パンドラの匣を抱えてルビコン川を渡る

 (水槽とはあまり関係ない話です、ごめんなさい)

 核兵器の驚異はまだ去っていませんし、人口爆発・環境問題はこれからが本番ですが、人知を振り絞り、この二つを乗り切れば、人という種の未来はしばらくは平安かな、などと思っていました。

 ところがこの地球に安穏としていられる生き物はいないようです。事の始まりは500万年前にさかのぼります。チンパンジーに比べて、ヒトはその遺伝子において、中立的変異は3分の1なのに、有害な変異は3倍もあるということです。これは人類がチンパンジーと別れた後、洞察力というルビコン川を渡り、その技術力と相互扶助によって、人類にかかる自然選択圧を9分の1にしてしまった、という意味になるそうです。

 DNAがそのコピーをより多く伝えようと産み出した知性が、そのDNA自体を随分と昔から劣化させ続けていたということになります。社会生物主義者はここで人為淘汰などと騒ぎ出すかも知れませんが、苦しむ人へ手をさしのべる事を忘れてしまう事は人類の知性そのものを損なってしまう恐れがあると思います。

 今年(1999年)、重度の障害をもたらすもの、致死的遺伝子に関し、受精卵診断が始まりました。これはそう遠くない将来、問題の部分のDNA書き換えという遺伝子治療になるでしょう。次には、ヒトは誰でも4、5個の有害遺伝子を抱えているといわれていますから、すべての遺伝子をチェックし、遺伝性疾患の恐れなく子孫を生みたいというひとも出てくるかも知れません。当然これは分子生物学と発生学の発達が条件ですが、ヒトの全ゲノムの解析もここ10年以内となり、動物実験では臓器を人為的に作り出せるほど発生遺伝学も進歩してきた今、あと数十年で、ヒト一個体の遺伝子の設計まで可能となるかもしれません。問題はこの後です。

 生命誕生以来35億年、盲目的な突然変異と自然選択によってゆっくりと進化し、ついにDNAはその増殖手段に知性という形質まで手に入れました。ここで主客逆転がおきました。手段に過ぎない知性がその本態のDNAをいじり始めたのです。「もっと優れた知性を産み出すためにDNAを人知で設計したい。」将来そう考える人々は必ず出て来るでしょう。倫理はそれを禁ずるでしょうが、誰か、どこの国かは必ず実行するでしょう。なぜなら、遺伝子工学を人類の「改良」に使い、その「改良人類」がより優れた「改良」をおこなうという事を数回繰り返せば、現在の人類がチンパンジーにみえるほどの存在と成れるからです。(人とチンパンジーの遺伝的差は1パーセントもありません) 核の恐怖による核開発と同じ事が繰り返されるでしょう。自分の子孫が地球上最高の知性の坐から滑り落ちて、先に行った者達によって保護区や、動物園に入れられる事を想像した時、ヒトは人類改良というパンドラの匣を開けずにいられるでしょうか。

 改良人間による人間改良を10代も繰り返したなら、そこにはどんなものが存在しているのでしょうか? 想像する事さえ今の私にはできませんが、そこまで行っても改良競争はより激しく繰り広げられている事は予想できます。これには人工知能も絡んでくるでしょう。
 遠い昔にルビコン川を渡った人類は、今、脇に抱えていたパンドラの匣を開けようとしています。棺桶を抱えて三途の川を渡ったのが人類の運命でなければよいのですが。

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