オータサンがオアフ島各地へ出かけ、オープンエアで演奏したDVD
ソロ・ウクレレ・イン・リアル・ハワイ/オータサン
2004年4月24日発売 有限会社ビー・ツー 3,800円+税  (写真提供:Kazue Kurebayashi)

  このDVDは実際にオータサンがオアフ島各地に出かけ、その場所にちなんだ曲を演奏するという企画のアルバムで、演奏される曲はトラディショナル・ソングを中心としたハワイアン音楽とオータサンのオリジナル曲です。それぞれの場所でオータサンが曲のいわれやエピソードを紹介するとともに、普段我々は見ることのできないワシントン・プレイス(リリウオカラニ女王が失権後に生活をしていた場所で現在は州知事公邸)やヘリコプターによる空撮の画像も記録されるという多彩な内容をもっているDVDです。
  さらにこのDVDは主題のラインに加えてオータサンの手元だけをアップした画像によるラインと、オータサンが音だけで登場し、美しいハワイの風景がふんだんに楽しめるBGVラインも自由に選択できるという欲張りなメニューをもっているので、それぞれをお試しください。
  音を聴いていただくとお分かりのように、それぞれの現地における演奏ですが、ウクレレ・マイクから「ライン録り」をしているので、周囲の雑音類には全く邪魔されない演奏になっています。

曲目と収録場所
    オープニング・テーマ: ボディー・サーフィン(ハーブ・オータ) ........サンディー・ビーチ
1. ハワイ(ハーブ・オータ)........マカプウ地区
2. アロハ・タワー/エ・フリ・マーコウ(トラディショナル)........アロハ・タワー
3. カマアーイナ・ケイキ (ハーブ・オータ)........アラ・モアナ・ビーチ
4. マヌエラ・ボーイ (トラディショナル)........アアラ・パーク
5. サイミン (ハーブ・オータ)........カリヒ・ダウンタウン
6. ロイヤル・ハワイアン・ホテル (トラディショナル)
  ........ロイヤル・ハワイアン・ホテル
7. ヘネヘネ・コウ・アカ/ヘ・アロハ・ノー・オ・ホノルル (トラディショナル)
  ........クイーン・カピオラニ・ホテル
8. ハレイヴァ (ハーブ・オータ)........ハレイヴァ・タウン
9. ホレホレ節 (ハリー・ウラタ)........ワイアルア地区
10. パイナップル・スペシャル (ハーブ・オータ)........ワヒアヴァ地区
11. ハワイアン・ターナラウンド (ハーブ・オータ)........マジック・アイランド
12. アロハ・オエ (クイーン・リリウオカラニ)........リリウオカラニ女王銅像前

オープニング・テーマ:ボディー・サーフィン
 1986年にリリースされたオータサンのソロ・アルバム「オータサン」(Roy Sakuma RS-3333)は、1988年のナー・ホークー・ハノハノ・アウォードの「インストゥルメンタル・オブ・ジ・イヤー賞」を獲得しました。そしてそのアルバムのA面第1トラックに収録されたこの「ボディー・サーフィン」は迫力ある演奏で若いウクレレ愛好家たちの心をしっかりとつかんだようで、まだ小学生であったジェイク・シマブクロもオータサンの演奏に魅せられ、先生のタミー・アキヤマが採譜してくれた曲を一生懸命練習したとのこと。いまだにジェイクは「オータサンの演奏によるボディー・サーフィンが最高!」と言っています。
 残念なことにこのアルバムは廃盤になったのですが、2004年5月に「ボディー・サーフィン」(Roy Sakuma RSCD-6417)というアルバム・タイトルでCD化されることが決定したのはウクレレ愛好者にとって大変うれしいニュースです。

  1. ハワイ
    この曲はオータサンの演奏会では「ソング・フォー・アンナ」とともに必ず演奏される曲です。故石原裕次郎もこの曲が大好きで、次の作品の主題歌にしたいと言っていたのですが彼の死により実現しませんでした。
     ハワイのミュージシャンのピータ・ムーン達が作った「ヘ・ハワイ・アウ」という曲はハワイを出て各地をさまよった挙句、故郷のハワイが一番よかったことに気がついた、というハワイ語の歌詞がついていますが、「ハワイ」は同様の主題をさらに劇的に構成したものでオータサンの代表作のひとつと言えます。

  2. アロハ・タワー/エ・フリ・マーコウ
     現在でこそハワイの入り口はホノルル空港ですが、戦前はホノルル港が中心地でした。数多くの豪華客船が発着し、桟橋では歓迎と送別の音楽が流れ、レイを掛けた観光客であふれていました。このホノルル港のシンボルがアロハ・タワーであり、はるか沖合いからでも見ることができるハワイの代表的建造物です。近年この地域が再開発され、大きなショッピング・センターとなったことでアロハ・タワー周辺はふたたびにぎわうようになりました。
     「エ・フリ・マーコウ」はちょっとアブナイ歌詞をもつフラ・ソングで「愛」を表現する動作をいろいろと歌っています。

  3. カマアーイナ・ケイキ
     ハワイの大作曲家ロバート・アレックス・アンダースンがオータサンのために作詞をしてくれた名曲。「カマアーイナ」は「その土地に生まれ育った人」「ケイキ」は「子供」のことで、「あなたが土地の子供でないとハワイ人の私が唄ったり話したり歩いたときの意味が理解できないだろう・・・・」という歌詞がついていますが、ここではインストゥルメンタルでの演奏。

