってきた。

        江戸の向島(むこうじま)は家康がここ向島に居城したことにより,江戸と伏見とに同じ地名が名ずけられたのは間違いなさそうだ。

        享保年間(1716-1735)に干拓,開墾されて葭島新田という村が誕生している。

        明治初年には向島は向島村 四ッ谷村 葭島新田そして伏見町に組み入れられていた向島の3町(]向島橋詰町,,向島中乃町

        向島下之町)の4っの地域に区分されていた。それらが1889年(明治22年)に町村制実施により一緒になり向島村となる。

        1885年(明治18年)6月梅雨豪雨によって淀川流域の向島村・向島と隣接した槙島村など20ヶ所の堤防が決壊などにより

        1896年(明治19年)政府によって「淀川改良工事」で巨椋池が淀川から分離され大きな溜め池同然の沼となる。

        「淀川改良工事」で1906年(明治39年)池周辺の低湿地も良田に変えられていった。

        1913年(大正2年)に「巨椋池沿岸開拓期成同盟会」が結成され,京都府に巨椋池埋め立てを陳情している。

        1914年に 巨椋池(和辻哲郎の「巨椋池の蓮の話」)の一部である二の丸の干拓が実施し稲作農地として実績をあげる。

        1923年(大正13年)巨椋池沿岸5ヶ村が協議の上巨椋池干拓事業を地元で遂行することを決議し政府に対して

        事業実現の陳情運動を推進した。

        色々な経過の後に1933年(昭和8年)iに巨椋池干拓事業の起工式が挙行される。

        工事は第二次大戦のさなかでいろいろな困難に対し関係町村と住民の努力と協力でもって1941年(昭和16年)に竣工式を迎えた。

        開墾地は全部地元農民に払い下げられ, 現在の向島は昔からの旧向島地区と新しい向島ニュータウンからなっている。

        巨椋池から向島ニュータウンへの成立過程

        昭和44年に京都市住宅供給公社(向島学生センター・向島テニスコートの情報もある)により用地買収が始まり

,        昭和46年に都市計画決定を受け,ニュータウン開発の事業が開始 された。

        昭和47年には向島ニュータウンの造成工事が始まり,11階建ての高層住宅が中心になる。

        昭和51年に戸数,配置計画, 区域などについて全体計画の見直しがされた。

        昭和53年に近鉄向島駅が設置される。

        近鉄向島駅ができるまでは京阪宇治線の観月橋駅しかなくて向島地域住民は全員がその駅を使うことができなかった。

        現在は人口の約半数が利用している。

         
        

向島ニュータウンの現状
       

現在向島ニュータウンは恰も江戸時代の一企業(近畿鉄道株式会社)下の城下町のようになってしまっている。

向島二ュ−タウンを京都方面へ出るには、交通手段として近鉄電車か又は近鉄バスで

京都市地下鉄の竹田駅行くしかない。

近鉄向島えきより一時間一本でもって近鉄バスが使い古しのバスでもって使用されているようだ。

だから年配者が乗降するに高くて怖いと言われる方もおられる。

毎日の食事の為のスーパ−は団地内に近商が有る。

又少し離れた所にある大型スーパ−の中にあるのも近商で、そこに買い物に行くしかない。

これだけ一民間企業に依存している約人口二万人の二ュ−タウンも全国的に大変に珍しいないのではなかろうか。?

