虐殺と帰属意識
(今回もあまり水槽とは関係ない話です、すみません)
冷戦終了後、「人類から大規模な組織的暴力が無くなってくれるのではないか」という期待を裏切り、各地で「民族浄化」などという物騒な言葉で、人類の虐殺行為が続いています。同種殺しはどうして無くならないのでしょうか?民族対立の原因は各報道機関の解説に載ることはありますが、この行為自体の存在理由についてはあまり語られないようです。そこで僭越ですが、知り得た知識に私なりの考察を加えてみたいと思います。
「ヒト以外には同種殺しを日常的に行っている動物はいない」というのが少し前の動物行動を考えるときに前提とされていました。なぜなら、種にとって同種殺しは種の適応度を下げてしまう、できるだけ避けるべき行動と考えられていたからです。ローレンツなども、「腹を見せたオオカミはもう攻撃されない」などたくさんの例を挙げて、「どの動物も、とりわけ攻撃力が強い肉食動物ほど、“降参” のサインが種として決められており、それが発せられると攻撃行動は抑制される」と述べています。しかし、ヒト以外は同種殺しはしないという神話は崩れてきているようです。特に生態的地位(Niche)で最上位の動物では、普遍的とさえ見えるほど同種殺しの報告が増えてきました。
ライオンでは群の雄交代が起こる度に、未成年個体は全て追放されるか、新しい雄に殺されてしまいます。雄が他の雄から群を守れるのは体力の絶頂であるその数年だけで、この間に自分の子孫を残さねばならず、前の雄の子孫を育てている時間はないという理由で殺さざるを得ないのです。
この雄交代に伴う子殺しはハヌマンラングールなどの霊長類にも見られますし、白熊などの北方系の熊も頻々に小熊が殺されるようです。平和のシンボルとされるイルカの仲間でも、その行動がよく観察された大西洋マダライルカなどは子供を殺す事があるようです。
最もヒトに近いチンパンジーでも、同種殺しは行われます。チンパンジーは子殺し以外にも集団で他集団の構成メンバーを組織的に襲い、一つの群を壊滅させてしまう事もあるようです。チンパンジーの雄での死亡原因は病気や不慮の事故より、同種殺しやその時の負傷が多いとさえ考えられます。こうなると人類の民族大虐殺と変わりありません。
以前の種の適応力を前提とした進化論に変わり、個々のDNAが自然選択の基本単位と考え、DNAはそのコピーを最大にするように働き、個体はただDNAを運ぶ船、DNAの増幅達成手段に過ぎない物として説明した方が、動物の行動を矛盾無く説明できると考えられるようになってきました。
DNAの増幅至上命題は同種殺しばかりでなく、自己犠牲による助け合いも説明できます。
ハミルトンによれば膜翅目(ハチ、アリの仲間)は独立に少なくとも八回、社会性を獲得したそうです。自分の繁殖機会を放棄してまで巣の発展に尽くすことで成し遂げられる社会性は、膜翅目の性決定機構にその秘密があります。
一般に多細胞動物、とりわけ脊椎動物や節足動物などの高等な生物はDNAが二組:2倍体であることは広く知られていますが、膜翅目では例外的に雄のみが1倍体(一組のDNA)しか持っていないのです。雌は他の生物と同じく2倍体です。そうすると同じ親から生まれた場合、父親のDNAは全ての雌に受け継がれ、母親のDNAは他の生物と同じく減数分裂のあと半分だけが伝わります。そうすると、母-娘間は50パーセントの遺伝子を共有するに過ぎないのに対し、姉-妹の姉妹間は75パーセントもの遺伝子を共有することになります。雌に於いては親子間より姉妹間がより血縁が濃くなるわけです。そうであれば、自分が子供を産み育てるより、妹を沢山育ててた方が、より多く自己のDNAのコピーを増やせるという事になります。これが膜翅目昆虫で社会性昆虫が何度も誕生した理由です。
遺伝的に近いものに対しては(DNA増幅でペイするならば)自己犠牲を持ってしても助け、その邪魔なら同種でも殺すというのがDNAの論理なのです。
