MASAMI'S Ukulele Jam Selections

ハワイアン・タイム〜ウクレレ・ソロ〜/オータサン

ビクター・エンタテインメントVICP-63036(2005年5月21日発売、税込2,730円) 

ウクレレ・ソロの世界

ウクレレの誕生

世界のいろいろな記録を収めた「ギネス・ブック」にウクレレが「世界一演奏が易しい楽器」としてリストアップされていた時代があったようですが、ウクレレに限らずいずれの楽器でもそれぞれに演奏の難しさはあるはずです。
ウクレレはもともとスペインで生まれたギターが隣国ポルトガルに伝わり、大小さまざまな楽器へと発展したなかのブラギーニャという小形弦楽器を、19世紀後半にハワイへ農業労働者として移住した人たちが持参し、ハワイ独特の素材を用いて改良されたことで誕生・普及した楽器で、初期にはフラ(ハワイ独特の踊り)の伴奏楽器として重用されました。
それまでのフラは打楽器による伴奏に乗せた歌をバックに踊っていた程度であったため、このウクレレというコード(和音)が出せてしかもリズムを刻める楽器はまたたく間に普及したのです。

ウクレレという楽器の特徴

ポルトガル人の持ち込んだブラギーニャという楽器は現在のウクレレとはチューニング(それぞれの弦の調律)が異なっていました。ウクレレが誕生した際に採用されたチューニングは、一足先に持ち込まれていたギターのチューニングが参考にされたようで、ギターの5フレットにおける1〜4弦の音名と同じになるよう1弦からA−E−C−Gとチューニングされました。ところが当時の弦の材料は鉄線かガット弦(羊腸を撚り合せた弦)であり、ウクレレの場合は素手で弾くためにガット弦が張られましたが、ウクレレの弦の長さはギターよりはるかに短いために低音側の弦、とくに4弦の太さが極めて太くなり、その結果音程が不正確になってしまいました。
おそらく当時のギター奏者たちが考えた解決策は4弦の音名はGにしたまま、1オクターブ高くチューニングすることだったのでしょう、こうすればコードの押さえ方はギターの1〜4弦と同じになり、ギター奏者でも容易にこの楽器でコードを鳴らすことができるわけです。このチューニングがその後長いことウクレレの標準的なチューニングとして定着しました。ウクレレ独特の「4弦が高い」チューニングの特徴は、右手でコードを弾き下ろしても(ダウンワード・ストラム)弾き上げても(アップワード・ストラム)似た感じの音色が得られることにあります。ギター、バンジョー等、普通の弦楽器では方向によって低音から鳴るか高音からなるかの違いがあるために、アップ・ダウンでの音色は大きく異なります。
この「アップ・ダウンで似た音色が得られる」特徴のため、ウクレレという楽器独特の音色を持つことになり、ギターやベースのような大きな音量をもつ楽器と一緒に演奏してもウクレレの存在が認識できる利点をもつことになりました。
もっともこの楽器が米本土へも流れて行き、ボードビリアンといわれる芸人たちがこの楽器を奏でながらステージで唄う際に、易しい押さえ方でしかも歌の音域に合うようにチューニングをオリジナルよりも半音ふたつ分だけ 高いA−D−F#―Bと変更したようで、現在ではこのチューニングを「アメリカン・チューニング」と呼び、オリジナルの「ハワイアン・チューニング」と区別しています。

