細胞外液と海の進化

環境制御

 脊椎動物において、細胞の浮かんでる体内の海、細胞外液の浸透圧が本当の海の3分の1しかないことは以前から不思議には思っていましたが、塩っ気の少ない陸に上がるとき、妥協したのかと、漠然と思っていました。(海水魚の細胞外液の浸透圧が、海のそれではなく、淡水魚に近いのはどういうことだろうと思っていましたが)しかし本当はそんなに安易に浸透圧が決まったわけではなく、そこには地球と生命の歴史が、刻まれていることを知りました。(昔、海は炭酸の入った淡水だったそうです)

 ところで、生物誕生から、今の人類に至るまで、一貫して見られる傾向は、エネルギーを消費しても、周りの環境を一定に保とうという性向です。

1)生物の誕生は、細胞膜を作り、生化学代謝の環境を整えることによってはじまりました。
2)その後、脊椎動物が細胞外液を制御し、周りの環境から独立させました。
3)哺乳類、鳥類が、恒温性という体内温度環境を一定にする仕組みを発達させました。
4)人類は着衣、最近はエアーコンディショニングによって、個体の周りの環境を、定温、定湿にすることさえ始めました。

 上記全て、それ以前より大量のエネルギーを消費して獲得できる制御技術で、このコーナーのテーマは2)の細胞外液の定常化です。

原始海洋

 45億年前の原始大気は、水蒸気、二酸化炭素、窒素ガスがその主なものでしたから、40億年前には形成された原始海洋は、炭酸が溶け込んだ淡水で、今のような高濃度のナトリウム、カルシウムはありませんでした。ナトリウム、カルシウムは、水面に陸地が顔を出し、風化を受けることによって供給されるものです。

大陸露出

 27億年前、先カンブリア紀の原生代のはじめに、それまで2層に分かれ別々に対流していたマントルが、地球の冷却に伴い全相対流を開始しました。この年代に今の北アメリカ大陸に相当する大陸が出現したことが、大陸からの物質でできた堆積岩より知られます。これによって、浅い大陸棚と、少量の塩類が海にもたされました。この時期に、それまで深海で化学エネルギーの利用で生きていた細菌から、光をエネルギー源とするシアノバクテリアが生まれたのは、この大陸形成がきっかけでしょう。しかし、この大陸も18億年前には沈み、しばらくは水没大陸の時代が続きます。

カンブリア紀の生命大爆発

 5.5億年前のカンブリア紀に先立って、9億年前から大陸の形成、陸化があり塩類の大量供給が始まりました。5.5億年前には、大規模なリン鉱床が形成されています。栄養塩類供給によって活発化した光合成が高濃度の酸素をもたらしました。カンブリア紀に先行する最古の多細胞生物群であるエディカラ動物群はこの酸素濃度上昇によって誕生したのでしょう。しかし、エディカラ動物群の生物は循環系を持たず、個々の細胞は直接外界から酸素を取り入れなければならないので、初めての大型動物といっても厚さは1mmまでの平べったい動物であったようです。又補食行動もなかったようです。

 次に海水を体内に循環させる仕組みと、他のものを食らって大量のエネルギーを得るという生命維持法が、カンブリア紀の生命大爆発を生みました。この時、脊椎動物以外のほとんどの門が、一気に形成されています。

細胞外液の環境からの独立

 カンブリア紀の動物より、一歩遅れて、原索動物の幼生から、脊椎動物が誕生しました。この時代の海水濃度は、今の3分の1であり、脊椎動物はこの時の海水濃度を以後、細胞外液の濃度とするのです。他の生物は、その時代ごとの海水濃度に従います。(ただ、脊椎動物に次いで運動運動能力が高い軟体動物、節足動物は、周りの海水より細胞外液は独立傾向を示します。)

 誕生したばかりの脊椎動物はまだ、顎が無くて補食力が低くく、運動能力も見劣りする存在だったようで、軟体動物などに食べられる立場だったようです。だんだん濃くなる海水から逃れるためか、頭足類の補食から逃げるためか、脊椎動物は淡水の混じる河口に集まりました。ここの変動しやすい浸透圧濃度に対して、脊椎動物は鰓と、腎による浸透圧調節能力を身につけ、以後淡水環境でも、後の時代の高浸透圧の海水に対しても、体内の海、細胞外液の浸透圧を一定に保つようになりました。(全ての新骨魚類は、海産の種でも過去には淡水魚だったのです。)

 細胞外液の浸透圧を周囲の水環境に逆らって一定に保つということは、大変大きなエネルギーを消費してしまいます。エネルギー消費に見合うメリットは、効率的な神経系と筋運動です。脊椎動物はそれ以前の無随神経に変わり、被覆された有随神経によって、はるかに高度で迅速な情報処理を行えるようになり、脊椎を支えとした強力な出力ができる筋肉は、高度の運動性能を持った存在に脊椎動物を変えてゆきました。この2つの仕組みは、細胞内外のイオン勾配が一定であって初めて力を発揮できるものです。

 それを維持するエネルギーはどうやって手に入れるのでしょう。それまで鰓を支えていた骨を、顎として使用するようになったのです。そこに生えていた鱗は歯となりました。これで捕らえた他の生き物を餌としてエネルギーに変え、又次の獲物を探す生き方を採用したのです。他の生物は硬質に炭酸カルシウムを使いますが、餌として多量に手に入るリン酸を利用して、脊椎動物の骨、歯はリン酸カルシウムというより強い構造を持つことができました。また、一部の鱗は頭部に潜り発達して、大事なものとなった「脳」を保護する頭骨に変わってていきました。現世の新骨魚類、脊椎動物の完成です。

 真骨魚類とは少々異なった進化をたどったもう一つの脊椎動物、サメなどの軟骨魚類は、餌のタンパク質から生産される尿素を捨てずに体内に蓄え、その浸透圧で海水の濃くなった浸透圧に対処しています。

 現代の海では、やや酸素濃度の低くなった深海に、イカが莫大な生物量で存在しているようです。これは高い運動能力の魚類から逃れるためだといわれています。古生代の海とは立場が逆転してしまったのです。しかし、この深海にも、水中の酸素に依存しないマッコウクジラなどの海棲哺乳類(脊椎動物の末裔)が進出しイカを喰いあさっているようです。

参考文献、図書

1)生命と地球の歴史 丸山茂徳、磯崎行雄著 岩波新書
2)科学 VOL.68 NO.10 OCT.1998 岩波書店