  4. マヌエラ・ボーイ
     この曲に登場する少年マヌエラ(マニュエル)君は複雑な家庭に育ったようで、寝る場所がないためにアアラ・パークという公園で寝泊りしています。実はこの地域で生まれ育ったオータサンも小さい頃この公園で遊んだ思い出があるため、この曲には人一倍思い入れがあり、ハワイ大学での卒業論文のテーマに採り上げたり「マヌエラ・ボーイ」というタイトルのアルバム(M&H Hawaii MHCD-2321)も製作しているほどです。
     アアラ・パークはホノルルのダウンタウンのキング通りとベレタニア通りが分岐する三角地帯にあります。現在はスケート・ボード場や僅かの運動施設があるだけですが、以前はいろいろな建物があり、日本からの相撲興行もここでおこなわれました。

  5. サイミン
     オータサンが1981年にリリースしたアルバム「アイランド・フェイバリッツ」(Poki SP7-9039)に収録されヒットした曲。このアルバムのジャケットにはオータサンがドンブリからサイミンを食べている写真が使われています。サイミンとはハワイ独自の麺の名前で、ハワイへ行ったら賞味されることをお勧めします。もちろんこの撮影がおこなわれた「オールド・サイミン・ハウス」で…。

  6. ロイヤル・ハワイアン・ホテル
     ワイキキに「ピンク・パレス」の愛称を持つホテル「ロイヤル・ハワイアン・ホテル」が1927年に開業しましたが、この曲はこのホテルのコマーシャル・ソング。「この素晴らしいロイヤル・ハワイアン・ホテルはステキな設備と環境であなたを和ませるでしょう」というハワイ語の歌詞がつけられています。

  7. ヘネヘネ・コウ・アカ/ヘ・アロハ・ノー・オ・ホノルル
     マウイ島には今でも「さとうきび列車」が観光客用に運行していますが、19世紀後半にはオアフ島、ハワイ島などマウイ島以外の島でもさとうきびを運搬する鉄道が走っていました。さらにホノルル市内では蒸気機関車だけでなく鉄道馬車による鉄道も運行されていました。これが20世紀にはいると路面電車にとって代わられ、ワイキキを中心に東はダイヤモンド・ヘッドのふもとまで、西はダウンタウンの西端まで、さらにはヌウアヌやマノア等の高地までも運行していました。その後路面電車はトロリー・バスに、さらにバスへと変っていったのですが、「ヘネヘネ・コウ・アカ」はこの路面電車時代の歌で、ガタガタ揺れる電車であちこちへ行く楽しみを歌っています。
     「ヘ・アロハ・ノー・オ・ホノルル」は帆船でホノルルからハワイ島コナへ向かうときの歌です。
     (右の写真は「Streetcar Days in Honolulu」by M. Simpson & J. Brizdle, JLB Press (2000)より転載)

  8. ハレイヴァ
     オアフ島北岸いわゆる「ノース・ショア」は荒い波が押し寄せるのでサーフィンに好適な場所です。そしてハレイヴァはその中心地の名前で、サーファー達がたくさん集まってくる場所でもあります。この曲は米本土からこの地に移住しようとする人の物語。

  9. ホレホレ節
     「ホレホレ」とはハワイ語でさとうきびの皮をはぐことを言い、19世紀のハワイ最大の産業であったさとうきび農場で行われた作業のこと。外国から持ち込まれた疫病によりハワイの人口が激減したことにより、日本をはじめ各国から移民を集めて農作業を行わせたが、大変過酷な労働であったそうです。「ホレホレ節」はこの労働の苦しさと、故郷日本のことを思って歌われていたハワイ語まじりの民謡です。
     各地で歌われているこの曲が歌詞もメロディーもさまざまであることを憂えた日系二世の音楽指導者ハリー・ウラタ氏が、本来の形を後世に残したいと考え、数少なくなった一世の人々を訪ねては歌ってもらった歌を整理分類し、もっともオリジナルに近いと思われる歌詞とメロディーをまとめて正式に登録したもの。この作業にはオータサンも演奏で協力しています。
     オータサンのコメントのバックに流れている歌はハリー・ウラタ氏の資料にもとづいてアリスン・アラカワが歌ったもの、彼女はこの歌でNHKのど自慢のハワイ大会で優勝しました。

  10. パイナップル・スペシャル
     上記5「サイミン」の収録されているアルバム「アイランド・フェイバリッツ」に収録されているオータサンのオリジナル曲。オータサンの話では、本来ハワイを離れた若者が故郷のハワイに残した恋人のことを思って歌ううたのつもりで作ったのですが、なぜか作詞家によって「パイナップル・スペシャル」という内容に変えられてしまったとのこと。

  11. ハワイアン・ターナラウンド
     ハワイアン音楽、特にフラ・ソングでは各バース間のつなぎとしてかならず「ハワイアン・バンプ」という短いフレーズが用いられます。この曲はそのハワイアン・バンプすなわちターナラウンド(繰り返し)を歌ったもの。
     ウクレレ愛好家で、最近は「作曲家」オータサンと組んで作詞活動をしている作詞家でもあるジム・ビロフの歌詞が付いていますが、ここではインストゥルメンタルで演奏されます。

  12. アロハ・オエ
     「別れの歌」として有名な曲でハワイ王朝最後の王(女王)であったリリウオカラニが1878年に作曲した曲。女王の一行が訪問先の農場から戻る際、パリ街道でふと女王が振り返ったところ従者の若者と農場の娘が別れを惜しんでいるのを見たことがきっかけで作曲したと言われています。日本のテレビ番組のいくつかで「ハワイ王朝が崩壊し、女王が幽閉されているときに国民のことを思って書いた」と紹介されていますが、これは史実とは異なっているように思えます。
     専門家によると、この曲の前半は1857年に作られた「海辺の岩」という曲に、後半は1854年に作られた「空に音楽が」という曲に酷似しているとのことですが、今では元の曲を知る人は誰もいないので女王の作品として誰からも認められていると言えましょう。

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