レギュラー・チューニングとローGチューニング


20世紀に入ると、弦の製造技術が向上し、低音を出すために弦の太さ(ゲージ)をどんどん増加させる代わりに、ガット弦を芯に使い、その周囲に金属線を巻きつけていく「巻き弦」の製法が確立しました。そしていままで問題であったウクレレの4弦も、この方法で作られた弦を用いれば従来よりはるかに細いゲージで低音が得られるようになり、当初から考えていた「4弦を低くチューニングする」ことが可能となりました。これによりウクレレの音域が広がるとともに次に紹介します「ウクレレ・ソロ」の世界を大きく広げることになったのです。
このチューニングを従来のチューニングと区別するために「ローGチューニング」と呼ぶようになり、従来のチューニングを「レギュラー・チューニング」または「オリジナル・チューニング」と呼ぶことになったのです。ただ、「ローGチューニング」に対比させて「ハイGチューニング」と呼ぶ向きもありますが、ここでは「レギュラー・チューニング」と呼びたいと思います。
似たような例として「ソプラノ・ウクレレ」という呼び方の問題があります。最初にご紹介しましたウクレレの誕生当時は楽器のサイズはほぼ同じであったのですが、次第に音域拡大や音量増大、そして音程の精度を求めて「コンサート・ウクレレ」「テナー・ウクレレ」「バリトン・ウクレレ」等々大形のウクレレが次々と登場したために、この「ウクレレ」を「ソプラノ・ウクレレ」と呼ぶ傾向があります。しかしながらウクレレの場合は管楽器の場合で見受けるようにソプラノ、アルト・テナーと、楽器ごとにチューニングのピッチが異なることはほとんどなく、単に楽器のサイズが異なるだけですので、ここでは単に「スタンダード・ウクレレ」もしくは「オリジナル・ウクレレ」と呼びたいと思います。
「オリジナル・ウクレレ」という呼び方はカマカ社が「パイナップル形ウクレレ」を発明した際に、それと対比させる目的でこのように呼んだのが始まりです。

ウクレレ・ソロとエディー・カマエ

ウクレレという楽器は当初コードでリズムを刻む「リズム楽器」として重用されました。そしてハワイアン・バンドの中ではひたすらウクレレでリズムを刻んだり、弾きながら唄うという立場にあったのです。そして時折「色物」扱いで「ウクレレ・ソロ」が登場したのですが、ほとんどはバンジョーのようにコードをジャカジャカと弾きながらコードの中にメロディーを乗せるという奏法でした。
ウクレレという楽器はなにぶんにも小形の楽器であるため、フレットの位置を正しく設定した楽器が少なく、おまけに前述のようにゲージの太い弦による問題を4弦では解決したものの、次に太い3弦でもやはりピッチが不正確であったため、せいぜい0から5フレット程度までしか安定したピッチが得られないことから、このようなコード主体の「ウクレレ・ソロ」が主流となっていたようです。
この「色物的ウクレレ・ソロ」を改革したのが1927年生まれのエディー・カマエというハワイのウクレレ奏者で、彼はピッチの正確なウクレレを駆使し、ハワイアン音楽のみならずクラシックからラテン音楽にいたるまでウクレレだけでソロを弾くという世界を確立しました。彼は1948年に友人のショイ・イケミと「ウクレレ・ラスカルズ」を結成し、ステージで活躍するとともに、彼単独でビッグバンドやオーケストラのなかでウクレレ・ソロを弾くという新しいジャンルを開拓いたしました。その後エディーは伝説的なハワイアン・グループ「サンズ・オブ・ハワイ」を結成し、ハワイアン音楽の復興と普及に貢献しましたが、そこでも彼は常にウクレレでメロディーを弾いていました。現在でも彼はハワイの子供たちのためにハワイ音楽の伝統を伝えるための映像作りに没頭しています。

