CD写真

  

イズラエル

「フェイシング・フューチャー」

レイ・レコード LEIR-0046

BIGBOY BBCD5901 Facing Future

Israel Kamakawiwo'ole

  



【 解 説  】

イズ独立後のファースト・アルバム イズ(IZ)としてハワイアン音楽ファンに愛されたイズラエル・カマカヴィヴォオレが38歳という若さで亡くなって何年も経過しましたが、彼のアルバムに対する要望は少しも衰えておりません。彼の音楽生活の大半は、マカハ・サンス・オブ・ニイハウというグループで過ごしましたが、そこに在籍中にリリースしたアルバムKa'anoiを含め彼は4枚のソロ・アルバムを発売しています。

レイ・レコードからはこれら4枚と追悼アルバムとも言えるライブ盤の計5枚のうち、すでに3枚が発売されており、今回のこのアルバムFacing Futureが第4弾ということになりますが、実際にはソロ・アルバムとしての第2作で、彼が長年苦楽を共にしたマカハ・サンズ・オブ・ニイハウから独立してから最初の作品なのです。

イズとマカハ・サンズオブ・ニイハウ 1959年5月20日にホノルルのカイムキ地区に生まれたイズは、その後オアフ島の西海岸マカハに引越し、そこで兄スキッピーとイズを中心にサム・グレイ、ムーン・カウアカヒそしてジェローム・ココの顔ぶれでマカハ・サンズ・オブ・ニイハウを結成したのは、彼がまだ17歳のころの1976年でした。2年後の1978年に、マカハのオリジナル・メンバーからサム・グレイとジェローム・ココが抜けたため、イズ兄弟の従兄弟のメル・アミナを加え、4人組のグループとして再発足して順調な発展を続けていました。

ところが、通算5枚のアルバム迄リリースした1982年にマカハとしての大ピンチを迎えました。リーダーとしてグループをまとめてきた兄のスキッピーが28歳で急死し、さらにこれにショックを受けた従兄弟のメルが失踪してしまったのです。残されたイズとムーンは、急遽ジェロームとジョンのココ兄弟に声を掛けて新生マカハを結成し、この4人組はイズがマカハから独立した1993年まで続きました。この新生マカハは次項でご紹介するように、すべてのアルバムが高い評価を受け続けるという人気と実力を兼ね備えたグループとなりました。

スキッピーの死後、しばらくの間はイズがマカハのリーダーを務めましたが、イズの健康状態が思わしくなくなり、グループ活動に支障を来たすようになった後年は、その役割を義弟となったムーンに譲りました。 イズ独立後に残された3人は新グループ「マカハ・サンズ」を結成し、現在のハワイ音楽界最高のグループとして認められております。

イズとナー・ホークー賞 マカハとしてのファースト・アルバムNo Kristoをリリースして以後、彼はマカハ在籍中に9枚のアルバムに参加しています。以下、それ等をご紹介しましょう。

1976年 No Kristo
1977年 Kahea o Keale
1978年 Keala
1979年 Makaha Sons of Ni'ihau
1981年 Mahalo Ke Akua
1984年 Puana Hou Me Ke Aloha
1986年 Ho'ola
1991年 Makaha Bash 3 Live
1992年 Ho'oluana

第6作Puana Hou Me Ke Alohaがハワイのレコード大賞に相当するナー・ホークー・ハノハノ・アウオードの2部門の賞を得てからは、第9作まで連続していずれかの部門賞や2度の大賞Best Album Of The Yearを獲得して来ました。

また、イズのソロ・アルバムは追悼盤を含み、次の5点です。

1990年 Ka'anoi
1993年 Facing Future
1995年 E Ala E(邦題「天国から雷」LEIR-0018)
1996年 n Dis Life(「ヨ・コ・ヅ・ナ」LEIR-0032)
1997年 Iz In Concert(「イズ・ライブ」LEIR-0040)

今回のアルバムFacing Futureもナー・ホークーの各部門にノミネートされたものの、その年に登場したデュオ「ハパ」が大賞を含む5部門の賞を席捲したあおりをうけて、惜しくも無冠となりました。しかしこのアルバムを発表したイズ自身は一般大衆の投票による「Favorite Entertainer Of The Year」すなわち「最も愛されたミュージシャン賞」という栄誉を獲得しました。

