PCM衛星放送局ミュージック・バード
土曜特集「ハワイアン音楽」第9回
今日の「土曜特集」は「ナー・ホークー・ハノハノ・アウォード」というハワイのレコード大賞で1999年度の「新人賞」をはじめ、最高の賞である「ベスト・アルバム賞」や一般
からの投票による「最もお気に入りのミュージシャン賞」など5つの大賞を獲得したグループ「ピュア・ハート」の特集をお送りいたします。ピュア・ハートはウクレレのジェイク・シマブクロ、ギターとボーカルのジョン・ヤマサトそしてパーカッションとバード・コールのロパカ・コロンという3人によって1998年にCDデビューをしたグループで、デビュー当時の年齢はそれぞれ22歳、21歳、25歳という大変若い3人組です。
このなかのジェイク・シマブクロが、たまたま別の用事で来日いたしましたので、「土曜特集」の番組では彼が遊びにきた日本ウクレレ協会の集まりを利用して「公開インタビュー」を実施しました。本日のプログラムはそのインタビューの録音も交えて2時間たっぷりピュア・ハートの音楽を楽しんで頂きたいと思います。
それではピュア・ハートのナーホークー賞受賞アルバムから「ブリング・ミー・ユア・カップ」と「グリーン・ローズ・フラ」の2曲をお聴きください。
2曲目の「グリーン・ローズ・フラ」でピタピタという音が聞こえていましたが、これはロパカ・コロンが2台のコンガのひとつを横向きにかかえて胴を平手で打ったり、ヘッドをポンポン叩いたりした音なのです。
1960年、70年代にマーチン・デニーやアーサー・ライマンを中心として「エキゾティック・サウンド」というジャンルの音楽が一世を風靡したことがありました。このエキゾティック・サウンドには欠かすことのできない「バード・コール」すなわち鳥の鳴き声を口まねで出す名手にオーギイ・コロンという人物がおりましたが、ロパカはそのオーギーの息子で、やはり絶妙なバード・コールを聞かせてくれます。
それではインタビューに移りましょう。まずジェイクとジョンは日系3世で、ジェイクは小さいときに来日したが記憶がなく、今回が初来日のようなもの、とか先祖は日本のどの地方出身かは知らない、などの前振りののちインタビューとなりました。
- ジェイクは何歳からウクレレに親しんだ? そして誰に教わった?
- 母親がすばらしいウクレレ(カマカのスタンダード)を持っていて、演奏も上手だった。自分は3〜4歳の頃からこれに触りたがったが、母親はちゃんと弾き方を理解するまではダメと棚の上に載せて、触らせてくれなかった。やっと5歳になってお許しが出て、C、F、G7などの押さえ方を教えてくれた。そして6歳になったときタミー・アキヤマというロイ・サクマ教室のインストラクターのひとりに教わるようになり、7年間続いた。タミー以後の先生としてはまずロイ・サクマ自身に、それから短期間ではあったがオータサン(ハーブ・オオタ)にも習った。さらにトレイシー・テラダ、トロイ・フェルナンデス、ケリー・ボーイ・デリマ、ブライアン・トレンティーノ、ハーブ・オオタ・ジュニアその他、有名無名のウクレレ奏者に教わることで多様なスタイルの弾き方を学んだ。
- セカンド・アルバム中のオータサンの作品ボディーサーフィンは、オータサンから直接習った?
- 小学生の頃オータサンの弾くこの曲のカセットを聞き、弾きたくなって先生のタミーに音を採ってもらい練習した。その後何年ものあいだに自分なりの解釈を加えて自分のレパートリーとしたが、今でもオータサンの演奏が最高と思っている。
それではここでその「ボディーサーフィン」を聞きましょう。
- この(…と手にとって)カマカ・ウクレレ(テナー)特注品を注文したときの仕様は?
- キズだらけ(笑)だが、これをメインに使用している。ケイシー・カマカ(クリスの弟)が面
倒を見てくれて、ネックの形状や弦の高さなどの希望をよく理解してくれてこの楽器が実現した。
- この2,3弦は変わっているが、どこの弦?調弦は?
- サヴァレスというクラシック・ギター弦で、プラスチックが巻いてあるので普通
のソリッド弦よりも柔らかい。調弦はスタンダードのG−C−E−A。ただしCDのレコーディング時は歌手のジョンの音域の関係で半音下げたF#−B−Eb−Abにしたが、このようなことはよく行われている。
- これ以外で使っているウクレレは?