ハチやアリなどではその行動決定のほとんどが遺伝的にプログラミングされ、それに従うわけですが、大脳の発達した霊長類ではどうでしょう?その行動は「動機」という心の問題になります。だれを助け、だれを殺すか、その基盤はDNA共有度ですが、「動機」が行動を支配する動物では「好きなものを助け」「気に入らないやつを殺す」という「心」問題になります。これは帰属意識がある集団の構成メンバー同士は助け合い、他の集団とは敵対、時には殺し合いをするという形で現れます。
ルソーの「原始時代:ユートピア」幻想が支配的だった20世紀中葉までは、人類学者が調べる現代に残る未開の人々は「文明人のような無駄な殺し合いはしない」というのが定説でした。しかし、最近調査されたところでは、極地など非常に人口密度が少ないところは別として、現代文明とコンタクトが今まで無かった「未開社会」でも部族間抗争は時々発生して死亡者が出、成人男性の死因では人から受けた外傷が第1位の場合が多くありました。また、集団間に圧倒的な力の差ができたときには、相手集団の男性・子供の皆殺し、女性の略奪というすざまじい暴力も長い時間の中では起こりうる事態と考えられるようになりました。
近年、考古学的発掘でもヒトによるヒトへの暴力で殺されたと考えられる人骨が数多く発掘されてきました。ヒトは人殺しをする動物で、他集団から自らとその帰属集団を守るために団結し助け合うという動物だったのです。この性質はチンパンジーと分かれる前から備わっており、今も時々顔を出します。
「心」を持った動物の帰属意識、連帯意識はどうやって醸し出されるのでしょうか?霊長類では俗に「猿のシラミ取り」などと呼ばれたりするグルーミングがその重要な手段です。特に衛生的必要が無くても毛繕いは行われます。というより、緊張を解きほぐす必要が起きたときにグルーミングは頻回に行われ、返杯ならぬグルーミングの「お返し」も当然あります。高等霊長類になるほどこの種の挨拶行動は種類も頻度も増えていきます。身体が大型化し、知能が発達すればするほど一番怖いのは「同種の敵意を持つもの」になるからです。ただ、互いに和やかな気分になるまで行うグルーミングは時間を必要とします。同盟者が多い方が「安全」が確保されますが、グループの個体数が増えると1対1で行うグルーミングは指数関数的に必要時間が増大し、摂食、睡眠、移動など生きていくために必要な時間資源を圧迫するまでになります。このため、チンパンジーなどでは50頭が連帯する個体数としての上限となります。
グルーミングの重要性と同盟者数による安全保障については、京大霊長類研究所のチンパンジーの大人個体に於ける同種殺しの報告が戦慄をもって教えてくれます。
もとは一つのグループだった個体群が個体数の増加と行動域の広がりにつれ、2群に分かれました。分かれた当初は二つのグループの構成メンバー間でも多少の挨拶行動が見られましたが、年月が経つうちに、ほとんど見られなくなってしまいました。そのうちに、二つのグループが出会ったときに威嚇行動が取られるようになってしまいました。
ある日、二つのグループのうち大人雄が多い方の群から、主だった雄が連れ立って移動を始めました。通常の狩りで雄が一緒に行動する時は騒がしく鳴き喚いて、気分を高揚させるのですが、その日はどの個体も黙って同じ方向、少数派のグループの方に向かいました。群の境界を過ぎるとよりいっそう静かに行動し、まるで足音も忍ばせるほどだったといいます。
少数派グループの行動圏で一頭でいる大人雄を見つけると侵入者達は一斉に飛びかかり、手足、頭部、胴体を押さえつけ全く抵抗できなくしてから、全員で噛みつきまくり重傷を負わせました。この襲われた個体はそのまま何することもできず絶命しました。
観察されたのはこの1例だけですが、それからしばらくの間に少数派のグループの雄は1頭も見られなくなってしまいました。チンパンジーは雌が生まれた群から移籍する動物で、雄は生まれた群を一生出ませんので、全て死んだ、あるいは殺されたと推察されました。その後、少数派の行動域は多数派に吸収され、少数派にいた雌の一部は多数派に移籍し、残りは遠くの群に移って少数派の群全体が消滅しました。
人類の祖先が進化を続け道具まで扱うようになり、それと共に攻撃力が増大してくると、より多く同盟者:「群のメンバー数の増大」が必要になってきたでしょう。