「未来」を見つめるアルバム 100年以上前に違法な手段により白人に彼等の国家を略奪されたハワイ人達は、その後不遇な生活を強いられてきました。やっと近年になって米国政府より違法行為に対する謝罪もされましたが、復権への道のりはまだまだ遠い状態です。ハワイ人としてのイズは、機会あるごとにハワイ人への愛と権利回復を呼び掛けていて、このアルバムにも彼の気持ちが込められています。 「過去を振り返って嘆くより、希望を持ってしっかりと未来をみつめよう!」とのメッセージはアルバムのジャケットにあらわれています。後姿で立っているのはもちろんイズ自身で、彼の見つめる彼方には素晴らしい明日がハワイ人を迎えてくれるというレイアウトになっているのです。

このアルバム全体の収録曲の構成もこの線でおこなわれており、やや場違いとも思える第14曲Somewhere Over The RainbowとWhat A Wonderful Worldのメドレーは、イズがこの主旨のもとづいて是非加えたかった曲なのです。その後、イズのおかげでOver The Rainbowはすっかりハワイの音楽として定着し、いろいろなミュージシャンが演奏するようになったのは面白い現象でしたが・・。


【 曲目の概要 】

アルバム全体をイズのウクレレのリードでまとめているので、ウクレレ愛好家にも聴き逃せない作品ばかりです。 (10、11は省略)

  1. ハワイ78イントロダクション
    15曲めの「ハワイ78」に重ねて、イズの死んだ両親や兄の思い出を語っています。

  2. カ・フイラ・ワイ
    アルフレッド・アロヒケア作のフラ・ソング。タイトルのカ・フイラ・ワイは「水車」のことです。

  3. アマアマ
    サム・アラマ作のフラ・ソング。魚のボラを歌っています。途中のイズのウクレレ・ソロにも注目を。

  4. パニニ・プア・ケア
    ジョニイ・アルメイダ作のフラ・ソング。単調な曲ですが、イズのウクレレ・ソロが曲を引き締めます。

  5. カントリー・ロード
    ジョン・デンバーのカントリー・ソングをウエスト・バージニアからマウイ島へと変えて歌っています。

  6. クヒオ・ベイ
    美しいクヒオ湾を歌ったケリアナ・ビショウの作品。ウクレレのデュエットも聞こえてきます。

  7. カ・プア・ウイ
    ビナ・モスマン作のフラ・ソング。イズはこの曲が好きで、あちこちで歌っていました。

  8. ホワイト・サンディー・ビーチ・オブ・ハワイ
    ウイリー・ダン作のラブ・ソング。別れてしまった恋人と一緒に歩いた白い砂浜。太陽のもとで遊んだ思い出や、心をなごませる海の響きの思い出が夢のの中に現われた。今でも君を忘れない、と歌います。

  9. ヘネ・ヘネ・コウ・アカ
    トラディショナルの楽しい曲。貴方と私で出かけた場所での出来事を「ビーフ・シチューを食べた、海藻を食べた、浜辺で泳いだ・・・」といろいろと歌っています。

  10. マウイ、ハワイアン・スッパ・マン
    デル・ビーズリーがイズの為に作った曲。「スッパ・マン」は「スーパーマン」をハワイ風に表現したもので、ハワイの島を釣竿で釣り上げ、空を引っ張った伝説の男マウイをスーパーマンにたとえ、さらにはイズをそのマウイになぞらえて歌った曲です。

  11. カウラナ・カワイハエ
    アリス・ナアイ作のフラ・ソング。イズはこの曲をウクレレのアルペジオとともにしっとりと歌います。

  12. 虹の彼方/この素晴らしき世界
    上記のように、この2曲はイズがどうしても彼のアルバムに入れたかった曲なのです。ただしタイトルの「Somewhere」の部分は原題には無いものです。

  13. ハワイ78
    ミッキー・イアオネ作。「ハワイ王朝を維持してきた王や女王が、神聖な土地の上を高速道路が走りまわる現在のハワイの変わりようを見たら何と思うだろう。涙が止まらず、ハワイが大変な危機に瀕している現実を押しとどめようとするだろう。」とハワイ人の権利回復を訴えた唄です。

    それではイズの歌声をたっぷりとお楽しみください。

マット・コバヤシ 


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