- 同じく特注のカマカ・コンサート、ケアヒ、コア・メレ、コオラウ、カヴィカ等を曲に合わせて使い分ける。
それでは音楽に戻りましょう。「ジャス・プレス」そしてカアウ・クレイター・ボーイズの「オン・ファイア」をピュア・ハートのカバー演奏でお聴きください。
ジェイクはウクレレのテクニックがすごいのはもちろんですが、ステージ上を大きなアクションで走りまわったり、ポーズをつけたりと見る人を楽しませてくれます。しかし、インタビューの当日は寒い時期にもかかわらず、コートも着ずにビジネススーツ姿で登場したのには驚かされました。それでは「ピュア・ハート」誕生のいきさつについてのインタビューに移りましょう。
- ほかの二人との出会いは?「ピュア・ハート」結成のきっかけは?
- ジョンは高校時代、同じ自治会メンバーだったので知り合った。ロパカとは彼が以前アラ・モアナ・ショッピング・センターのハウス・オブ・ミュージックに勤めていたときに自分もその店の2階の楽器部に勤めていた関係で知り合った。高校時代からいろいろな人達といろいろな場所で演奏してきたが、ジョンとロパカの二人とは大変相性が良かったのでこの3人による演奏が増えて行き、次第に忙しくなった。そして、友人でもあり先生の一人でもあったレコーディング・プロデューサーのトレイシー・テラダから「アルバムを作らないか」と話が持ちかけられたときに3人で飛びついた。ファースト・アルバムに入れた曲は、それまでのレパートリーから選んだが、発売と同時に電話は来るわ、仕事の話は来るわでメチャクチャに忙しくなってしまった。
- ピュア・ハートと命名した理由は?
- たくさんの子供達と接してきた中で、彼らにいつも前向きの気持ちを持ってもらおうと名付けた。すなわち単なるグループの名前としてだけでなく、子供達が麻薬や酒に手を出さず、いつも「良いこと」だけを追求して欲しいという気持ちで名付けた。
(余談だが、当日のインタビュー後の「打ち上げ」でもジェイクは全くアルコールに手を出さなかった。私には到底見習えない!)
- ナー・ホークー賞を受賞してからどう変わった?
- CD販売のプロモーションにいろいろとかり出されることも含めて桁違いに忙しくなったため、お陰様でハワイだけでなく世界中に名前を知ってもらうことができた。
- 今後の活動計画は?日本での演奏ある?
(注:一部情報で「ピュア・ハート解散」とあったので、間接的に確認した)
- 一番若いジョンが学業に専念する必要があるので、この3人での活動はしばらく無い。ただしロパカと二人で組んだり、自分だけのソロ・アルバムを作るかも知れない。更に自分はコア・メレ・ウクレレ・アカデミーの仕事も忙しくなる。
それでは、また2曲お聴きください。ハワイアン・カントリーの「ワイマナロ・ブルース」とひがみ根性の男の歌「ミスター・サン・チョン・リー」です。
ファースト・アルバムの内容についてのインタビューに戻りましょう。
- このアルバム企画はいつごろ着手した?
- 1997年暮にスタートし、録音開始から発売までに5ヶ月かかった。セカンド・アルバムは4ヶ月、クリスマス・アルバム(ピュア・ハート2.5)は3ヶ月とだんだん短くなった。
- ファースト・アルバムで好きな曲は?
- 友人のアルバート・カアイのためにジョンと作った「カアイ」が好き。この中でロパカがバード・コールをはじめとして、いろいろな効果
音を出し、自分はスラック・キー・ギターを弾いている。
それではこの「カアイ」と、ジェイクの好きなミュージシャンの一人のサンタナ作「哀愁のヨーロッパ」をジェイクの付けたイントロとともにお聴きください。
以上、ナー・ホークー受賞アルバム「ピュア・ハート」からの曲をいろいろと聴いていただきました。ナー・ホークーの受賞式ではジェイクが涙ぐんでしまい、全くスピーチができなかったのに比べて、若いジョンが堂々とスピーチをしたのが印象に残っています。
それではセカンド・アルバム「ピュア・ハート2」についてのインタビューに移りましょう。このアルバム最後の曲のタイトルが日本人にしか読めない平仮名で「とかだ」と書かれており、その意味を周囲の人達に確かめても回答がなく、ずうっと疑問のままでしたので、この疑問をジェイクにまず尋ねて見ました。
- ふつうの英語圏の人はとても読めない平仮名のタイトル「とかだ」とは?
- バッハの「トッカータとフーガ ニ短調」の主題から作った自分のオリジナル曲で、できあがってみるとバッハの曲に似ていないこともないが、「トッカータとフーガ ニ短調」と呼べるほど似てもいなかったので、考えたすえ発音どおり(ジェイクが発音すると「トッカータ」は「トカダ」に、「フーガ」は「フュー」に聞こえる)「トカダ」とし、高校時代に習った平仮名で「とかだ」というタイトルにした。
- セカンド・アルバムでの好きな曲は?
