ひとりっこはトロい
非難しているわけではありません。私がそうでした(苦笑)。
大人の中で育ってしまうと、大人より子供の方がトロいのは当然なので、気が付くと全部大人がやってくれる。
・・・いや、子供はやってもらってることに気づきやしないんだな。
ついでに他人にやってもらうのが当然だから、「ありがとう」も出てこない。
最初の頃の千尋は、なんだか子供の頃の自分を見てるみたいで笑っちゃいましたねー。
路地裏の冒険
私の住んでいたところというのが、坂だらけの上にこれまた細い路地の多いところで・・・。
この道を行ったら、いったいどこに出るんだろう?という謎な道の多い町でした。
子供にとっては遊園地以上にドキドキワクワクな冒険。
もしかしたら、本当に違う世界に行ける道があったのかも。
名前を奪われるということ
千尋は名前を「千」に変えられてしまいます。
千は数字。記号で呼ばれることになる。
北欧の民話では名前には名付け親と本人以外は知らない「本当の名前」と「普段呼ばれる名前」があり、「本当の名前」を知られて呼ばれるとその人に支配されるとか。
名前ってその人を表すものと思うんですよね。名は体をって。
ほら、会社で役職で呼ばれるとえらそうになるけど、会社を離れたらタダのお父さんだったりするじゃない。
突然親と引き離されること・働くこと
みごとに私の体験とシンクロしているので、見ていて痛々しかった・・・。
いや、もちろん私の親は豚になったりしてませんけども。
また別の時ですが、ひとりっこののほほんお嬢がともかく働かなければならないことに。
千尋より若干幼いときに、私に兄弟ができました。
が、身重の母に代わって通学前に毎朝家族の布団を全部干していったり(すっごく重かった!!)、メモを片手に肉屋・魚屋・豆腐屋などを走り回って食事の買い出しをしたりしました。
(昔なのでスーパーがなかったのです)
お店の人に「すみませ〜ん」と声をかけるのがどれだけ恥ずかしかったことか(笑)。
・・・といってそのお手伝いがその後続いたのかというと、続くワケないでしょ!!
元のぐうたらに戻ったわよ、もちろん。
龍は水神様
風水のお店(中華料理店の内装なんかも手がけている)で龍神様の置物を買ったときに、お店の方が言ってました。
水の神様なので毎日お水をあげてます。
ハクが龍の姿も持っているので、あー水の神様なんだーとすぐ気が付いちゃいました。
カオナシを連れていく千と皇兄(虚無)・巨神兵を連れたナウシカ
千が凶暴になってしまったカオナシを静めて一緒に連れていくあたり、宮崎氏は女性を理想化するクセがまだ残ってるんだなと(笑)。
ネガティブな存在を恐がらず、拒絶せず、いるべき場所へ導いていくのはまんまナウシカだー。(原作の方)
千はただの10才の女の子だよね。いくらなんでも彼女にここまで出来るのか疑問・・・。
湯婆婆=銭婆?
この2人仲の悪い双子ということになっていますが、実は同一人物という見方も・・・。
彼女自身も気が付いていないだけで。
湯婆婆も名前を奪われて働かされているのかもしれないってね。
この2人の名前すごいですよ!
銭婆 |
湯婆婆 |
結局千尋は成長したのか
不思議な町にいる間、無意識のうちに「生きる力」を発揮して頑張った千尋。
彼女自身、そのことは自覚してないはず。
元の世界に戻ったら、元の千尋に戻るでしょうが、でも自分には「生きる力」があるんだという自信はココロの何処かに残るでしょうね。
お母さんの「あんまりくっつかないで、千尋。歩きにくいわ」というセリフ、最初と最後で微妙に声の温度が違います。
お父さん・お母さんはきっと豚になってしまったことも、千尋ががんばって助けてくれたことも、表面意識にはないかもしれないけど、きっとわかってるんだなって思いました。
その後・・・
ハクは神様ですから、湯婆婆より強いはず?
きっと契約も解除できたでしょう。
でも戻る川がもう埋め立てられてしまって、無いんですよね・・・。
ただ琥珀川の水神を祀る神社が、残ってるんじゃないかな、例え埋め立てられたとしても。
そこへ戻っていったと私は思いたい。
千尋とハクが別れるとき、画面にハクの手だけが残りますよね。
彼はもう2度と逢えないのを知っていたんでしょうね。
「思い出」は思い出せばそのたびにいつでも逢える・・・ちょっと切ないなぁ。
まとめ
この映画は10才の小さな友達のために作ったと宮崎氏はおっしゃってましたが、実際今10才を生きている子供たちって、もっとませててずるくて悩みなんかもあったりして、もっと大人に近いんじゃないかなぁ?
それよりも浄化された思い出をココロにしまいこんで忘れている大人たちが、懐かしく切なくなれる映画だと思いました。
<追記>
変更執筆中!