人類の「言葉」はグルーミングに於ける偉大な「発明」だったようです。ほぼ1対1に限られる接触的グルーミングに対し、何人かが集まってがやがやとおしゃべりするのは、多人数が同じ気分を共有できるため、同盟関係を結ぶにより効率的です。チンパンジーでは50頭が限界だった構成数が「おしゃべり」の発明により、150個体まで増加させることが可能になったと推察されます。150を越えるとグループの分裂が見られるの狩猟採集社会では普遍的のようです。50対150、言葉でおしゃべりをする集団の方が圧倒的に優位です。言葉は、同種殺しをする「心」を持った動物の最も優れた発明だったのです。
なお、この気分共有言語「おしゃべり」はそれほど厳格な情報伝達手段ではありません。「仲間気分」に浸れればよいのですから、相手の言っていることを厳密に理解したり、自分も矛盾無く論理的に話すという必要性はそれほど高くありません。現代でも、井戸端会議とかふだんのおしゃべりとかではよく相づちを打つものの話者の内容を厳密に理解しているわけでは無いようです。要は仲間意識が醸成されればよいのです。
このような「井戸端・おしゃべり言語」から内容を相手に正確に伝えることを目的とした言語が後に生まれてきたようです。おそらく、狩りや時には同種殺しの綿密な計画立案などに必要なったり、複雑化する個体間、グループ内の調整手段としてこの「狩猟・討論言語」が生まれたと考えられます。今でも、私達はこの「井戸端言語」と「狩猟言語」の2本立ての言語使用の中に生きています。
話は横道にそれますが、ふだん井戸端言語しか使っていない人から厳密な内容を聞き取るのは結構大変です。
日常診療の問診で、
(私)「どうしましたか?」
(患)「なんもかんも具合悪い。」
(私)「具合悪いのはどこですか?」
(患)「何ともひで(ひどい)」
(私)「具合悪い場所はどこですか、具合悪いとはとは痛みですか?」
(患)「どしたも、こしたもない、具合悪いんだ」
仕方なく、後で症状を聞くことにして
(私)「いつからですか?」
(患)「しばらく前」
(私)「しばらく前とはいつからですか?何日前からですか?」
(患)「だいぶ前から」
・・・・・
これは珍しい光景ではありません。私は具体的な症状を聞き出そうとする「狩猟言語」なのに対して、相手は自分のつらさを分かって欲しい「井戸端言語」なのです。あくまで「狩猟言語」でなければ話が進まない私は「患者を分かってくれない医者」と思われることも多いと思います。
互いの心が通いあった「井戸端言語」がスムーズに行かないと非常に気まずい思いをするのは、人間の本性に関わりますし、時には命の問題になることもあるでしょう。人は言葉でグルーミングし、気持ちの通じ合わせがなければ、いてもたってもいられない気分になってしまう存在です。「井戸端言語」がうまく機能しないと、相手は攻撃者となるかも知れないと無意識に感じてしまうのは本能とまで言えるでしょう。仲間外れを苦痛にするのもこの現れと思います。
また、子供が夜を怖がったり、大人でも暗闇に何か潜んでいる気がするときがあります。これは「部族の模様を戦闘様式に則りボデイペィンテイングした他部族が夜陰に乗じて襲ってきた」というような、それほど遠くない記憶がよみがえるためかも知れません。
(この襲撃法は狩猟採集社会ではよく見られます。歴史時代になっても「朝駆け、夜討ちは武士のならい」といったのは着飾った鎧の鎌倉武士ですし、不意打ちは近代に於いてもよく採用される戦闘方法です。)
ところで、地球上に今、言語は約8000種ほどあるようです。もちろん、これが全て同人数の「話者」を抱えているわけではなく、話者数の多い20言語が世界人口の80パーセントで使われており、他の言語のほとんどは部族単位のごく少数の話者しか持っていません。ちなみに日本語は話者数で9位です。
しかし、昔からこうだったわけではありません。約10000年前までは、全ての人類はごく少数の話者を抱えた、今より多くの言語集団に分かれていて、有力な言語集団というものは存在しなかったと考えられます。