オータサンの登場

このエディー・カマエがまだ若い頃、と言ってもすでに「ウクレレソロの名人」として認められていた頃に、ハーバート・イチロー・オータという少年に会いました。そのころハーバート少年はラジオ局の主催するタレント・コンテストに飛び入りしては賞金をせしめていたのですが、エディーとの出会いがその後の彼の人生を決定付けてしまったのです。彼は自己流でウクレレ・ソロを勉強したりビーチ・ボーイたちがウクレレを弾いている中に混じって教えてもらったりしていたのですが、名人エディーに弟子入りしたことで彼の中におけるウクレレ・ソロの世界が大きく広がりました。そして師匠のテクニックとレパートリーを瞬く間に会得したため師匠をして「もう教えるものが無くなった」と嘆かせましたが、その後現在に至るまでハーバートはエディー・カマエのことを師匠として尊敬しています。
ハーバートが朝鮮戦争の際に日本や韓国に駐留していたのですが、それが終わり帰国した1964年にフラ・レコードからソロ・デビューいたしました。ちょうど坂本九の「スキヤキ」がビルボードのトップを占めるなど、日本ブームの真っ只中であったため、フラ・レコードは彼のためにサーフサイドというレーベルをつくり、ステージネームとして「オータ」の後に日本人の尊称である「さん」をつけ「オータサン」と名づけたのです。そしてこのオータサンが弾く「スシ(鈴懸の径)」と「ボンサイ(森の小径)」はいずれも日本駐留時におせわになった灰田有紀彦氏の作品でしたが、折しもの日本ブームに乗り、爆発的な売れ行きを記録し、彼がウクレレ奏者として世間から認識されるもととなりました。
ビクターからリリースされている「ウクレレ・マスターズ」(VICG-60404)にはエディー・カマエとオータサンがそれぞれ日本ビクターに残した貴重なソロ演奏が収録されていますので是非お聴きください。

オータサンのウクレレ・ソロ

オータサンは上述のサーフサイドからのリリースを皮切りに、80枚以上にものぼるウクレレ・ソロ・アルバムをリリースしています。彼のレパートリーは師匠のエディー・カマエから受け継いだ曲はもちろんのこと、彼のアレンジによるものを含めると6,000曲とも8,000曲とも言われています。(本人も正確にはわからないようです…)。そして彼の演奏テクニックは多彩を極め、古いスタイルのコード奏法によるソロから、ひとりで伴奏とメロディーを同時に弾く奏法、親指と人差し指の片方もしくは両方で弾くトレモロ奏法やオルタネート奏法そしてアルペジオ、コードの合間にウクレレのボディーを叩いたり指板を爪で擦って出す数種類のラテン・パーカッションまで無数のテクニックを駆使して演奏します。オータサンのレコード、CD、ビデオそして楽譜を参考に「オータサン奏法」を勉強しているプロ・アマのウクレレ奏者は無数におられると思います。以前「ウクレレの神様/オータサン」というビデオがリリースされて以来オータサンのことを「ウクレレの神様」と呼ぶ傾向があります。でもご本人は「ボク、まだ死んでいないから神様じゃないノ(笑)」と言っています。その意味からも今回のアルバムのサブタイトルのように「Ukulele Virtuoso(巨匠)」と呼んだほうが適切と思います。若い人ではなくオータサンくらいの年齢になれば「巨匠」という言葉も違和感なく受けとめられますから。

オータサンとハワイアン音楽、そして使うウクレレ

よく「オータサンはハワイアン音楽が嫌い」と言うかたがおられますが、それは完全な誤解です。今回のハワイアン・ソング中心のアルバムを聴いていただければお分かりのように、オータサンはいずれの曲にも工夫をこらし、愛情を込めて演奏しています。いままであまり興味の沸かなかった曲でも、オータサンの繊細な演奏を聴くことでたちまち好きな曲になることもあるかと思います。誤解のもととしては普通のハワイアン音楽はフラ・ソングに代表される僅か8小節の曲が多いため、アドリブを弾いても転調してもアッというまに終わってしまうのでオータサンの好みでは無かったことにあるのでしょう。しかし今回のアルバムに含まれているハノハノ・ハナレイはフラ・ソングでありながら32小節もありますし、それ以外の曲はフラ・ソングではなくハパ・ハオレ・ソング(英語の歌詞を持ったハワイアン・ソング)のためやはり32小節以上の内容をもち、オータサンとしても十分にアレンジができる曲ばかりが選ばれています。
オータサンに関するもうひとつの誤解は「オータサンはローGチューニングのウクレレしか弾かない」または「ローGチューニングはオータサンが考案したもの」といった点で、たまたま日本ツアーのときのようにあちこちと楽器を持ち歩く際は「二台持つのは重たいから(笑)」用途の広いローGチューニングのウクレレ一台を持参しますが、実際には曲にあわせてレギュラー・チューニングとローGチューニングのウクレレを使い分けています。今回のレコーディングでも曲番1,3,9,11,12,14はレギュラー・チューニングのウクレレ(中西製スタンダード・メープル)を用い、それ以外の曲ではローGチューニングのウクレレ(マーティン・タイプ3、スタンダード・マホガニー)を使っていますので、それぞれの音色の違いもお楽しみください。
ローGの考案者が誰であるかは不明ですが、少なくともオータサンがウクレレと付き合うようになったときには存在していたそうですので、これも誤解ですね。

