散々な日

 今回はヒマネタですみません。散々な眼(水難の相?)にあった1999年10月31日(日)の話です。つまらなければ飛ばして下さい。

 この日は男鹿でボートダイビングが予定されていました。こちらでは、行きたいときにボートが出るというわけではなく、ショップが決めた日に参加者が都合を会わせていく、という形です。そういうわけで、この日を逃せば、しばらくボートダイブはできないので、レセプト開けに当たるにもかかわらず、申し込んでしまいました。
 週間予報では、雨または!!! いくら秋田でも11月前に「雪」とはひどい。ここで「晴男の念力」を使い、当日は秋田のみ、晴時々曇りに変えました。これで、「運」を使い果たしてしっまたのでしょうか?10月31日は「散々な日」になりました。

1)小難
 荷下ろしの最中、車を移動せねばならなくなり、動かしたら水を入れたタンクが落ちて、車内を少しぬらしてしまいました。男鹿ではシャワーの設備がないので、各自、水を用意してダイビング終了後、かぶってから帰るのです。この容器を落としてしまいました。ただ、淡水ですので乾いてしまえば大した問題ではありません。ダイビング後、かぶるくらいの水は充分残っていましたし。

2)大難
 夜はイカ釣り船に変身する、漁船に乗って男鹿の赤島ポイントに到着。潜る準備をしていると、船首から船長さんが指をくわえ、赤い唾を吐きながら走ってきます。
 碇を降ろすとき、「ワイヤーと船体の間に指を挟んでしまった。」という事です。見ると親指の腹の肉が2cmほど、切ったように端で繋がってぶら下がっています。大きな怪我ではありませんが、消毒と2,3針の縫合は必要な怪我です。
 気丈な船長さんは「先ず、せっかく来たのだから、1ダイブはしていきなさい」といいますが、この怪我を放置しておいて潜ることなどできません。すぐ、港に引き返してもらいました。

3)小難
 インストラクターから、「本日のダイブは中止」の旨、宣言がありました。これは当然で、帰り支度をして、まだだいぶ残っていた「かぶり水」を捨てた時です。
 「代わりの船が見つかりました。」「遅くなりましたが、2本ともこれから潜ります。」 気持ちは、もう撤収に傾いており、水もなくなってしまいました。うーん。
 親切な同乗者(加藤さん)が水を分けてくれる、ということで、再び出発。

4)中難
 2時間半遅れで、再び男鹿赤島ポイント。ここで、一本目のダイブを行いました。しかし、透明度は最悪、1,5mもないくらいで、身長分離れれば、黄色いフィンさえ見えません。その上、結構、潮流があります。悪い予感が当たり、潜行してすぐに、バディを見失ってしまいました。
 先ず着底して、バディを捜すことにしましたが、潜行中により離れたのか、見つけられません。教科書通り、1分ほど捜して深度20mから浮上。5mの安全停止の際にも潮流で流されたのでしょう。船からずいぶんと離れた水面に出ました。
 潮流に逆らって、水面移動。なかなか進みません、力一杯泳いで15分以上かかって船にたどり着きました。ウェイトを外して手渡し、ようやく船の上。吐き気がするくらい疲れました。日頃の運動不足がたたります。バディはその後、船の近くに浮上。そのあと、上がってきた人も、潮流で疲れて船上に引っ張り上げられても、しばらく動けない方もいました。

5)締めくくりの大難
 3時過ぎに、だいぶ遅い昼食をみんなで取っていると、いきなり、妻から慌てた声で携帯に電話。
「水槽から、水が漏れていて床が水浸しよ。大変、すぐ来て」
 すぐ来て、といわれても、男鹿から秋田市内までは1時間はかかります。ログ付けもそこそこに、1人秋田に走りました。着いてみると応急修理がされています。妻が修理の部品を見繕って「マリンフィッシュカガヤ」に電話すると、加賀谷さんが「私(信愛)がすぐ帰れない」という状況を聞いて、飛んできて修理してくれたそうです。私が家に帰ったときはもう修理を終えた加賀谷さんが帰った後でした。

「なんとも、ありがとうございます、加賀谷さん」

 水漏れ箇所はK社の紫外線ランプでした。接続部分が本体のねじ込み部で「パッキリと割れ」ていました。この接続部はつなぐホースに合わせてエンビカッターで切れるというプラスチックですが、やや強度に難点があるようです。強いネジリなどの負荷はかかっていないはずですが、ねじ切りの溝から割れていました。この部分でなくとも、この接続プラスチックはよく破損があるそうです。材質も柔らかくかつ割れやすいものにねじ切りをしてあるのは構造的弱点と思われました。
 
 漏れた水槽は先週31℃でミドリイシを殺してしまった、B水槽です。全量換水後、ようやく立ち直った矢先のアクシデントです。この水槽は最近、今日の私の如く不運に見舞われています。(その責任は当然、私ですが)

(漏れた海水の始末、掃除は妻がしてくれていました。・・・「なんかおごるからね」)

 色々散々な眼にあった1日でしたが、逆に考えれば、加賀谷さんを初め、いろんな人に助けらた日でもありました。「いろんな人のサポートで暮らしているのだ」としみじみ実感した日でもあります。

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