- 弟のブルース・シマブクロとデュエットをしていることもあり、この「とかだ」が好き。
それではその「とかだ」サーフ・ミュージックの名曲「ワイプアウト」ジェイクのオリジナル「ハッピー・ウクレレ」そしてデニス・カマカヒ作の「コーケエ」の4曲を続けてお聴きください。
次は「ピュア・ハート2.5」についてのインタビューと、当日の来場者からの質問に移りましょう。
- どんなアルバム?そしてなぜ「3」ではなくて「2.5」と名付けた?
- 13曲入ったクリスマス・アルバムで、ポピュラーな「赤鼻のトナカイ」や「ジングル・ベル」などのほか、オリジナル曲も5曲入れた。単なる「お楽しみアルバム」ではなく、ジャズ的アレンジも加えてあり、自分も好きなアルバムだ。なぜ「2.5」か、というと、「3」と呼ぶほど充実していないこととクリスマスが12月25日(苦しいコジツケ!)だから。本当のサード・アルバムは未定ではあるが2000年には出すだろう。
- 1日の練習時間は?
- 以前は毎日5時間練習をしていたがプロになってからは肩や腕を休める必要があるので1時間程度としている。
- ウクレレ・マイク(ピックアップ)についての見解は?
- バンドを組んでほかの楽器とりわけドラムスや電気ベース等と対等に弾くためには、どうしてもウクレレ・マイクが必要だし、これを使うことでイコライザー、ディストーション、ボリューム・コントロール等のエフェクトが駆使できる。ただし、ウクレレだけのソロを録音するような場合はウクレレの前に立てたマイクで音響的に拾うほうが柔らかい音が得られるので良い。
- ウクレレ奏者やミュージシャンで好きな人は?
- ウクレレ奏者ではオータサン、ピーター・ムーン、ダニエル・ホー、ライル・リッツ、バイロン・ヤスイ、トレイシー・テラダ、トロイ・フェルナンデス、ケリー・ボーイ・デリマ等たくさんいる。ミュージシャンではサンタナ、エリック・クラプトン、イツァ・プローメン(バイオリン)、チック・コリア等。彼らの演奏をウクレレに置き換えて演奏してみている。
それでは「ピュア・ハート2.5」からジェイクのイントロの付いた「赤鼻のトナカイ」そして「クリスマスの12日」オリジナル曲「デイ・アフター・ウィンター」の3曲をお聴きください。この3曲めも先ほどの「カアイ」同様ロパカがバード・コールを、そしてジェイクがスラック・キー・ギターを担当しています。
次にロパカ・コロンをフィーチャーした曲「ボンゴ・ボーイ」とセカンド・アルバムの冒頭の曲「ハウ・キャナイ・ゲット・オーバー」を続けてお聴きください。
今回ジェイク来日という連絡から僅かの日数しか無かったため、会場探しから、参加者への連絡そして「土曜特集」のインタビュー手配等々バタバタいたしましたが、結果
としてインタビューはもちろんこと、日本ウクレレ協会メンバーに対してのワンポイント・レッスンも大好評で苦労した甲斐がありました。この若さでこれだけのテクニックで弾ける秘訣を尋ねたところ、即座に「練習、練習!」という答えが返ってきました。
…とは言っても練習だけでなく天賦の才能も必要だろうナァと考えさせられました。
最後にジェイクからのメッセージを紹介致します。
「皆さんのサポートありがとうございます。ウクレレは単に従来の型にはまったハワイアン音楽だけの楽器ではなく、クラシック、ブルース、ジャズ、ロック、スペイン音楽等、勉強次第でどのような曲でも弾けるのでおおいに楽しんでください。」
ということで本日の「土曜特集」はすべてピュア・ハート特集とジェイクのインタビューになりました。それでは最後にセカンド・アルバムから「アロハ・カリヒワイ」を聴きながらお別
れ致しましょう。
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インタビュー参加記念写真
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「新生ピュア・ハート」名刺
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このインタビュー後の最新情報によると、学業に戻ったジョン・ヤマサトに代わってガイ・クルス(カアウ・クレイター・ボーイズのアーニー・クルス・ジュニアの弟)がギターとボーカルで参加した「新生ピュア・ハート」(右の名刺をご覧ください)によるサード・アルバム「ピュア・ハート3」のリリースと日本公演も決まったとのことですので、楽しみに待ちたいと思います。
一方、コア・メレ・ウクレレ・アカデミーの講師としてのジェイクはカリキュラム作成、テキスト編集そしてレッスン・ビデオの作成でおおわらわとのことですので、そちらにも期待いたしましょう。
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2000年3月12日 Matt Kobayashi
Jam Selections