団地開設時よりも、住民が次第に老齢化してきている。

詳しいいきさつは判らないが、駅前の土地を京都市公営住宅が近鉄会社に売って

その近鉄が葬式関連の会社に売却?しようとし、葬式場が近鉄向島駅前にできるとして

大騒動になったことが有る。

現在はコンビニになっているが,これも非常識も甚だしい大きな出来事だ。

どうも向島ニュータウンは京都市の市政からは軽視されているのではないかと思えてくる。

向島市民も他の市民と同様市民税は支払っている。

公的なものとして是非必要な所と,民間に任してよい所が必ず有る筈である。

公が一私企業に任せるだけの話では昔同様で一企業に支配された団地と言われても仕方がないのではなかろうか。

民間企業は少しでも多く儲けようとする営利目的が伴っているのが普通のことである。

京都市から駅前の土地を取得したのも、唯利益を得たいが為だけではなかったかと思える。

公共や福祉のような領域は営
の利だけを特に目的としないのが常識になっている。

現在の向島地域が全て近鉄会社にまかされているように見かける。

京都市として、陸の孤島で 見放されているとしか思えない。
,
向島地域が他地域に比べ、住民に不自由を強いられていることは知られていないようである。

向島地域を宇治市内の一部と誤解されている市民や市職員,もおられるようだ。

民間と重複してもよいから是非とも向島地域に、少なくとも京都市バスを走らせてほしいものです。

京都市交通行政から向島地域は冷遇されている。

新しく出来た一企業の水族館には市バスをピストン運転している。

内陸地に水族館を作る必要があるのだろうか。

隣県の滋賀県 大阪市に立派な水族館があるのにと思うのだが。

京都市は近鉄バスから70歳以上の老人に収入に応じてのパス券を全市的に施行されている。

だが向島地域には市バスが通じていないので近鉄バスでも利用できるように別に

パス券が発行されているが、その為近鉄に京都市長寿福祉課から近鉄にお金が支払われているようである。

その金額は不明であるが。

そのお金が有れば、向島団地に市バスを走らせれば良いのにと考えるものだが、近鉄に京都市は遠慮している。

向島地域だけでなく全ての京都市市民が気楽にバスを使い,外出できれば高齢者にとっても家庭内に閉じこもりにもならず

外出して運動ができれば健康にとって非常に良いことである。

病気になることも少なくなる。それに自然と健康で長寿につながる。

家庭内に閉じこもることも少なくなるし、寝たきりにならず自閉も少なくなる。

定年後の65歳以上になれば一定額支払いの無料パス券を発行すれば良いのではとまで考えている位だ。

人に世話になり,施設に入るよりも,はるかに何時までも、何時までも元気で高齢期

迎えてほしいものです。

それにはできるだけ外出し運動することにある。

まず外出し易い環境作りを京都市行政に考えて欲しい。

少なくとも住居している向島地域にそれが全く欠けている。

団地内をガラガラのバスを走らすならば普通は料金体系を見直し、大勢に利用してもらうよう考えるのが普通だが、

市バス乗り入れを阻止する為ならば、それでも充分に近鉄バスの運行の役目は働いていることになる。

そして京都市からの金銭的な援助があるから、これほどに安全な事業はない。

だから他企業から団地内のスーパーをも買収することが出来る

大変迷惑するのは住居している向島住民だけである。

向島全体として京都市バスの恩恵は受けていないに等しい。



京都市営地下鉄と京都市営バスの路線図を見てスクロールして一番下の所の宇治川を渡った所が向島地域になる。

図を拡大して見ないとよくわからない。如何に京都市バスの過疎地であるかが判る。



京都市は今までに京都市内に「向島ニュ-タウン」と「洛西ニュ-タウン」を大規模団地を開発している。

だが交通の便に於いては


「洛西ニュ-タウンでは

「向島二ユ−タウン」では

   向島ニュウ−タウンは完全に近鉄会社のみが独占しているような状態にある

 それだから是非とも




 京都市営バス 向島駅-竹田駅或いは京都駅迄の往復ピストン運転途中に停留所を作る(広い国道24号線を利用)-

市バスと私鉄とが良質な競い合いをして
ラッシユアワ−時にも運用すれば

市バスが黒字となり,大いに京都市財政改善にも寄与する。是非京都市に希望する


現在の同じ会社の近鉄バスと近鉄電車とでは競い合いにならない。

一方で赤字であろうとも,一方で収益があがればよいことなので,全ての面(運行回数, 運行時間帯,運行行路 料金体系)に努力しようとする姿が見えてこない。

バスの本来の使命である市民の便宜よりも如何に自分達の会社の全体の利益を上げる努力だけが見えてくる。

そのことををば今の京都市が許している。

これでは向島地域の他に桃山地域 丹波橋地域の市バス沿線の住民にとって

市バス行政から見放されているともいえる。

京都市から向島地域市民を置き去りにした交通行政がまかり通っているのではないかと言いたい。


下記の京都市地下鉄及び市営バス路線図を見ると向島は京都市の交通行政からして全くの陸の孤島になっている。

市民税は京都市民として同等に支払っている。だが京都市の交通行政の恩恵は受けていない。



京都市営地下鉄と京都市営バスの路線図
(地図をスクロールして4枚目の一番下に宇治川の下に小さく向島とあるが 京都市の南端に当たり人口2万人余の住民が住んでいるニュウ−タウンで
向島地域全体としては人口は約3万二千人位向島地区内には,近鉄京都線が走っています。鉄道駅として向島駅があり,1日の平均利用者数は
19,700人となっており,1日平均利用者数が5,000人以上の特定旅客施設。 )

