A BEACHBOY PARTY 「ア・ビーチボーイ・パーティー」

 デューク・カハナモク・プレゼンツ
 
 Pila Li'ili'i PILA-1001
(原盤)Hana Ola HOCD 3300
Duke Kahanamoku Presents/A BEACHBOY PARTY

ハワイ出身の「アメリカ代表」デューク

ハワイの海岸に「ビーチボーイ」と呼ばれる若者達が集まっている風景を写真などでご覧になったかたもおられると思います。彼らは一日中海岸でサーフィンをしたり泳いだりして過ごし、泳ぎに飽きるとウクレレを弾きながら歌を唄うという生活を繰り返しています。このビーチボーイのなかから生まれた英雄がデューク・カハナモクで、彼は自由形の泳法の中心となっている「クロール泳法」を編み出し、22歳のときにアメリカ代表として出場したオリンピックの100メーター自由形に見事優勝、一躍有名になりました。その後も30歳、38歳と2度のオリンピックでメダルを獲得したのですが、予選落ちをした42歳時の4度目のオリンピックには水球の選手として参加し、またもやメダルを獲得するという快挙を成し遂げた人物です。引退後の彼はハワイの看板役としていろいろな催しに欠くことのできない人物になっていました。

  そのデュークのまわりに集まるビーチボーイ達が、古き良き時代のハワイアン音楽を演奏していたので、これを何とか保存したいと考えたスポーツ用品店の主人ウォルター・クラークが、レコーディングを前提としたパーティーをワイキキのアウトリガー・カヌー・クラブで開催し、出来上がったのがこのアルバムでした。そしてジャケットにも書かれているとおり、1963年にLPとしてリリースされた内容に2曲を追加してできた復刻盤が今回のCDなのです。ジャケットの写 真でお分かりのとおり、とても「ボーイ」とは呼べない年齢の人物が多いのですが、逆に考えると彼らが「ビーチボーイ」としての伝統を伝える最後の集団だったのかも知れません。なにしろデューク自身もこのとき73歳でしたし、キャフェ・ライフ(正式にはワイキキ・イズ・グッド・イナッフ・フォー・ミー)とバイバイ・ブルースを唄ったパナマはこのレコーディングから1ヶ月後に世を去りました。


曲目概説

 ウォルターの司会でオープンしたパーティーは、まず「乾杯しよう!」という意味の「オコレマルナ」を全員で唄い、続いてチック・ダニエルズの「アイヴ・トラヴェルド・アラウンド・ザ・ワールド」、そしてファット・カアラのウクレレ・ソロ「ラヴァー」が登場します。当時のビーチボーイの間ではウクレレ・ソロを弾くことが大変流行していて、あの「ウクレレの神様」ハーブ・オオタも友人のエディー・ブッシュと連れ立って裸足でウクレレを持って浜辺を歩いてはビーチボーイ達からこの種のソロを吸収していたそうです。

 ジミー・ハクオレの「イン・スパイト・オブ・オール」そして上述のパナマの2曲に続いて再度チックが登場し「レイ・アロハ」を唄います。そして「プア・マエオレ」等の作曲家でもあるスキーズ・カマナがウクレレ・ソロで「世界は日の出を待っている」を演奏します。先ほどの「ラヴァー」同様、歯切れの良いソロは大変素晴らしいものです。カラカウア王の像に似ていることからそう呼ばれていたカラカウアの歌で名曲「ワイキキ」とフラソング「アフリリ」、さらにチックが3曲を唄い、続いてこのCDで追加された2曲が唄われ、デュークへのインタービューと全員のコーラスによる「フイ・ナル」で幕となります。

 この出演者達は必ずしも上手な演奏ばかりではありませんが、この時代のビーチボーイの様子を知るには格好のアルバムではないでしょうか。

マット・コバヤシ


Jam Selections