オータサンの貴重な「たった一人でのハワイアン・ソロ・アルバム」


ウクレレという楽器は弾いた音がすぐに減衰してしまいますので、普通はそれを補う目的でオーケストラやストリングスをバックにつけたり、数人のコンボで演奏します。これに対し、たった一人で演奏する場合には何の助けもありませんのでこれを補うために大変なテクニックが必要です。上述のようにオータサンの多彩なテクニックの中には「一人で伴奏とメロディーの両方を同時に演奏する」とか「トレモロ奏法やオルタネート奏法で持続音を表現する」等々「たった一人のソロ」実現のためにいろいろと工夫を凝らしています。80枚以上ものアルバムをリリースしているオータサンですが、この「たった一人で」しかも「ハワイアン・ミュージックを」弾いたアルバムは大変貴重なアルバムと言えましょう。
「曲目解説」のなかでそれらのテクニックにも触れて参りますが、数曲の二重録音を含めてすべてオータサンただ一人によるウクレレ・ソロですので15曲をじっくりとお楽しみください。


曲目解説

  1. デイズ・オブ・マイ・ユース
    アイル・リメンバー・ユーやワン・パドル・トゥー・パドル、ラハイナルナ等数多くの名曲を遺して夭折したシンガー・ソング・ライターのクイ・リーの作品。彼が自分の子供たちへの遺言のような気持ちで作ったと思われる情緒豊かなこの曲を、オータサンもレギュラー・チューニングのウクレレで美しく歌い上げます。

  2. ハナレイ・ムーン
    カウアイ島の北岸にある町ハナレイで眺める月を歌ったボブ・ネルソンの名曲を、オータサンはサンバ風のリズムで楽しく弾いています。普通ラテン・リズムの曲を演奏する場合はもう一台の楽器がバックでリズムを刻むのですが、オータサンはメロディー自体をラテン・リズムで弾くという離れ業をやってのけています。

  3. ホノルル・シティ・ライツ
    「ビーマー兄弟」として活躍したデュオ、ケオラ・アンド・カポノのデビュー曲であり大ヒットをしたケオラの作品。米本土へ向かう深夜便の機中から眺めたホノルルの夜景に思いを馳せて書かれた曲。これをオータサンは夜景のキラキラ輝く明かりを暗示するようにレギュラー・チューニングのウクレレで奏でています。

  4. ハノハノ・ハナレイ
    カウアイ島ハナレイを讃えた名曲を数多く作ったアルフレッド・アロヒケアの作品で、フラ・ソングとしては珍しく32小節と長い内容を持っています。この曲ではオータサンが伴奏部とソロ部を二重録音によりそれぞれ演奏しているために、私たちが仲間とウクレレを合奏するときのような楽しさを感じさせてくれます。

  5. カイノア〜マイ・イエロー・ジンジャー・レイ
    ベテラン歌手で前ハワイ録音芸術協会会長マーリン・サイのデビュー曲カイノアと、同じくベテラン女性歌手カレン・ケアヴェハワイの父親ジョン・ケアヴェハワイの作品(管理者はカレン)であるマイ・イエロー・ジンジャーレイのメドレーです。オータサンは二重録音せずにメロディーと伴奏を同時に演奏しています。