向島地区の概況   伏見区の各地区毎の人口老齢化率など4と5が向島地区


向島ニュウ-タウンでは京都市営バスは通じていない。近鉄関係の交通機関でもって向島ニュ-タウンは支配されてしまっている。

最近向島ニュウ-タウンも住人が高齢化して老人パスを使う人たちが増えてきている。

老人パスは京都市営バス並びに京都市地下鉄、京都の美術館 博物館 植物園 動物園などの公共施設が入場無料で

そのパスは収入に応じ一定金額を支払い一年に一回の手続きして老人パスを受け取ることが出来る。

京都市関係の交通機関(京都市営バス.京都市地下鉄)は何回乗ろうとも何処へ行っても無料になっている。

京都市内の老人達は大変便利に利用されている。所によっては不自由されている所も有ると思うが。

この老人パスによる無料制度は京都市としては大変善政を行われていると思う。

現在の70歳での年齢を定年退職する65歳にまで引き下げもっと素晴らしい制度となる。

一般の人たち特に高齢者の人は健康の為には,運動することが一番に大切なことである。

昼間の地下鉄 バス利用者たちは少ない。その少ない間を利用されることとなる。

パス利用者達も増えれば一定の収入の増加が認められ,市の収入として入るはずだ。

市にとって良くて,高齢者の為にも毎日を楽しんで健康者が増え治療が必要とする人たちも少なくなり一石三鳥の制度である。

しかしながら向島ニュウ-タウンは京都市民でありながら市営の交通機関が通じていない。

近鉄竹田駅迄行ってそこで京都市地下鉄に乗り換えなければならない。ホームは同じ所にある。

向島の高齢者は老人パスでもっても市営バスの交通機関を利用することができない。

するためには200円の近鉄乗車券を買わなければならないことになる。

ちなみに終着駅の京都駅までは250円である。距離としては向島駅から竹田駅迄は京都駅までの三分の一ぐらいしかない。

向島駅で老人パスを利用する人 竹田駅からの乗り越す人数を聞いてみたが本社からの指示が無ければ教えられないとのことでした。

1日の平均利用者数が19,700人の内の百人単位或いは何十人の人数と想像する。

それでも向島からは竹田駅までの200円を支払わないといけない。帰りも同様に200円支払うこととなる。

向島ニュウ-タウンは市営の交通機関からは全く孤立した孤島のような状態に置かれてしまっている。

一方では京都市と近鉄との協議にによるものか,京都市地下鉄車両が遙か南のの新田辺駅まで走っている。

だから向島駅前までまでも走っているが其れに乗るには改札口で200円の乗車券を買って入らねばならない。

近鉄バス 向島ニュータウン内を循環にガラガラ空いたバスが団地内を循環し空車で廻っているのを見かける。

この路線だけ見るならば全くの赤字であることは明白である。

だがバスが巡回しているのはただ京都市営バスを通さないためのものしか思えてこない。

悪質な商売をしているのかと思うことがある。

もしこの近鉄バスがなければ京都市営バスは向島に来ているはずである。

向島地域には京都文教大学 種智院大学 スバル高校と近鉄をば利用されている

乗降者が多くなってきて朝夕のラッシュ時には大勢の人たち混雑しての光景を見かける。

でも向島から出ようとするならば必ず近鉄向島駅を利用する以外に仕方がない。

向島は近鉄一社が独占状態で支配されている。

近鉄グル−プは不動産 レジ゜ゃ−施設 交通などなどの事業をている大きいグループ会社のようである。

上層部には多分末端の細部のことは伝わっていないことと思う。

だが洛西ニュ-タウンでは

四社が競っている状態であり 老人パスが利用できる京都市営バスも通っている。

ガラガラの巡回バスを近鉄が団地内を走っているのは市営バスを入れないために走っているのではないかと憶測する。

そのことの矛盾をば近畿鉄道近鉄本社に電話した所 運輪課の方が応対し 名前をネットに書いても良いかとの許可を得ているので書きますが,

事情を話してパスをもった高齢者が市営近鉄までの料金200円をなんとか無料にして欲しいと,

近鉄循環バスの無料パスはもらっているのでこの区間(]向島-竹田)をば無料になるように話したところ

会社としては慈善事業はしていないと一蹴された。