この状況を変えたのは農耕・牧畜の誕生と馬・鉄の組み合わせです。氷河期が終わり、温帯域の乾燥化が始まると小集団に分かれていた人類集団は大河の周辺に集まり、農業を始めることで、人口密度を高めて行きました。150人というグループ適数人数はすぐ突破されました。ここに於いて、人類は初めて直接親しく口を利く人以外とも社会集団を構成しなければならないという命題に直面しましました。また、グループ人口が増えると戦士階級も登場し、武力も増大してきました。ここで、人類は「井戸端言語」以外にグループ内の紐絆を強める方法をいくつか発明しました。
これが「集団シンボル」の発明だと思います。模様(後には旗)、衣服、神殿、偶像、象徴とされる人間、宗教、など、これらを共通に抱くことによって、直接知らない人間とも同じグループに属するという「帰属意識」が形作られるようになっていきました。そして、他のシンボルを頂くものは「敵」です。
この帰属意識を持った集団は戦闘行為を繰り返しながら、巨大化していき、ついには国家、民族形成まで至りました。この帰属意識のキーポイントは「殺す」「殺される」という敵があるから存在するという点にあり、小集団の頃から強くあった「復讐」行為も伴っているということで、これは現代紛争にまで繋がります。
大言語族にインドヨーロッパ語族と以前言われていた言語集団があります。小地方の特殊な言語を別にして、インドから中近東、ヨーロッパで話されるこの言語群は5000年ほど前に共通の言語から分かれた姉妹言語です。5000年前、これらの祖語はウラル山脈の西側の極狭い範囲で話されていたと考えられています。この時期、この周辺では、独立に何回か馬の飼育と鉄器製造技術が発明されたようです。その二つの技術が、たまたま、この祖語を話す部族で出会ったのです。鉄の武力と馬の移動力を併せ持った途端、この部族は後のチンギスハーン以上の征服者となりました。チンギスハーンの時代は被征服者側も馬と鉄の武器を持っていたのですが、最初の征服者にとっては相手はせいぜいその片方しか持ていないのですから、圧倒的な強さで征服できたと思われます。ヨーロッパ、中近東、インドまで支配者として広がるのに推定、数十年しかかからなかったと考えられています。ここに於いて、一地方言語だったインドヨーロッパ言語の祖語は、人類の多くが話す言語となったのです。この未曾有の大集団は有効な統一的統治システムが無く、すぐ瓦解して、征服者言語のみを残して小部族に再分裂し
てしまったようです。制服過程でも、小部族分裂に於いても多くの虐殺があったことは容易に想像されます。
これ以後、大帝国を築いた集団はその帝国の維持期間におおよそ比例して、文字文化による統治システムを作り上げました。絶対君主制、祭政一致なども統治テクニックの一つでしょう。
また「法治主義」「代議員制」はこれらの帝国の優れたものの一つ「ローマ帝国」にて一応の完成を見た制度です。「市民権を持つ人間に刑罰を科すときには、必ず弁明の機会を与えられた裁判によらなければならない」とした裁判、人権の考え方は帝国内に復讐による動乱をもたらさないための優れた知恵だったと思います。この「市民」という理念も部族を超越した人間のあり方を求め、生まれた考え方でしょう。
集団間も常に戦争しているわけではありません。外交による解決や同盟などによって平和を維持する努力も多くなされてきたのは歴史時代以前からあったことでしょう。しかし、「ヒト」は「ヒト」が最も怖い存在であり、仲間には強い愛情を感じるゆえに仲間が傷つけられると復讐しないいではいられないという感情も人類の不可分の心です。
ところが、人が人類ばかりでなく地球を破壊できるほどに強力なった今、この本能と言うべき「心」もどうしてもコントロールしなければなりません。コントロールできなければ、いつまでも続く虐殺を伴った紛争の繰り返しと、そのアクシデントとして起こるかも知れない人類、地球破滅が将来に待っています。
敵を作り集団の帰属意識を強化することは、民主主義を標榜する国家でさえ、時に行ってしまいます。人はシンボル操作で敵を憎む存在であることを先ず自覚し、そこから、人類全体を市民と考える方向にいかなければなりません。虐殺する猿、愛情を感じる猿の一種である人間は自らの本能も制御しなければならない存在になってしまったのです。