  6. 茶色の娘(リトル・ブラウン・ギャル)
    現在のフラ・レコード社長ダン・マクディアミッド三世の祖父で、有名なミュージシャンでもあったダン・マクディアミッド一世の作品。ハワイへ旅行したときに逢った小さな藁葺き小屋に住み、褐色の肌を持つ娘への思いを歌った曲。これをオータサンは前の曲同様、伴奏を弾きながらメロディーも同時に弾いています。

  7. マナクーラの月(ムーン・オブ・マナクーラ)
    1938年公開のドロシー・ラムーア主演映画「ハリケーン」主題歌で、厳密に言うとハワイアン音楽ではないのですが、ハワイでも好まれているワルツの名曲。ワルツよりはラテン・リズムで演奏されることが多く、オータサンも伴奏とメロディーを同時に弾くというオータサン独特のラテン・スタイルで演奏しています。

  8. サイミン
    オータサンの作品のなかで「ハワイ」「カマアイナ・ケイキ」と並ぶヒット曲。サイミンとはラーメンに似たハワイ独特の麺の料理で、発祥の店と言われる「オールド・サイミン・ハウス」のサイミンが特に有名です。オータサンはこの曲をロックやフラのリズムにも通じるエイト・ビートのストロークで演奏しています。

  9. マプアナ
    ふたたびレギュラー・チューニングによる演奏が登場します。スチール・ギタリストのラニ・サンが、自分の愛娘マプアナに寄せて作った名曲で、まるでラブ・ソングのような歌詞がつけられています。オータサンはレギュラー・チューニングの特性を最大限に発揮させながら、伴奏とメロディーを同時に演奏しています。

  10. ププリ姫(プリンセス・プープーリ)
    「プープーリ」とは「イカれた」という意味で、作者が或るバンドのフラガールをイメージして作ったコミック・ソング。この「お姫様」は「豊満なパパヤ(胸)」を持ち「あまねく披露するのが大好き」で「公開日」には「お客さんがどっと押し寄せる」とのこと。オータサンもウクレレでそのイメージを出しています。

  11. ハワイのどこかで(サムホエア・イン・ハワイ)
    「キープ・ユア・アイズ・オン・ザ・ハンズ(お手々をみつめて)」をはじめ、たくさんのハパ・ハオレ・ソング(英語の歌詞を中心としたハワイアン・ソング)を作ったトニー・トダロとメアリー・ジョンストン夫妻の作になるラブ・ソング。この曲をオータサンはふたたびレギュラー・チューニングの楽器で演奏しました。

  12. カルア
    アメリカ本土の作曲家は「カルア」という言葉にハワイを感じるようで、この曲も作曲者がカルアという土地の月光をイメージして発表しました。オータサンは自分の弾くラテン・リズムをバックに二重録音によってメロディー部分を重ね、サビの部分ではオータサン独特のアレンジのメロディーを美しく演奏しています。

  13. ドント・シング・アロハ・ホェン・アイ・ゴー
    オータサンが子供のころ、初めて母親から教わったと言われるハワイアン・ソングです。もちろん当時はレギュラー・チューニングのウクレレを使い、コードを弾きながら歌っていたと思われますが、これをウクレレ・ソロに応用するために、オータサンはローGのウクレレに合うようなキー(調子)に変更いたしました。

  14. オンリー・アッシズ・リメイン
    「ワイキキ」「ピカケ」と並ぶアンディー・カミングス作の名曲(3曲とも似たコード進行を持っています)であり「熱烈な愛もいまや燃え尽きて灰だけが残っているが、もう一度燃え上がらせたい!」と過ぎ去った愛を歌う歌。オータサンはあらかじめ録音したコード伴奏のウクレレをバックに切なく歌い上げています。

  15. バリ・ハイ
    リチャード・ロジャースとオスカー・ハマーシュタイン二世によるミュージカル「南太平洋」の主題歌として作られた曲で、ムーン・オブ・マナクーラ同様ハワイアン音楽ではありませんが、ハワイでも盛んに演奏されています。アルバムの最後を飾るにふさわしくオータサンはローGのウクレレで荘厳に演奏しています。

マット・コバヤシ 


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