だが交通機関は公益事業ではないかと話しても,近鉄会社を代表し応答していると言う。


近鉄会社内で充分な討議して善処をお願いたいものです。


京都市と近鉄会社とは京都市地下鉄を乗り入れ交渉されているので,京都市からも強く近鉄会社に申し入れてほしいものです。

無料化で容易に京都に出られるようになれば老人の運動の為に美術館 植物園 動物園 百貨店などにも

気楽に外出が出来て家に閉じこもることもなく,健康に非常に良いことである。


出来るだけ外出するように話しているが年金生活者では回数が増えれば大変な金額に相当してくる。

市内の市営交通機関を利用し易い人たちに比べて向島ニュウ−タウン市民は同じ京都市民ながらハンディがある。

京都市にも事情を話すために電話した。

秘書課につないてもらい話したが,くやしくて涙か出て来て充分に話せなかった。

向島は交通行政からは全くに無視された状態を訴えた。

近鉄と京都市が話し合えば解決できることだと思うのだが。

近畿鉄道が駄目と言うならば京都市営バスを向島と竹田の間さらには京都駅迄ピストン運転していただければ良いだけのことです。

道幅の広い国道24号線を使い途中に停留所を作れば,桃山地区丹波橋地区など途中の住民達などの利用者も大勢に利用が出てくると思う。

竹田からは近鉄京都駅まで 京都市地下鉄が利用できることになる。

京都市制協力委員をしている方に話したが10年以上前より訴え続けているが回答としては

京都市の財政困難だからできないとのことである。

京都市営地下鉄と京都市営バスの路線図

を見れば全く向島は無視されている。ほぼ全域に市バスは通っているように見かける。

京都市の財政悪化を何故に向島ニュ−タウン市民だけが負わねばならないのかと言いたい。




京都市が市バスを住民の意向をくんで市バスを走らせば必ず利用する人達は多いと思う

利用し易い料金体系及び利用し易い時間帯を組めば利用する人たちは必ず多いと思う

竹田東駅から藤森神社行き 並びに横大路車庫行き位のバス運行にすれば必ず利用する人達は多いと思う。

それでも乗る人がないと言えば財政悪化だから止めるといわれても良いのではないか。近鉄会社に自由にされている。

交通行政は公益事業であって営利事業では無いはずだ。 !

金儲けだけの営利事業には絶対させてはならない。




竹田と向島間の近鉄バスが向島地域で利用できるようになったのは1月23日頃である。

多分2月5日の京都市選挙に危機感を感じての応急処置のように思えた。

近鉄バスが一日7本竹田駅の東口まで便を桃山から延長されたが本数が非常に少ない。

乗客が利用し難いような 利用時間と利用料金になっている。

だから利用する人たちは非常に少ない。これだけでは全くの赤字と思える。

ただ近鉄バスに乗らなくとも沿線には近鉄電車しかないので電車を利用せざるを得ない。

近鉄会社はバスの利用を不便にして,利益を得ようとしているだけのことである。

京都市は市民のことを全く考えていない。民間に出来ることは民間にである。

ただ近鉄バス・企業に丸投げしているだけのことである。

市長選挙に勝てば良いだけのため,形だけの竹田駅への近鉄バスの延長のようである。

近鉄バスは桃山,丹波橋地区の老人達が選挙前は市の老人パスだけで乗降していたのを黙認していたのが,

市長選挙後は料金を徴収している。これはひどい悪辣な商売をしている。

でも近鉄電車しかないので必ず近鉄電車を利用しなければならない。タクシーとなるとかなり高額だ。

向島 竹田間の近鉄電車の料金は200円だが,近鉄バスは240円にしている。 バスの停留場は電車に比べ遙かに多くて

利用し易いが一区間でも220円徴収している。これでは利用する人は殆んどいないだろう。

それでも赤字でも,近鉄バスを走らせている。近鉄電車を利用すれば良いからである。近鉄会社全体としては何等変わりがない

そして近鉄バスを走らすだけで゛市バス過疎に対する市民への口封じにもなっている。

京都市地下鉄の近鉄線乗り入れは近鉄路線の便回数を多くして京都市が近鉄会社へ援助しているともとれる

大迷惑するのは向島地域だけで、京都の交通行政の恩恵はうけられず、逆に外部から来る人の為にも不便で

団地内だけでまとまっての行事に参加するのが精一杯である。